コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] もののけ姫(1997/日)

私にここまで両極端な評価を併せ持つ作品を見せつけるとは凄すぎ。最高の部分と最低の部分を併せ持つこの作品、私にとってはこの上なく貴重だ。こんな奇跡のような評価をさせる作品は他にないぞ。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 この作品のレビューを書くのはかなり逡巡した。書きにくい。と言うより、書くべき事があまりにありすぎて、それをどうまとめて良いか、それがよく分からない。実際今、全てを書けるかどうかも定かではないのだが…

 最初に私にとってこの作品はどうか。と言う事を考えてみると、良いところは本当にたくさんある作品だと思う。作品のクォリティ、設定面でのリアリティとファンタジー(良い意味でも悪い意味でも)。声優ではないはずの声の演技の巧さ、そしてカウンター・テナー米良美一の衝撃的な歌声。それらは非常に魅力的であり、物語のバックボーンも興味深い。少なくともエンターテイメントを目指す映画であれば敢えて無視し続けてきた問題をエンターテイメントの一環としてちゃんとまとめたという監督の技能も非常に評価できる。これだけだったら充分満点を与えられるほどだ。

 だが一方、この作品はあまりにふざけすぎた事をやらかしてしまい、物語はマジ怒りを覚えた。ラストを見たとき大声で「ふざけるな!」と叫びたくなったくらい。とにかく酷すぎる。未だにこの作品、もう一度観たいと全然思わないくらいに酷い。

 最初に良いと思えた部分。これはかなりたくさんある。当時アニメーションはセルアニメからコンピュータを用いたディジタルアニメへの移行期に入っていて、この作品は今まで培ってきたセルアニメの最上部分にディジタルアニメをかぶせるという、折衷的な行程で作られたが、その効果は素晴らしかった。画面一つ一つが見栄えするし、その効果を充分に計算に入れて作っている分、アクションシーン一つ取っても、これまでにない見事な動きを見せていた。(腕に宿ったタタリ神により超人的な力を発するアシタカや、山の神々が姿を現すシーンなど、画面効果は見事)。

 それで設定面も面白かった。蹈鞴場(タタラ場。鉄の精錬場)と言うのは、今まで絵では見たことがあったし、博物館で動きを止めた機材などを見たこともあるが、実際それが動いているのを見たのは初めてのこと(アニメーションとは言え)。鉄鉱石をふるいにかけ、、釜に入れ、鞴を動かして溶かし、それを水に流し込んで…その過程がこれだけしっかり描かれていると言うだけで、それだけで大満足。これには本気で感動した。おかしな奴だと思われるかも知れないが、マジであの蹈鞴場のシーンでは涙が出た(誰か他にいませんか?)。それであの大筒(おおづつ)はちょっとやり過ぎという感じでもあるが、まあ、そこはファンタジーと言うことで我慢しよう。

 声優が芸能人として一流を揃えているところ。特に美輪明宏は大迫力。彼の中性っぽい声が本当に良く映えていた。

 まあ、ここまでだったら満点くれたって良いくらいだろう。実際、これ程クォリティの高いアニメーションを世に出した宮崎駿という人物の演出力はたいしたものだ。

 それで一方、悪いと思えた部分。困ったことにこれも無茶苦茶多い。まず、これはファンタジーと言っても、日本を舞台にしている以上、どこの時代にこれが入るかを考えてみなければならない。敢えてこの作品の時代を特定すると、刀の反り具合、大筒の存在を併せて鎌倉後期から室町前期だろう。それにしては表現されている人物描写は平安か奈良の辺り。しかも男女同権、弱者救済を謳うなど、戦後そのもの。つまり、舞台設定は室町、人間描写は奈良、そして価値観は昭和…なんじゃこのバラバラな年代設定は?

 それでこの作品、『もののけ姫』と名付けられているだけに、サンがヒロインでなければならなかった。ところが、サンはヒロインではなかった。敢えて言うなら、「押しつぶされそうになった弱者を救済しようとする階級闘争の闘士」そのものであり、アシタカの同志にはなれても、ヒロインにはどう見てもなれない。敢えて一体誰がヒロインかと考え直してみると、ただ一人しか思い出せない。

 ヤックル。

 他の何がヒロインだというのだ?それしか思い出せねえぞ。それにそれ以前にそう言う描き方をするか?ふざけがあまりに過ぎる。

 それに物語なのだが、ここには三つの勢力がそれぞれアシタカに接触する。一つがエボシ御前。彼女はいわば昭和という時代の良心そのもの。二つ目がサン。彼女は自然の代表者であり、人間偏重の価値観しか持ち得ないエボシ御前に徹底的に抵抗する。言い方は悪いが過激なエコロジストと言うところ。この二つの価値観は平成の時代になってからの対立構図がはっきりしてきた。この二人の対立はまさに現在の構図そのものと言えよう。実際、現在の価値観からすれば、どちらも悪くない。どちらも大切だ。と言うことになる。その対立構図がここまではっきりしているので、一体どのような答えをこのアニメーションで宮崎監督は提示するのだろう。とかなり後半は期待していた。テーゼとアンチテーゼが提示されたここからどのようなジンテーゼを導き出すのか。そこがこの作品の真の価値を定めるはずだった。この構図で、どちらかを取るならば、エボシ御前若しくはサンのどちらかは存在を否定される。それをそのまま描ききるのか、それとも回避するのか、回避するとしたらどのような方法で?そこが焦点となった。

 ところがここに第三勢力が介入する。アシタカと最初に出会ったジコ坊がそれ。彼自身ではなく、彼が仕えている顔の見えない「やんごとなきお方」こそがこの対立構図を見事に崩し、純粋なる悪役となってしまった。真の悪役は存在そのものを出してないのだから、当然彼に向かうべき対立構図は“神殺し”により変化したタタリ神になった。

 この辺りからストーリーは本来の行程を完全にそれる。アシタカとサンは純粋なる被害者となってしまい、その被害から逃れることがこの作品の目的となってしまったのだ。本来この作品が目指すべき価値観の対立が一気にどうしようもないパニック映画へと変わっていく。

 それでラスト。アシタカとサンはお互いの価値観を確認し合いつつ、自分のいるべき所に戻る。これから二人でここを良くしていこうね。と言う偽善的な余韻を残して…

 結局、ここでは何の解決も見せないまま、誰も悪くないんだ。で終わってしまう…

 ちょっと待て!おっさん。何でこういう終わり方が出来るんだよ。これは最早物語りでも何でもない。問題提起だけして後は放っておく出来損ないの教育番組か?

 この作品における宮崎駿監督のメッセージはきっとこうだ。「オジサン達は頑張って良い日本にしようとしてきた。だけど、良い日本ってなんだか、もうオジサンはわかんなくなったよ。だからこれを見ている君達がその答えを見つけて欲しい」

 これがクリエーターのすることか!しかも宮崎駿と言えば、日本では最高のエンターテイナーとして認識されてるんだぞ。その本人がこんな逃げうつなんて、信じられないことをする。元々監督の作品は説教臭い部分があるが、これだけ明確に思想的命題を出しておきながら、中途半端にして放っておくなど、最早クリエイターとしても失格だ。

 実際、これだけだったら迷うことなく最低点を付けてたぞ。

 なんと言うことか。ここまで両極端な評価を私に付けさせられるとは。この★3は決して「毒にも薬にもならない」ではない。これしか付けようがないんだ。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (22 人)こしょく[*] Orpheus[*] 煽尼采[*] けにろん[*] 死ぬまでシネマ[*] 荒馬大介[*] torinoshield[*] Myurakz[*] tat ペンクロフ[*] mimiうさぎ[*] ぱーこ[*] mize[*] トシ[*] アルシュ[*] peacefullife kiona[*] ボイス母[*] 水那岐[*] m[*] sawa:38[*] ニュー人生ゲーム

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。