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ジェリーさんのコメント: 更新順

★4ライアーライアー(1997/米)百面相のパワーで最初から最後まで突っ走る。この笑いのテンションは演劇にはないものだ。裁判の終結の切れ味も鋭く、ホーム・コメディーの秀作といえる。昨今がメンタル失調の時代のせいか、主役にかけられた呪いがどこか躁病的に感じられて、やや苦い。[投票]
★3モン・パリ(1973/仏)贅沢な映画だ。名優たちのいつもの使い方をがらりと変えた。ある特殊なシチュエーションのもとで、それ以外の細部は結構真面目に作るという基本を徹底しているから実におかしい。フランス語に堪能な人ならもっと笑っているだろう。[投票]
★1ソフィー・マルソーの愛人〈ラマン〉(2003/仏)自転車という小道具を前面に出しておきながらこの滑らかさの欠如した画面は何だ。濃密な摩擦熱を帯びた粘度の高い流体のような質感を滑らかというのであって、粉っぽい引っ掛かりのない画面は、どこを押しても底の浅さを露呈し未消化物を吐き出していく。[投票]
★5最後の忠臣蔵(2010/日)場面場面の光の調子に微妙な狂いがあったり妙に現代劇風に見えたりする部分が見られたり、決して完璧とはいえないのだが、それでも役者たちの見せ場作りのうまさが光る。正史からも稗史からも漏れ出た赤穂浪士たちの心情を描いた忠臣蔵外伝として最上の一作。 [review][投票(1)]
★3ウエスタン(1969/米=伊)丁寧さの極みに達した結果虚構度が本家西部劇を突き抜けた。「じらし」がここまでうまくなると殆どいやみであるが、中毒になる人もいるだろう。極端なクローズアップショットの間、観客はその場で進行中の事態を類推するしかないのだが、実は何も進んでいないということに何度も気づかされるだろう。[投票(1)]
★2ザ・ヤクザ(1974/米)一種の文化紹介映画なので科白が小理屈だらけになって活劇要素が縮んでしまうのは止むを得ないが、ムービー、スチル問わず写真というものの価値の根源に触れる何かがある。それは、発見への契機。居心地の悪さこそこの映画の意義である。高倉健はよいが岸恵子が中途半端になった。[投票(2)]
★3殺しのドレス(1980/米)スピルバーグもそうなのだが、観客の眼を直射する光はこの映画が制作された1970年代半ば頃に始まる。源流は勿論キューブリック。ヒッチに似るというにはあまりにも拙劣な作品なので論じるに足らぬにしても、このキューブリック光線の伝承定着には一役買った作品。[投票]
★2主婦マリーがしたこと(1988/仏)犯罪行為に携わる人物たちの描き方がテーマに比してやけに軽い。しかし後半一挙に重くなり、鉄面皮ユペールの面目躍如たる演技で締めくくられた。前半部の軽快さが、後半部の添え物であったと分かった瞬間、この映画の通俗さに評価も萎えた。軽さを馬鹿にした映画だ。[投票(1)]
★3ゴダールの決別(1993/スイス=仏)映画という、映像と言葉で物語る行為についての新たな冒険。この冒険行を登山に例えるとするならば、ゴダールは未踏の山をあるときは北壁から、別のあるときには南壁から、そして、時には厳冬期を好んで選び昇っていくようなところがある。 [review][投票]
★4バーバリー・コースト(1935/米)サンフランシスコの霧を視覚効果的にも、ストーリーの重要な要素としても使う。うまい上に効率的だ。議論もそこそこに活動するホークス的登場人物の動きの無駄のなさには常々感心するが、さらに本作はキャスティングが絶妙だ。 [review][投票(2)]
★3三悪人(1926/米)一巻目の西部開拓講釈には相当面食らってしまうが、実は饒舌こそフォード作品の本質の一端である。多くの作品に強烈なエスタブリッシング・ショットがあまた残されているゆえに見過ごされがちなところだが、彼はワンシーンの見事さだけで押すタイプではない、実に多声的な作家なのだ。[投票]
★5四川のうた(2008/中国=日)眼前する現在だけをフィルムに収め、過去の一切合財が登場人物たちの語りと表情の向こう側にしまいこまれている。イメージに「しない」ことで、過去が眼前する現在に圧倒的な重みとともにのしかかっていることが分かる。過去は今にしかないというパラドックスの鮮烈な映像化だ。[投票(1)]
★5パンチドランク・ラブ(2002/米)サスペンス映画の緊張感を常に一触即発を予感させる会話の間合いの中に確保し、喜劇映画らしい哄笑をキャメラワークのみによって現出し、バイオレンス映画の爽快感を生半可でないスピードの画面転換の中に息づかせ、かつ心地よい暖かさを全体に漲らせた恋愛映画。傑作だ。[投票(1)]
★1クリムト(2006/オーストリア=仏=独=英)今は焼かれて写真しか残っていない『医学』と名づけられた絵画の登場からスタートした冒頭部に続いて、矢継ぎ早に、クリムトやシーレ本人によく似た重要主題(俳優が演じている)がやたらに登場する。しかし、似ていることに関する考察の気配が薄い弛緩した姿勢に深く失望。 [review][投票]
★1愛のエチュード(2000/英=仏)シーンとシーンの間のつながりの弱さと、一つのシーンの中での描きこみの弱さが相乗した駄作。登場する人物の殆どが軽い。ということは、俳優の責任ではないということで、一切の責任は監督が負うべきである。主役俳優は二人とも好きなのでこの失点は残念。[投票]
★3チャーリーズ・エンジェル フルスロットル(2003/米)女性を主役にしたことで、身体は軽量化してもアクションが軽くなったのではないことが立派だ。一番すきなのが、ルーシー・リューのパパ。あの放心顔を見るたびに爆笑した。長期シリーズの可能性はなかったのか、惜しい。女優だから難しいかもしれないが。[投票]
★3ワイルドバンチ(1969/米)血が噴出す瞬間が見たい。素朴な窃視趣味にシンプルに応えた快作。暴力描写の映画史に必ず名前の挙がる映画としてこれからも記憶され続けよう。しかし本作ほど枝葉末節部分がへたな映画も珍しい。オヤジギャグのようないたたまれなさが幹の部分の凄惨さを微妙に中和する。[投票(2)]
★1アイリス(2001/英=米)普通なら回避するテーマ、「老いて死ぬ」というシンプル極まりない過程を描くことに敢えて挑戦したにしては、この引け腰は何だろうか。あまりに強いチャンピオンに対して、間合いに入り込めずぐるぐる周りを回っているだけのボクサーといった感がある。 [review][投票]
★3わたしの願い(1953/米)ダグラス・サークの演出力のすごさが、重要な舞台であるマードック家の居間に集約的に顕れる。緻密な撮影プランのもとに居間セットが巧みに構想されている周到さに感動せずにはいられない。一見不自然な中二階構造が屋内撮影の画角をとても多彩にした。 [review][投票(2)]
★3ディープ・ブルー(2003/英=独)後作の『アース』と比べると、こちらのほうがより詩的。水が作り出す青という色のかなしさや深さの量感が圧倒的で、体を起こしていることが難しい時間を過ごした。変な感想だが、水棲生物たちがサム・ペキンパー作品の登場人物たちのように感じられる。[投票]