★3 | この映画は『ボーイズ・オン・ザ・ラン』という原作漫画と同じ名を持つが、果たして「ボーイズ」という複数形が指そうとしているのは峯田和伸のほかに誰なのか。まさか松田龍平ではあるまい。小林薫やリリー・フランキーや渋川清彦であるはずもない。であるならば答えは決まっている。ボーイズとは私たちである。 [review] (3819695) | [投票(2)] |
★5 | 絵空事の勝つか負けるかではなく折り合うか突っ張るかというリアリズムの地平で立脚している。揺れ惑う主人公の行く道は感情の振幅の間の隘路との納得感があった。血と精液と鼻水と小便と汗と涙にまみれて俺も疾走せねばと思う。男であるならば。 (けにろん) | [投票(4)] |
★4 | 敗北の美学などという言い訳の亜流がまかり通るのは、それだけ世の中に敗者が溢れている証拠だろう。誰が田西(峯田)を笑えるのだ。学業や仕事であれ、異性選びであれ、多かれ少なかれ競争であり、その結果は限られた勝者しか生まない。当然、我々は敗北の経験者なのだ。 (ぽんしゅう) | [投票(1)] |
★3 | ようく観察すれば主人公の「ラン」は、逃げることと闘うこと、本能と見栄とが混在し混乱し、一義的でない。それは彼の「ラン」の只中に視点を置いた為であるだろうし、人生そのものもそうした割り切れなさを大抵、いつも抱えているからだとも思える。 [review] (煽尼采) | [投票(2)] |