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disjunctiveさんのコメント: 投票数順

★4特攻サンダーボルト作戦(1977/米)すでに未来が知られている倒叙において、未来が先行するからこそ、物語の現実がそこに追いつかないという苦しみが生じている。ブロンソンはすでに放たれた。しかしその力を開放すべきか、政策判断の均衡するタイミングは遅延し続ける。えらい。 [投票]
★4トラック野郎・男一匹桃次郎(1977/日)EUREKA』や『黄泉がえり』なみに気の狂った九州の地理感覚にも臆せず、文太は知的縮退と漂流の物語をあきらめようとしない。意気地という爆走する自我が、脱線形的な風景の断面に沿って折りたたまれたマドンナの自意識の痕跡を発見するのだ。[投票]
★3ぼくを葬〈おく〉る(2005/仏)当事者性を、社会に対して申し開きをする責任を割り引く資源として当てにしすぎるあまり、不幸の著しいカジュアル化が引き起こされている。フィクションを以て責任を引き受けたいのであれば作劇の精緻化が筋ではないか。[投票]
★4三月のライオン(1991/日)動機の童心的な(=イヤらしい)観察と四囲の景物の几帳面な専制との裂溝は政治的なオプションであるが、結果として、景物に対する小心さが、風俗観察を時の風化から保護しているようにも見える。[投票]
★4ベティ・ブルー/愛と激情の日々(1986/仏)遊牧生活の最後の戦いを痛惜するのではなく、神経疾患を演じるという理性を発見し、人間という幾何学的様相の完成に安堵してしまうのである。ダルのアレは演技でなく地だらう、というドン引きが俗世の知見に癒されてゆく。[投票]
★4アモーレス・ペロス(2000/メキシコ)勧善懲悪も経営シミュレーションも良俗の指令なのだが、これが愛すべき誤謬に襲われ阻却されると、風儀の口やかましさという一人称的表出だけが残存してしまうと思う。 [投票]
★4インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア(1994/米)啓蒙的性格の観察は、未来傾斜への福々しい信頼の実効まで、普遍性ゆえの無時間で抑圧をかける。運動表象が物語に現れた好ましさとは何か。われわれはそこで時を想起している。[投票]
★38人の女たち(2002/仏)典礼を、悲劇を語る権限を奪い合うゲームとして利用したのは、形式主義を以てしか女に接近できない男の記憶イメージである。真実への近しさを自罰からの遊離ととらえるような後ろめたさは、セクシャリティのこうした保護検束に由来するのではないか。[投票]
★4裏切りのサーカス(2011/英=仏=独)感情表出への接近を特権ととらえるべきではなく、それは、当事者性を託し合わせる空間分布の冒険談であるべきだ。その中で、オッサンは、オッサン自身の不行跡な心のはたらきの広がりを受け手とともに知ることだろう。[投票]
★4われらの歪んだ英雄(1992/韓国)事態には解決法があるという工学的な自信がある。再分配の誇示も制度設計への信頼の一環だろうと思う。では、今更に男を悩ますものは何か。そこでは、ごく個人的な外傷を社会化することで何らかの療法が行われているように見える。[投票]
★4コンドル(1975/米)机上演習の奏功に伴う暗さには、宇宙が自分に帰結するという事態を退屈だとする世界観がある。したがってその宇宙からあたかも隔絶して君臨するかのような振る舞いが、人類のポエジーを醸す意味でも、受け手を欺く作劇法の観点からも、要請されるだろう。[投票]
★4黄泉がえり(2002/日)あの山向こうの盆地には長澤まさみ、田中邦衛、哀川翔etcが日常を演じ続ける夢の塩田映画村があるという。しかし、霞が関の平原に帰還した草なぎの、憑き物が取れたような顔面を参照すれば、それは煉獄であるという。これは良識についての映画である。[投票]
★4薄れゆく記憶のなかで(1992/日)清純さを清純であると判断を可能にする基準のなかに、すでに何らかのスケベ心が含まれている。このオチは、自他をあざむくのに汲々とするようでいて、しっかりと男の自惚れと未練を担保している。そして、かかる不見識は正しいように見える。[投票]
★3追憶(1973/米)これは自己実現の願望を嘲笑する話に見えたが、ポラックのリリシズムは完全に本気である。彼のリリシズムには、女の執念に激昂してしまう生理以外に信じられるものはないのだ。[投票]
★4薔薇の名前(1986/独=仏=伊)ベルナール・ギーを例によってたっぷりと演じて男前を上げるエイブラハム先生が好きだ。元来作品の持ってた高慢な料簡が脱落した意味で、この俗化には共感を呼びうる物があると考える。あの軽すぎる風采にはかえって人であり続けることの強烈さがあるように。[投票]
★4ミッドナイト・イン・パリ(2011/スペイン=米)天国があった、ということではなく、天国があまりにも精緻すぎる、という苦しみであるようにも思う。秩序へのセンスを絶えず要求する圧迫感が時代を超えたとき、ストレスの翼に乗って男の顔芸がのびのびと高翔する。[投票]
★4助太刀屋助六(2002/日)一徳の自意識や仲代の美意識が、多動性障害の世にも幸福な有様から漂う自己呈示を有徴化しかねない。旗色に感受性がありすぎる庶民主義を中和する方へそれが働いたとしても、後味の暗さは払拭できないように見えた。[投票]
★4テルマエ・ロマエ(2012/日)受け手の自尊心を充足させる試みが規範的な効力を持つに至れば、今度は受け手に生じる警戒感への対応が求められるだろう。老醜の再解釈を通じて行われる規模の拡大は作劇のたのしさであるが、そこにはこうした警戒感を癒すやさしさも含まれていると思う。[投票]
★4映画けいおん!(2011/日)女に芽生える何を今更なセクシャリティの意識が、気色悪くなりかねない密度依存的な個体群の観察記に構造を与えている。それを手掛かりに、演奏がどこまでも間延びするようなTVシリーズの永劫回帰的な結末を乗り越えようとするのは救いのように感ぜられた。[投票]
★4外事警察 その男に騙されるな(2012/日)テレビに続いて篤郎の挙動が落ち着かず、それがフェイクだと分かったところで、余計に人格破綻の印象を強めかねない。総じてみれば真木よう子の峻烈な意志の物語になっており、女性の変貌する心理に血管を浮かせる語り手の変わらぬフェチがうれしい。[投票]