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[コメント] ブレードランナー(1982/米)

何となく受け止めた初見時。後にこんなにも自分の中で大きくなっていった映画はない。記憶として肥大化してゆき、もはや自分の一部になってしまっている。でも、ルトガー演じるレプリが言うように
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







こんな映画の記憶も、いずれは消える。

 文明がどこまで発達しようと、自分が存在する意味を教えてくれることは決してない。いや、それは、文明それ自体にも、それを織り成し未来を勝ち取ろうとする人類の営みそれ自体にも、絶対的な意味なんてありはしない、そんなブラックホールのような真実の一端に過ぎない。そう、僕らもやがては絶滅する。営みの記憶とともに。

 悠久に見える有終の営みの中、それでも僕らはミクロな差異と優劣を求め、戦い続ける。ちっぽけな存在意義を獲得し、自らの営みを永続させようと夢見て。レプリカント・・・僕らは彼らを怪物として排除するだろうが、僕らが彼らのように怪物でない保証なんてどこにあるだろう?確かなのは、狩る側と狩られる側、そして、永遠のイタチごっこ、それだけだ。

 その空しさに先に気づいたのは、しかし、レプリの方だった。そして、彼はデッカードを助けた。いや、違う、生かしたのだ。自分が存在したその記憶を少しでも留めるために。自らの悠久を望めないと知った彼は、せめて記憶として継続し続けることを望んだのである。それは記憶の断絶とともに迎える絶対死への、無力だが、切実な抵抗だったのだ。

 やまない酸性雨、溶かされた鉄と油の匂い、明るすぎる夜、ねむれない都市、湿っているはずなのに、どこまでも乾いた空気、全ては架空、影であるに過ぎない。しかし、それらは確かに現実を映した影なのだ。だからこそ、この映画の全てが愛しい。そして、こんな映画の記憶もいずれ失われてしまうということが、どうしようもなく悲しい。何故なら、虚像が消えるなら、実像もまた消えずにはいられないからである。

 記憶の断絶=絶対的な死・・・消滅。“僕”が死ぬことは絶対的に悲しく、それ以上に、“僕ら”が滅んでしまうことは、とてつもなく悲しい・・・

 あのレプリは僕たちだ。

(評価:★5)

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