[POV: a Point of View]
時代の痕跡ーATG公開作品(70年代日本映画篇)
乱舞。真摯なる攻撃。
F | 変奏曲(1976/日) | |||
G | 黒木太郎の愛と冒険(1977/日) | 森崎東喜劇に見られるシニカルさのエッセンスだけがここに凝縮されている。力のこもった快心の一作。 | 投票 | |
G | 不連続殺人事件(1977/日) | この大人数をさばくには、ロバート・アルトマン作品ばりの緻密な設計と人物の仕分け手腕が必要なはずだが、どうやら安吾を借りて何かを語ろうとしたわけではないようで、脚本家が4人も寄ってたかって、映画的改変のあとはなく「みせる」アイディアは皆無。 [review] | 投票 | |
G | 聖母観音大菩薩(1977/日) | 意図的なのか、何のアイディアもなく同じような男女の状況が反復される佐々木守の脚本が退屈。さらにわをかけて若松孝ニの演出が平板で、松田英子は口先だけで苦悩を嘆くただの色情狂。見るべきものは鹿沼えりと浅野温子のハングリーさのみ。 | 投票 | |
G | 北村透谷 わが冬の歌(1977/日) | |||
G | 西陣心中(1977/日) | |||
H | Keiko(1979/日) | 28年ぶりに再見して気づいたことは、芝居をしていないように見せる芝居の原点が70年代の自主制作映画、しかも女性映画にあったこと。それは、自分+何かになりたいという女特有の虚偽性で、その延長線上に生まれたのが井口奈己の『犬猫』(04)だという確信。 | 投票 | |
H | 星空のマリオネット(1978/日) | 「やりたい事?自分を消してしまいたいことだけだよ」・・・60年代の「反抗」という日本の青春映画のモチーフは、必然的に70年代に入り「挫折の告白」へと突き進む。その流れは、この作品を境に「喪失と欠落」の露呈へと向かい始める。 | 投票(1) | |
H | 曽根崎心中(1978/日) | 互いを引き寄せ拘束し合う梶芽と宇崎の異様なまでの愛の磁力。世の善をすべて吹き飛ばす勢いで炸裂する橋本功の悪意。常識の壁に先を見失った井川の諦観。狭いスタンダード画面に押し込まれた人間たちがフレームをぶち壊さんばかりに濃密な情感を発散し続ける。 | 投票(4) | |
H | 青春PARTII(1979/日) | 前半の青春彷徨パートは画一的でちょっと退屈。しかし競輪学校に入ってからの一途さには共感を覚える。迷い続けること、そして信じ続けること、それが青春だとしたら舟木一夫もまた青春を一生引きずり続けるのだろう。 | 投票 | |
H | 原子力戦争 Lost Love(1978/日) | 佐藤慶が囁けば原田芳雄が従順に動き、あっけないぐらい簡単に謎は融解していく。サスペンスとして何のアヤもなく興味を煽る工夫も皆無。黒木和雄の没エンタメ志向の証明。当時の原発推進論者の理屈が2011年の今と一言一句違わず、その思考停止ぶりに驚愕。 | 投票 | |
H | もう頬づえはつかない(1979/日) | 同時代を知る身にとって、当時の女子大生の行動様式と生活感覚は確かにこんな感じだったのだが、難を言えば映画の語り口が、ひと世代前の、しかも、おっさんの常套句の域に留まり、女の話になっていない。私の周囲にいたまり子さんは、もっと愛らしく魅力的だった。 | 投票 | |
H | サード(1978/日) | 公開当時、主人公たちと同世代だった。その後、劇場で何度となく繰り返し観た。にもかかわず、いくら思い出そうとしても僅かなシーンの断片が記憶に残るだけで、核心がすっぽり抜け落ちた極めて印象の薄い映画だった。今回、見なおしてみたらその理由が分かった。 [review] | 投票 | |
H | 絞殺(1979/日) | |||
H | 正午なり(1978/日) |
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