[コメント] この森で、天使はバスを降りた(1996/米)
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彼女が何か特別な「天使」然とした素晴らしい事をした訳ではない。彼女は「自然体」だった。悪態もつくし、くわえ煙草だってする。けっして「天使」ではなかった。小さな町に突然やって来た「よそ者」に過ぎない。
「よそ者」はいつもルールをないがしろにする。ルールとして定められてはいなくとも暗黙のうちに町のルールが決まっているのだ。
結果的に彼女が巻き起こした騒動は、町の住人たちにルールの改変を知らず知らずにさせてしまった。胡散臭いコンテストという金儲けの為のイベントを町の住人たちが総出で、楽しみながら審査する事になったのは、町の住人たちが新しい住人を自ら選出するという事であり、歓迎するという意思表示でもあった。そして何よりも、その時彼等は閉ざされた町が全米各地と接続された事に誇りと喜びを感じたであろう。
「よそ者」ってのも悪くは無いんじゃないか?そう思った矢先の悲劇だった。
私たちの周囲にも「よそ者」が多くいますよね?在日朝鮮半島の人々、中東や南米から必死で出稼ぎに来ている人々、いやもっと身近で転校生や中途採用社員。さらに身近ではシネスケで「常連さん」に壁を感じている新規コメンテーターの方々。
私達は閉ざされた空間で生きている。「よそ者」を排除する事で治安を維持し、仲間内の結束を確認し合う。そうする事で大いなる安心感を得、優越感を楽しむ。
私は素直にこの作品に感動し、その隙のない脚本や女優3人の演技合戦、そして恐ろしい程の素晴らしい風景描写に感嘆しました。そして今、ちょっと考えさせられました。この作品で本当に素晴らしかったのは、彼女をきっかけにして自らのルールを改変する度量を持ち合わせた町の住人たちだったのではないのだろうかと。
私達の周囲には多くの「よそ者」がいる。彼等はパーシーのように怯えたり、逆に強がったりしている。彼等を「よそ者」のままで排除するか、横目で通り過ぎるのを待つか、いや、「天使」に変える事が出来るのかも知れない。
たかが映画でこんな事まで考えてしまうのは考え過ぎなのでしょうか? だって、彼女が死んでからでは遅過ぎるから・・・
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