★3 | 名犬ラッシー(2005/仏=英=米=アイルランド) | 主筋が単純なので、脇の筋、動物や俳優、衣装や小道具などに意識が向く。テーマは家に帰ること。炭鉱産業の斜陽や戦争の足音など家族が一つになりにくい状況を遠いこだまとして響かせながら、ドラマが揺ぎ無く進行した及第作。キャストはどれもいい。 | [投票] |
★2 | 大魔神(1966/日) | 宗教劇の一亜種として見ている。弱点は前半部分の花房家滅亡の部分がいい加減なこと。ここがよければ後半のスペクタクルがもっと盛り上がった筈。滝の上に小さく神像の上半身が見えるシーンが良い。あのショットによって、大魔神の存在に深さがでた。 | [投票(1)] |
★4 | インランド・エンパイア(2006/米=ポーランド=仏) | 統覚として現出する以前の未整理の意識断片が、まるで握り手がいくつもあるクラインの壷のようにつながりあいながらやがて何か一つにまとまろうとしつつ結局断片のまま下意識になだれ落ちていく生々しい運動の軌跡。人格と名づけられたものの構造解析としてこれほどクリアなものはない。 | [投票(2)] |
★1 | バタフライ・エフェクト(2004/米) | 映画はカット切り替えの際にワイプやフェードやオーヴァーラップでかろうじて時間の変化のニュアンスを伝えられるだけで、一つのカットの中の時制は常に現在なのだ。その特性を徹底的にもてあそんだだけという映画で、どこに創造性があろう。 | [投票] |
★3 | 美しき諍い女(1991/仏) | 下品さを恐れずに言えば、画家は性行為にふけることなく射精を遂げ、女は密室の中で衆人に自らの内臓をさらしたのだ。絵を描く前と絵を描いた後の画家とモデルの関係の一貫性のなさに、いかにもフランス流の冷たい観察力がきらめいている。 [review] | [投票(4)] |
★4 | 戦艦シュペー号の最後(1956/英) | 史実である戦闘が始まりから終わりまで一編の音楽のように美しく切り出されている。朝4時の海を表すために施された鉄製の手すりをぬらす露のリアルさ。アンソニー・クエイルからは生無垢の人物造形意欲が伝わってくる。本当の軍人がそこに立っているのだ。 | [投票] |
★3 | ホウ・シャオシェンの レッド・バルーン(2007/仏) | 家庭=家族という、いつの間にか劇映画が陥っていた認識の垢を清清しく拭い取り、異国人や家屋や家具や出入りする友人や業者も含めて家庭が形成されていく有様を、深刻ぶらずに再認識させてくれる目からうろこの映画。風船はこの家庭を見つめるまなざしの機能をもつ。 | [投票] |
★1 | なまいきシャルロット(1985/スイス=仏) | 幼稚な紋切り型映画。多少誉めておくと演出は堅実で、思春期世代のコンプレックスの様相はリアルに捉えられていた。しかし、これ以上リアルになると共感にならず、これ以上リアルがぼけると単なる教訓劇になる映画の立ち位置の取りかたに宿命的な凡庸さがある。 | [投票] |
★3 | 哀愁の湖(1945/米) | 妻の人格の壊れ具合が制作年代にふさわしいまともさと牧歌性を呈している。メイン州の別荘地までにいたる長大な伏線が必要なことは理解するが、伏線以上の効果を持たないのも事実だ。感情のうねりがより深く表現されるべくエピソードの挿入がもっと欲しい。 | [投票] |
★3 | 小間使の日記(1963/仏=伊) | 所有の王国に侵入した果敢なトリックスターの物語と思いきや、堅牢な鏡の国の中で自分を失っていくアリスの話であった。豊穣な「細部」で惜しみなく画面が埋め尽くされる。遮蔽物としてのドア、人間の暗黒面の隠喩としての靴、貪欲の犠牲としての生き物たち‥‥‥見事な視覚化だ。 | [投票(1)] |
★1 | アスファルト・ジャングル(1950/米) | 緩みに緩んだ映画だ。俳優と背景を映すだけでは映画にならない。同じ一つの部屋を映しているのに、カットとカットの間で、その部屋は一つの持続した舞台であるという演出者の意志が感じられない。役者には手も足もあるのに演技が顔だけでなされてしまっている。 | [投票(1)] |
★3 | 風櫃〈フンクイ〉の少年(1983/台湾) | 若竹の美しさを感じさせる。シンプルな筋だが飽きさせない。キャメラと俳優の距離感の取り方に特長があり、風景の絡ませ方が滅法うまい。特に、屋内描写に外の風景が生々しく入り込んでくる強烈さに感心した。この監督の多くの美点の中で最も輝かしい部分だ。 | [投票(1)] |
★4 | 踊るブロードウェイ(1935/米) | エレノア・パウエルのタップダンス至芸を見られるだけでも楽しいのだが、繰り返しギャグ、珍芸人のいびき芸、男装する女、女装する男など枝葉部分が倒錯的で面白い。ミュージカル映画の枠に収まりきれない過剰さがあり、マルクス兄弟作品の域に迫る。 | [投票] |
★5 | 怒りの葡萄(1940/米) | ジェーン・ダーウェルには舞台俳優のような深い思い入れのある演技の顔がある。ヘンリー・フォンダ には映画俳優らしいクローズアップに応えうる内省性を感じさせる演技の顔がある。そしてジョン・キャラダインの顔は演技を超えた実存そのものである。顔々の波動が交響し傑作となった。 | [投票(5)] |
★3 | 長江哀歌(2006/中国) | 恐ろしい速度で人間関係が壊れていく中国の有様を、四川省奉節地区の長江に落ち行く山の斜面が破壊される実景により鮮やかかつ象徴的に視覚化した力業に拍手を贈る。危機意識が静謐なる雄弁性とでもいうべき深さを湛えている。ハンマーの隠喩は完璧である。 | [投票] |
★3 | 穴(1960/仏) | 執拗なまでにコンクリートが穿たれるという事実を一箇所で凝視し続け、延々と地下に伸びる刑務所の迷路性を闇に輝く灯りの光を通して伝えるキャメラ。これほどキャメラに信頼のおける映画も珍しい。精密機械の運動を撮り続けたような映画。 | [投票(1)] |
★5 | 風と共に散る(1956/米) | メロドラマの女の演技を知りたいのならこの映画を見よ。男に背を向けて立つ女。水辺に立つ女。鏡の前で梳る女。様式美に満ちたポージングの連打に我々はなすすべもない。もの問いたげな目線の絢爛たる交錯というメロドラマの基本条件も見事に整っている。 [review] | [投票(2)] |
★4 | シー・オブ・ラブ(1989/米) | 追う者と追われる者が本質的には変わらないという主題が怖い。主役二人が最高です。 | [投票] |
★2 | 不良少女モニカ(1952/スウェーデン) | 趣味的には野暮臭いので嫌いだが、愚直に行動描写で人物を掘り下げるという基本は確か。貧困若年層の行動様式がくっきりと浮かび上がる。海浜描写の凄まじさに20世紀のアダムとイブの宿命が暗示されていて、慄然とする。本作品の中の海はまるで要塞の壁のようだ。 | [投票] |
★2 | ニッポン無責任野郎(1962/日) | 今の時代からは、計算なのか出たとこ勝負なのかがきわめて曖昧な人物として植木等は見えるが、私が真に驚いたのは全登場人物が植木等的だということだ。登場人物を脳天気に青々とした空が覆う。内省欠如の人物達が演じる白痴劇に、昭和的楽天への懐旧と吐き気とを同時に催す。 | [投票] |