[コメント] 時をかける少女(2006/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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千昭の「お前タイムリープしてねぇ?」の発言に驚き、最後の1回を使い果たしてしまう真琴。決して有意義ではないその使い方に落胆している彼女の後ろを、功介たちの乗った自転車がすり抜ける。商店街の時計が、ゆっくりと4時の時報を奏で始める。全てを理解する真琴。そして全てを理解する僕ら。
鳥肌が立った。こんな単純な引っ掛けに心の底から引っ掛かり、あまつさえ心の中で「しまったぁっ!!」と叫び声を挙げた。ここから時が止まるところまで、僕自身が時を忘れ我を忘れた。
正直言えば、前半での千昭を無視する辺りは僕の好みの展開じゃなかった。愚かだとわかっている行為を、後半の盛り上がりのためにわざわざ用意する映画は好きじゃない。単純にまずイライラするし、大体の場合そんなことをやる映画はそのイライラを回収するだけの盛り上がりを用意してくれない。
だけど今作は違った。功介を心配して踏切に走る真琴で一度盛り上げ、その後の千昭の電話で踏切事故のことを一回忘れさせてしまう。「タイムリープの謎を解く」という本来あるべき流れに戻ることで、観客の意識を次の段階に進ませてしまう。そこで再度踏切事故がノンストップで走り出すから、不用意だったこちらはその荒波にすっかり飲み込まれてしまうんだ。
また冒頭の事故で真琴の靴が飛ぶのを強調しているため、功介の靴が飛ぶことで彼らが同じ事故に遭うことが無言のうちに明確に示される。と同時に靴によって真琴の走りも止められてしまう。観ている僕らに「運命は変わらない」という無力感すら押し寄せる。ここのシーンは本当に本当に上手い。
このショックですっかり頭が空っぽになった後に、「千昭のためにタイムリープする」という今一度の(嬉しい)クライマックスが訪れるため、前半のイライラも含めて全てを飲み込めてしまうんだ。あの最後の最後のタイムリープは、「これで全部上手くいく」という開放感をたっぷりと味わわせてくれた。3人が仲良くなっていく景色が浮かんでは消えていくタイムリープで、「三十路男がアニメで泣くのか」とみっともなく思いながら涙が出た。
また千昭が告白をするシーンも良かった。本来ならすぐに「一緒に帰らない」という方法を選べば済むところを、この映画は何度も何度も彼らに河原を走らせる。そこで何をどうしても千昭が告白するという展開を観せることで、彼の言葉が思いつきではないことを分からせ、同時に何かこの告白が「運命」であるような気持ちを抱かせてくる。前述の靴のシーンでもそうだったが、今作は言葉で語ってもいないのにどこか「運命」という言葉の匂いがする。
「時間を飛べるようになった少女が未来から来た少年と恋に落ちる」という大枠では、今作は今までの『時をかける少女』と何ら変わりを見せていない。にも関わらず圧倒的に「違う」と感じさせるのは、今作が「気持ちを伝えようとする言葉」という普遍性のあるテーマを有しているからだ。もちろん舞台は現代だし登場人物も前とは違う。でもそれ以上に作品が語ろうとする主旨が異なっているから、現代性と普遍性を兼ね備えた幅の広い物語になっているように思える。
そしてだからこそ千昭との別れでは、一旦は彼に「怪我に気を付けろ」という的外れなセリフを言わせるのだろうし(ここも敢えてイライラを作っているので、本当だったら説教だ)、最後の最後で“キスの代わりに”「未来で待ってる」という本当の気持ちを伝えさせるんだろう。テーマを完遂しながらしっかりと切なく暖かい別れ。ここでもまた時代を超える「運命」の匂いが漂う。全てが一本の糸になっている。
背景、構図、キャラクター、伏線、言葉、全てがしっかりと美しく紡がれている映画は観ていて気持ちがいい。
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