[コメント] オーシャンズ11(2001/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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仲間集めから始まり大きな事を成し遂げるという典型的「桃太郎」型ストーリー(べつにドンブラコと桃が流れてくるわけではない)。このパターンの代表格は『七人の侍』なのだが、当然そのクライマックスは鬼退治という事になる。つまりこの映画では「金庫(システム)破り」ということになるわけだが・・・
ソダーバーグは上手い。そのテクニシャンぶりはサイマフ氏(muffler&silencer[消音装置]さんのことね)のコメントの通りで、さりげない描写でキャラを立たせるなんざマイケル・マンの『ヒート』とは全く逆のベクトルを向いており、その中間で中途半端な人間描写で感動を呼ぼうとウロウロしている凡百のあさましいハリウッド映画とは雲泥の差である事は認めよう。
だけどね、その鬼退治である所の「システム破り」がなんだかお茶漬けみたいにサラッとしてんのよ。
実はこの手のシステム破りが核となる話で面白い記憶があんまりない。山田正紀の小説「火神(あぐり)を盗め」くらいのもんで、『スコア』とか『エントラップ・メント』なんてのはもう語る気もおきない。で、その原因は何かと考えて気がついた。対決する相手が[人]ではなく[システム]だからなのではないか?そこには人と人とのぶつかり合い、駆け引きが存在しないのだ。明智小五郎vs二十面相、ルパンvs銭形etc.常に相手の行動を読み、裏をかいていたではないか。ストーリー的にそういう部分が欠如しているならば、「計画に狂いが生じる」等の「いかにサスペンスを盛り上げるか」という点しか残されていないと思うのだ。だがソダーバーグにはデ・パルマのクドさが無い。のどごしと切れ味のスーパードライだ。いや、それは意図的なものなのか?だとしたら、ソダーバーグはこの映画の核をどこに置いたのだ?
ここで私の勝手な解釈。彼が本当に描こうとしたのは画面(フレーム)の外にあるのではなかろうか。 正確にはフレームの外を感じる(文章で言えば行間を読む)ような映画、例えば小津のような作品を目指したのではなかろうか。前述した通りキャラクター設定はあくまでさり気ない描写(それ故ただのアイドルではない有名俳優が必要だったとも考えられる)。そしてラストシーン。本当に彼らはこれから幸せになれるのか?冷酷な(と言われる)アンディ・ガルシアの部下が見張っているのだ。これから先、どんなドラマが待ち受けているのか?ジョージ・クルーニーはムショに戻って『オー・ブラザー!』になるのか?ブラピとジュリア・ロバーツが恋仲になって『ザ・メキシカン』になるのか? だいたい俺はこんな腹八分の映画になんで力一杯Reviewを書いているのか?
(平成14年2月17日新宿ミラノ座)
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