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★3正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官(2008/米)可変的な概念に過ぎない「アメリカ市民」に自らを代入することの成功と失敗が各人の結末の幸不幸を峻別する酷薄はアメリカ中華思想の裏返しだが、ともかくハリソン・フォード周辺の挿話が贅肉だ。移民取締業に対する彼の葛藤は劇の駆動力たりえず、殺人事件は問題の本質を異にしている。場面転換時の空撮反復も単調。[投票]
★3幸福な食卓(2006/日)あ、悪くない。「どうしたらサバを給食から追放できるかなあ」とか「変な鞄」などの可愛らしい細部があるだけで人は映画を好きになることができる。登場人物全員が「頭が悪い」のではなく「頭が悪そうに見える」のも偉い。後半は失速かつラストは悪い意味で鳥肌。演出に慎みのあるシーンはよい。ないシーンは悪い。[投票]
★3スチレンの唄(1958/仏)教育テレビのプログラムでも見ているような。とつい安直な印象を述べたくなるが、真摯に見ればこれは立派なアクション映画。機械やプラスチック原料すなわち「モノ」のアクション。人間の不在ぶりがいい。撮影サッシャ・ヴィエルニー、脚本レイモン・クノー、指揮ジョルジュ・ドルリューなどスタッフは無駄に豪華。[投票]
★3ローラーとバイオリン(1960/露)学生時代の共同演出作『殺し屋』なども含めて初期のタルコフスキーは比較的オーソドックスな話法を志向しているが、非現実的イメージ偏重の姿勢も垣間見られる。原色のローラーや壁面に光が踊るテクニカラー仏映画のような画面。少年は約束を果たすこと能わず、想いを乗せた紙飛行機は届かない。幸福な幼年期の終わり。[投票]
★3白夜(2009/日)昭和三〇年代日本映画と見紛うような古めかしいダイアローグ。下手糞! と初め思われた眞木大輔の発するそれが段々と味になるのだから侮れない。堂々巡りのようでしなやかに進行している螺旋階段のような作劇にも納得。だが「着替え」等々の楔の演出にもっと感動が欲しい。「赤い橋」も映画を担うほどの場所か。[投票]
★3ワイルド・スピード MAX(2009/米)ジャスティン・リンは見所ある演出家だ。冒頭「下り坂」の見せ方など。だがこれはシリアスな語りよりも笑いが求められる映画だ。ヴィン・ディーゼルポール・ウォーカーの顔面も映画を支えきれていない。シーンを執拗に暗闇で展開させる志向(夜/トンネル)は頼もしいが、より質の高い撮影の必要も感ずる。[投票]
★3湖のほとりで(2007/伊)撮影はよろしいが「全員怪しい」というミステリ状況の割にサスペンス演出が牽引力に欠け、真犯人の明かし方も少々拍子抜け。捜査を通じて事件関係者・主人公警部の背景が浮かび上がってくる仕掛けも大成功とまでは。白髪の相棒はもっと上手く使えたはず。電子音とヴィオラの響きは良くも悪くも耳に残る。[投票]
★3しんぼる(2009/日)額面通りに受け取るならば、松本人志はここで「神話」を語ったということなのだろう。身も蓋もないギャグとしての神話。また日常と非日常の按配が松本の方法の核心だ。抽象空間に溢れる日用雑貨。生活感漂う風景に溶け込む覆面レスラーの異物感。そして両舞台の切り結び。メキシコ篇の安定した演出技術も無視できない。[投票]
★3精神(2008/日)被写体を「残酷に」尊重した真摯なドキュメンタリ。大雑把にはフレデリック・ワイズマンスタイルと云ってもよいであろうが、そのハードボイルド性においてはワイズマンに到底及ばない。まだなお解説的である。また幾分叙情的でもあるが、それは美点かもしれない。スガノさんの写真と詩のシーンが感動的だ。[投票]
★3世界の全ての記憶(1956/仏)「迷宮としての図書館」という見方そのものに驚きはないが、ジスラン・クロケの卓越した黒白撮影と独創的な空間把握がそれを画面上に具体化する。ボルヘスとも紙一重の現実的で幻想的な世界。また単純に国立図書館の「お仕事紹介ビデオ」としても面白い。モーリス・ジャール最初期の仕事はやや五月蠅いか。[投票]
★3山羊座のもとに(1949/英=米)ジョセフ・コットンイングリッド・バーグマンの悲劇的相思相愛に「階級コンプレックス」というアメリカ映画では成立し難いヒッチコック的モティーフを絡ませたメロドラマ。長回しは技術の誇示かせいぜい芝居の緊張感への貢献にしかなっていないと思える。女中の怖さが中程度というのも作品の半端さを象徴している。[投票]
★3マン・オン・ワイヤー(2008/米=英)理由なき偉業あるいは無茶。理由がないというのが美しいのだ。射芸練習シーンの楽しそうに原っぱを駆け回る姿に「ああ青春映画だ」と少し感動。確かに、これは青春映画だ。上映時間の大部は計画・準備の描出に割かれるが、緻密さには欠けるか。『アルカトラズからの脱出』ばりの劇映画として見たかった気も。[投票]
★3レベッカ(1940/米)「マンダレイ」という語の響きがまず甘美かつ不気味で、魅惑的だ。超自然と俗の間で揺れる物語をジュディス・アンダーソン(超怖い)とジョージ・サンダースで支える配役法。撮影技術的には映写機の間歇的な光線がジョーン・フォンテインの顔を照らすカット、屋敷を回遊するがごとき終幕部のカメラワークが目立つ。[投票]
★3ピンクの豹(1963/米)「今宵を楽しく」歌唱&ダンスシーンが突出している。クラウディア・カルディナーレは相変わらず美しいものの、彼女の出演部分はほぼ退屈で困る。仮装パーティシーンはそりゃ笑うわという意味でずるいが、ロケット花火の乱射はすばらしい。ロケット花火は破壊的な光の線を画面に走らせる映画的な小道具だ。しかも安価。 [review][投票]
★3ブッシュ(2008/米)ブッシュ政権の前半期を愛すべき無能人間の親子ドラマとモノマネショーに解消せんとする企画屋ストーンは結局のところ「アメリカ」を肯定している。自浄装置として映画を「アメリカ」というシステムに捧げている。エリザベス・バンクスがよい。閣僚連中の原っぱ歩きは『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』的馬鹿馬鹿しさ。[投票]
★3五線譜のラブレター De-Lovely(2004/米)上映時間が経過するに従ってつまらなくなる。回想に対して「現在」がちょくちょく茶々を入れる構成はやはり好みではない。導入と結末には不覚にも感動したが、それはそこに登場する人々の「量」が感動的なためだ。ケヴィン・クラインは二〇〇〇年代のハリウッド映画で主役を張る顔ではない。そのクラシカルさがよい。[投票]
★3一番美しく(1944/日)単純化による強靭さの獲得は間違いなく黒澤の美点のひとつであり、それがときに「国策映画」と相性のよさを見せたとしても、それは決して不名誉なことではない。黒澤はいつも人間を信じている。映画の水準で云えば、それは「顔面」を信じることだ。「労働」のディテイルが描かれているのもよい。ダサい繋ぎさえ愛らしい。[投票]
★3ゲルニカ(1949/仏)一枚の絵画の「部分」を順次に示して「物語」を再構成するという方法論が「ゲルニカ」の性質に適っている。云い換えれば、素材に対する映画作家の解釈=主観的態度に基づく煽情的な演出だ(むろん素材の強さあってこそのものだが)。さらに換言すれば、画家/美術作品の映画であるのと少なくとも同程度にこれはレネの映画だ。[投票]
★3フレディ・ビュアシュへの手紙(1981/スイス)フランソワ・ミュジーの初参加作だそうな。「ボレロ」が繰り返し挿入されるが、その挿入および打ち切りのタイミングがまったく予測できず、凄い。街を歩く小母さんの背後からグラサン男が猛ダッシュを仕掛けてくるカット、下を向いたカメラが右に移動しつづけて舗道から岩へ、そして海に至るワンカットが面白い。[投票]
★3捨小船(1923/米)キートン作品におけるカッティング・イン・アクション。キートンを「アクションの天才」と呼ぶとき、それはつまり「アクションをする/見せる天才」という二重の意味を帯びている。さらに、夢落ちと見せかけてその後にもうひとつ微笑ましい落ちをつける話芸の妙。キートンはシナリオ作家としても抜群に頭がよい。[投票]