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[あらすじ] ミュンヘン(2005/米)

1972年、ミュンヘン五輪に参加していた11人のイスラエル選手がパレスチナゲリラに殺害される事件が発生した。イスラエルはこれに対する報復を決め、その作戦遂行役として、情報機関モサドの工作員・アヴナー(エリック・バナ)に白羽の矢を立てた。身重の妻を残しヨーロッパへ飛んだ彼は、爆薬や書類偽造などのプロたち(ダニエル・クレイグサイアラン・ハインズマチュー・カソヴィッツハンス・ツィシュラー)を率いるリーダーとなる。彼らの任務は、殺害事件の計画・実行に関わったパレスチナ人をくまなく暗殺すること。そして、血にまみれた復讐がここに始まった。[164分/カラー/シネマスコープ]
Yasu

1972年ミュンヘンオリンピックのイスラエル選手団襲撃事件、およびそれに対するイスラエル側の報復活動を題材にした、ジョージ・ジョナスによる1984年発表のノンフィクション「標的〈ターゲット〉は11人──モサド暗殺チームの記録」の2度目の映画化(最初は1986年製作の『ギデオン テロリスト暗殺指令』)。

ミュンヘン五輪事件とは、1972年9月5日未明、西ドイツ(当時)・ミュンヘンで開催されていたオリンピックの選手村に、パレスチナのテロリスト集団「黒い九月」のメンバー8人が武装して侵入し、イスラエル選手団の11人を人質に取って立てこもったもの。西ドイツ治安部隊による鎮圧作戦は失敗し、犯人グループとの銃撃戦の末、11人の人質全員が死亡する最悪の事態となった。

この銃撃戦の際に犯人のうち5人が死亡、残る3人は逮捕されたが、その後、10月29日にルフトハンザ航空の飛行機がハイジャックされ、3人を解放する要求が出されたことから、彼らは即時釈放されてリビアに送還された。これにはミュンヘン事件の際の西ドイツ側の不手際が3人の裁判で明るみになることを当局が恐れていたことが裏側にあったといわれる(人質の遺族たちはその後20年にわたる闘争の結果、西ドイツ当局による隠蔽工作の証拠書類を開示させることに成功し、2003年にドイツ政府より賠償を勝ち取っている)。

これを受けて、当時のイスラエル首相であったゴルダ・メイアは、この事件に関与したパレスチナ側の人間に対して徹底報復を行うことを決意、「黒い九月」のメンバー全員の暗殺計画、およびその実行をイスラエルの情報機関・モサドに命じた。モサドは数名からなる暗殺チームを組織し、主に欧州に拠点を置いて活動する「黒い九月」のメンバーを、爆弾・銃撃などで次々と殺害していった。この一連の報復活動は、後に「神の怒り」作戦と呼ばれた。

なおこの作戦は、1973年7月のリレハンメル事件(ノルウェー北部の小都市リレハンメルで、暗殺チームが手違いからまったく無関係の他人を殺害してしまったことをきっかけにノルウェー当局に拘束された)によって世界に知られることとなり、イスラエル議会でも取り上げられたこともあって、その後は衰退していったとされる。しかし、1992年にパリでPLO幹部が暗殺された事件にも裏でモサドが関わっていたという説もあり、実際にはかなりの期間にわたって継続されていたとする見方もある。

この暗殺チームは複数組織されていたといわれ、上述の「標的は11人」は、その1チームのリーダーであったと名乗る在米ユダヤ人、ユヴァル・アヴィヴの証言に基づくものである。ただし、「神の怒り」作戦に参加した元モサド工作員からは事実に関して不正確な点を指摘されたり、そもそもアヴィヴという名前の人物はモサド在籍の記録がないなど、疑問な部分も多い。

また、映画化された本作がイスラエルで公開された際、ミュンヘン事件の遺族たちが歓迎する一方で、当時モサド長官だった人物が「殺害は報復意図ではなく、次のテロを防ぐ目的だった」と発言するなど批判も相次いだ。これに関してスティーブン・スピルバーグ監督は、本作は“ヒストリカル・フィクション”であるとし、史実に「構想を得た」映画である、という姿勢をとっている。

(評価:★4)

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このあらすじを気に入った人達 (14 人)あちこ 双葉三十郎 シーチキン ごう ペペロンチーノ リア トシ TOBBY Myurakz 某社映画部 ナム太郎 kiona ina uyo

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