[コメント] バベル(2006/仏=米=メキシコ)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ここまで幅広く現代世界の歪みを見せつけられると、何を信じて生きていけばいいかわからなくなる。911以後、クリエイターがこの世界への不満を強く感じるようになって、それを表現いていく流れがとにかく強い。『アモーレス・ぺロス』『21グラム』『バベル』と意識の高い作品を撮ってきたアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥも然りだろう。
モロッコ、アメリカ、メキシコ、日本…。世界の縮図を見せる上で、なかなか巧みに選んだロケーションではないだろうか。それぞれの場所を映し出した撮影も印象的。特に、空が。モロッコの砂漠の曇った空が、アメリカとメキシコ国境の青すぎる空が、ネオンが輝く東京の空が…。不穏な雰囲気を感じさせ、そこからどうしようもない世界の姿が見えるようで。
メキシコでは結婚式が華やかに祝われているとき、東京では若者がクラブで踊り狂っているとき、モロッコでは殺人未遂事件が起きている。全然関係がない事件のようでも、実はどこかで繋がっている。それを対比しながら、イニャリトゥの得意技である同時性を持たせる編集によって繋いでいくことで、表裏一体の関係を浮き彫りにしていく。
自分がバカみたいに夜の街で酔っ払っているときに、同じ星のどこかでは難民が行き着く場所もなく彷徨っていたり、民族紛争で多くの命が失われている。……そういう重い事実を頭に過ぎらせるだけに、複雑な気持ちにさせられる。
表裏一体という意味で心に響いたエピソードは、アドリアナ・バラザ演じる家政婦の物語。ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット演じるモロッコ旅行中の夫妻の子供の家政婦である彼女は、この映画の中では一番の善人であるが、その彼女が一番世界の理不尽さに被害を被るという…。
アメリカの法により、理不尽な送還を宣告され、いままで築いてきた16年間をフイにされるバザラだが、同じ頃、銃撃で負傷したブランシェットは、アメリカとモロッコ間の法的事情により、救出までの時間を大きくロスし、夫のピットに大きなフラストレーションが溜まる。これがものすごくアイロニカル。あるところでは自分たちを守る法律が、あるところでは自分たちを締め付けるのだから。
現代をすごく良く描いていた秀作だが、着地点はなんだか消化不良である。確かに、世界のいろいろな場所を登場させ、エピソードを世界共通のものとして描ききっていたが、風呂敷を広げすぎた感がある。
テーマが大きすぎたのかもしれない。身近な人間関係をじっくり描いた方が、同じ事を語るにしてもうまく終着できることが多い。イニャリトゥの前作『21グラム』の方が、主人公3人の人間関係に焦点を絞っていたため、命の意味という壮大なテーマを語る上でもまとまっていたように思う。
ラストシーンを、一番人間像を描けていなかった東京のエピソードで締めくくったことにも疑問が残る。菊地凛子は健闘していたけれど、これだけ大きなテーマを締めくくるだけの説得力が、彼女の裸と役所広司の抱擁には持たれていない。スティーブン・ソダーバーグの『トラフィック』のラストシーンにおけるベネチオ・デル・トロの微笑のように、無言の説得力がないと群像劇は締めくくれないと思うのだ。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (17 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。