[コメント] ブレードランナー(1982/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
私の持っている映画(ビデオ、LD、DVD全て含めて)で、いくつか本当に繰り返し繰り返し観る作品というのがある。一番多いのがやはり押井守作品だが(特に『うる星やつら2』は様々に媒体を変え、何度観たか分からないほど)、他の映画で言えば、ダントツに多いのが本作。劇場鑑賞こそ逃したものの、私の故郷で初めてレンタルビデオ屋が出来た時は真っ先に借りた(勿論初見。当時一泊二日で1500円もした)。あのSFチックな設定。最後のあの名シーン。とにかくはまった。友人がそのビデオを持っていると聞いた時には拝み倒して借り、「絶対にやるな」と念を押されたピクチャーサーチをこっそり何度も何度も行って、細かいところまで観たものだ。勿論ビデオで完全版も最終版も観たし、LDで「最終版」「完全版」が出た時は両方とも買った。DVDでも「最終版」真っ先に買った。お陰で今でも劇中の台詞の多くは言えるし、あのルドガー=ハウアーの最後のシーンは鏡の前で練習までした…本当に良くやったものだ。確かに自分でも阿呆らしいと思う。でも、それだけはまった映画がある。と言うことは凄いことだと思う。
以降、思いつくままにこの作品の魅力について書かせていただく。
まず設定面だが、この映画はこの点について語られることが多い。どちらかというと原作の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』よりはウィリアム=ギブソンの『ニューロマンサー』っぽい世界観だが、サイバーパンクの世界を初めて(そして多分唯一)映像化に成功させたのはいくら褒めても褒めすぎって事は無かろう。ポリススピナー、デッカードのブラスター、レプリカント判断装置のギミックなど。小物も巧くはまっている。
高層建築が立ち並ぶ未来世界はそれまでもかなり考えられてきたが、その下で逞しく生きる人間がいるという、小汚い生活感に溢れた描写も巧い。かつてのSF的な清潔感溢れる夢物語とは異なり、その下で蠢く人間がいるという点。それがサイバーパンクの世界の醍醐味で、それをはっきり分かっていたと言うところに監督の良さがある(考えてみれば当たり前のことだ)。
次に演出面だが、演出というのはSF作品についてはとても大切。いくら未来的な設定を作ったとしても、登場人物の身の回りにあるものが今のわたし達が見て違和感がなければ、いくら金をかけてもSFのように見えない。逆にリアリティを出そうとすればするほど、わたし達がいつも見ているものばかりになってしまうと言う問題が起こってしまう。更に、常識から飛び抜けたものばかりが出てくると、今度はこれはこれで全然リアリティを感じさせなくなる。そのさじ加減が無茶苦茶難しい。本作で面白かったのは、単なる近未来的な描写に留まらず、むしろ舞台の中心となっているのはゴシック様式だったりするところ。未来の話を作るのに、アイテムを過去から持ってくると言うのは本当に卓越した演出方法だった(お陰で既存の建築物を用いているにも関わらず、それが未来的に見せてしまうことにも成功してる)。監督の趣味が見事に役だったと言うべきか…それに冒頭に出てくる和風趣味。これが又実に小気味良い。空を飛ぶ強力ワカモトの宣伝、スシバーでの日本語の(一方的な?)会話(これも練習したっけ。「二つで充分ですよ」とか…)。うどんをすするハリソン=フォード。監督のゴシック&和風趣味がこれほど“未来”にはまるとは。それと夜の都市を美しく撮るのはなんと言ってもリドリー=スコット監督の独壇場。雨にけぶる街のシーンは幻想的そのもの。一つ一つの部屋も特徴づけられていて(デッカードの住む狭い部屋、暗い警察署内、だだっ広く変なオブジェが並ぶセバスチャンの部屋、唯一自然光の当たるタイレル社長の部屋…)、その違いがはっきりしていて面白い。
カメラ・アングルも凝ってる。冒頭部分の街の下層の描写は俯瞰気味に撮っているのに対し、ラスト部、最後のレプリカントのロイとの戦いではあおり気味に撮られている。この作品、基本的に縦のカメラワークが多い。この都市の中からは逃げられないと言う事実をカメラワークで見せるなんて、見事だ(最後の瞬間、ロイが鳩を放つ瞬間こそがこの作品のラストなんだろう。都市から飛び立つ、と言うイメージを残して)。
後は、これはSFに限ってのことではないが、とても重要なストーリー。これに関してもこの作品、かなり深い。単純に考えるならば、この作品のストーリーは“人間に紛れているレプリカントを探し出し、壊す”と言うだけの事なのだが、そこにデッカード自身の“人間とはなんだ?私は誰だ?”というメッセージを織り込ませることによって深みを増している(オリジナル版ではこの辺りが結構希薄で、むしろレプリカントであるレイチェルの自我の方にスポットが当てられていたようだが、「最終版」では最少の演出だけで見事にデッカードにそれがもって行けたのは見事だった)。オリジナル版のラストも悪くないけど、最終版の不安そのものを表すかのような唐突なラストも好きだ。
ところでこの作品、本格SFとして製作された癖に、恐ろしく予算が少なく、いかに金をかけずにSF的要素を詰め込むかスコット監督も相当に苦労したらしい。だから画面をよく見てると一つ一つのパーツが兎角流用されていることに気付くし、冒頭の町の風景は殆ど市販のプラモデルを使ったもの(ビルの一つはミレニアム・ファルコン号のプラモデルだと言うのは有名な話。『スター・ウォーズ エピソード1』ではルーカスがお返しに、しっかり画面にポリススピナーを出している)。オリジナル版のラストで流れる風景は『シャイニング』の流用。さすがに予算と演出で疲れ切った監督は後に「こんな作品はもう二度と作らない!」と断言してるほどだった。
最後にこの作品は本当に名台詞が多いが、その中でも極め付きに好きなのがロイのラストの台詞。敢えて原文で書かせてもらおう(私のヒアリングは限界があり、更に随分前のを記憶を辿りに書いたので間違ってるかも知れないけど)。
「I've seen things you people wouldn't believe.Attack ship on fire off the shoulder of Orion. I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhauser gate.All those moments will be lost in time, like tear in rain. Time to die」
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