ジェリーさんのコメント: 更新順
| オペラ座の怪人(2004/米=英) | 作曲者が制作者であるせいか、自作曲の歌唱シーンがくどさを感じるくらい丁寧なのが玉に瑕だが、オペラ座の高低のある内部を立体的にリアルに見せきった豪腕はほめたい。(墓のシーンもすごい) なじみのない俳優も新味がありかえって良かった。 | [投票] | |
| アレキサンダー(2004/米=英=独=オランダ) | 今の居場所から永久に遁走し続けるような生き方をなぜか選んだ複雑な人間アレキサンダーをコリン・ファレルが好演。父と母との関係がよく描けていなければ、理解に苦しむ映画となっただろう。ラストの戦闘シーンの赤色の処理は凄愴で美しい。 | [投票] | |
| 今宵よ永遠に(1945/米) | 「戦時下ロンドン映画」というジャンルを勝手に作ってしまう。『哀愁』と、『ミニヴァー夫人』と、これ。別れの瞬間を迎える恋人の切なさを活かす場として戦時下ロンドンと戦後の数寄屋橋は最高なのだ。かつ、本作はデパートのショウウィンドウ展示のように可愛い。 | [投票] | |
| アデルの恋の物語(1975/仏) | 簡素で清潔な画面。ロング・ショットは一切なし。作り物臭さのない美術(特にアデルの住む下宿や本屋) 大仰さを排して映像を邪魔しない音楽。いずれも「完璧」の一言。演出も素晴らしい。犬を情事の部屋から追い出すところや、男装でピンソン中尉を訪ねたアデルをワンカットで収める腕前など舌を巻くほかない出来栄え。 | [投票(1)] | |
| 北の零年(2004/日) | あなたは、この映画の吉永小百合 のような人生と、渡辺謙のような人生とどっちを歩むかというような究極の選択問題を作ることが出来るくらい、人物が類型的である。そして、大女優を何のテレもなく大女優然と起用し、セットを恥ずかしげもなくセット然と使っている。 | [投票(4)] | |
| 股旅(1973/日) | 一寸の虫たちに宿る五分の魂の切ないおらびを聞いた。逃げ出すことしか自分を表現する方法を思いつけなかったこの若者たちの情けなさやいじましさは、この作品の作られた1970年代の時代相を含みつつ、それを超えて意外なほど我々に近しく迫ってくる。 | [投票(1)] | |
| 裸のランチ(1991/英=カナダ=日) | 前衛映像に前衛ジャズという組み合わせ方がはや後衛なのだ。"disgusting"という言葉の語感を知りたかったら、この映画を見ろといいたい。ところで、粘液イメージの不快さの根源はいったい何によるものか、猛烈に知りたくなった。妙なところで好奇心をくすぐる映画だ、まったく。 | [投票(2)] | |
| ジャコ萬と鉄(1949/日) | 三船敏郎をスターにした一本ということは想像に難くないが、全登場人物が妙に最後に善人になる作りごと臭さを感じる。個人の恩讐が労働歌の合唱の中にかき消されていくストーリー展開に、1949年当時の日本人は無理を感じなかったのだろうか。 | [投票] | |
| 大いなる遺産(1998/米) | 一見、緑色が美術の基調を作っているかに見えるが、ズドーンとした映画を貫く骨太の基盤があってようやく映画芸術のスタートラインに立つのである。場当たりのつなぎ映像から感動がもたらされることはないし、飾りすぎの映像から品格が薫りたつこともない。 | [投票] | |
| 熱砂の日(1982/英) | 若きグレタ・スカッキが上品できれいであった。戦前公開された映画のような邦訳タイトルも利いている。 | [投票] | |
| ジョニー・イングリッシュ(2003/英) | ローワン・アトキンソンの顔が出ただけで爆笑する。ジョン・マルコヴィッチ とナタリー・インブルーリアはご本家でもそのまま使えそうなくらい「らしい」作りになっているので余計おかしい。 | [投票] | |
| ジョゼと虎と魚たち(2003/日) | 今まで見てきた映画の中で、これほど登場人物にリアリティが感じられる映画も少ない。そのままありのままに人間がフィルムに定着されている。誰もが好くとは思わないが、池脇千鶴と上野樹里の喧嘩シーンが奇跡のように異様で美しく面白い。 | [投票(2)] | |
| 私は告白する(1953/米) | 不自由を自ら選択する自由人についてのヒッチコックの私的思い入れに満ちた詩篇。この不自由状態を表現するのに、モンゴメリー・クリフト の硬い美貌とロバート・バークスの意識的に硬質なローキーの画調がものすごい効果をあげている。 | [投票(4)] | |
| 座頭市二段斬り(1965/日) | 伊福部昭のスコアによる哀切なギターのモチーフが映像にマッチする。彼の音楽によって彩られた怪物はゴジラだけではなかった。ストーリーにはひねりがないので、見ごたえはないが、あの小林幸子扮する娘と子守唄はずっと耳に残りそう。このシリーズ一番の音楽編。 | [投票] | |
| ローマの休日(1953/米) | オードリー・ヘプバーンが、気品と優雅と純粋さを一身に体現した文句なしのはまり役。デビュー作でここまですべての可能性を開花させてみせたケースはないだろう。銀幕の向こう側のアン王女にこの動悸が聞こえはしまいかと恥ずかしくなるほど胸ときめかせた映画。 | [投票(3)] | |
| ゴースト・ストーリー(1981/米) | フレッド・アステアこのとき82歳。ハリウッド・ミュージカルの頂点に君臨した名優の最後の映画がなぜ、このくずのようなB級ホラーなのかと思う。雨降る森の中でフレッド・アステアが濡れそぼってたたずむ終わり近いシーンを見ていて感慨深かった。ところが、後年、 [review] | [投票(1)] | |
| ミスター・グッドバーを探して(1977/米) | あらゆる行く先に通行止めとその抜け道が同時に作られてしまうこの不定形な時代に今生きて、生き延びるパターンすらうまく描きえなくなっている我々から見ると、昼と夜の顔を使い分けるというキャラ設定で女主人公を一人作れる時代があったということが実に懐かしい。 | [投票(1)] | |
| ゴースト ニューヨークの幻(1990/米) | 「幽霊」という言葉は世阿弥の造語という話をどこかで聞いた。東洋・西洋や芸能のジャンルに関係なく、幽霊と芸能の関係の根っこは実は深い。そうした背景を思うとき、この幽霊は1990年という時代の、映画というジャンルにふさわしい幽霊らしさを感じる。幽霊のアイデアにまた一つ創見が加わった感じ。 | [投票] | |
| 極楽特急(1932/米) | ガストンがコレ夫人宅の階段を駆け上がり駆け下りるシーン、時計の表示板の進行に台詞だけがかぶさるシーン、無駄なカット何一つなく、切り詰められた省略の美しさのきわみ。なおかつ洒脱。邸宅のデザインの斬新さも素晴らしく、美術品のように賞玩したい作品。 | [投票(2)] | |
| 五線譜のラブレター De-Lovely(2004/米) | せいぜい書けるのはアシュレイ・ジャッドの好演だけで、あとはコール・ポーターの名曲順に脚本を辻褄あわせした凡作という評価しかできない。一見良心的作品づらしているだけに始末におえない。音楽映画ははずすと失望が大きいことをまたしても実感。 | [投票(1)] |

