[コメント] ミリオンダラー・ベイビー(2004/米)
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安易なツッコミを許さない映画偏差値を充分すぎるほど持ち合わせている老練なイーストウッドは、当然「一見してひどい映画」は作らない。しかし『ミリオンダラー・ベイビー』を観終わって思うのは、これが徹頭徹尾イーストウッドの欲望に忠実に作られた映画だったのだなあということだ。
すべてはそのために巧妙に設定され、完璧に配置されている。そして悲劇の後、イーストウッドは心置きなく苦悩してみせる。しかしオレには、彼が気持ちよさそうに見えて仕方がなかった。これはひどい目に遭ったヒラリー・スワンクに寄り添っておおおおお可哀想なヒラリーちゃんなんという悲劇、その苦しみやいかばかりであろうかなどと一緒に苦悩して悶え苦しんでみたい、なんなら後追い自殺も匂わせちゃったりして、という極めて変態的なおじいちゃんの欲望によって作られた映画で、オレはその欲望自体を非難するものでは決してないけれど、イーストウッドの映画基礎体力が高い故に倫理的・政治的・映画的な数々のハードルは悉くクリアされており、それゆえになんだかまるで「倫理的なメッセージを訴える立派な映画」であるかのような評価をこの映画が受けていることに違和感を感じている。
そりゃあ、たとえば尊厳死についてこの映画が真面目に考えていないとは思わない。むしろ実によく考えて作ってあると思う。しかし、それがやりたいから作った映画ではないことも明白だと思う。
ボクシング場面の恐るべきいいかげんさに、そのへんは大して興味ねえんだよというイーストウッドの本音が出てしまっていると思うのだ。また語り部をイーストウッドではなく掃除夫モーガン・フリーマンに設定したのも二重に巧妙で、これは映画的にうまいのと同時に、聞けたもんじゃないイーストウッドの本音を聞かせないための非常に有効な仕掛けでもあったと思うのだ。
「わしはこういうシチュエーションがいちばん興奮するんや」というような話を、業界のレジェンドイーストウッドが第一級の話術と技巧で語ったらなんだか立派な映画みたいになってしまったのではないだろうか。それはそれで凄いのかもしれないが、イーストウッドばかりが気持ちよくてオレはあんまり気持ちよくなかったのが、オレにとって問題なのだ。だからオレは、あんまり素晴らしい映画とは思わなかった。
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