★5 | 一歩部屋を出ると不安におののき、密室では一変して激しい性への渇望をあらわにする女。宮下順子の演技には、生への本能と活力が溢れている。『愛のコリーダ』とならぶ性愛映画の傑作。神代監督の充実ぶりは凄い。 (ぽんしゅう) | [投票(6)] |
★5 | その時の、その二人にしか判らない、愛とか恋とか欲望とか色々な名前で呼ばれる得体の知れぬ感情を、ありのままの姿でフィルムに焼き付けたことに、まず感激そして感謝。これが単なる演技だなどとは思いたくもないし、そもそも演技の無いセックスなんてあるわけがない。本能の芝居、ポルノの本質がここにある。 (町田) | [投票(4)] |
★5 | 始めて見た時は他人事として性愛部分を見ていたが。いい歳になって見返しても、神代監督の指向は男と女の間にあるものではなくて。人間内部に向っていて。それは宇宙的ともいえる人間内部の描写に成功している。 (ALPACA) | [投票(4)] |
★5 | 蓮司にしびれた!「犬になれ!」「やさしくして...かー!」などそそるセリフ連発の蓮司!盗んだ三輪車で走り出し路地裏で手淫のしみったれた蓮司!男に生まれたからには皆胸に蓮司を抱えて生きている。 (マッツァ) | [投票(3)] |
★5 | 冬の海のように荒々しく、海鳴りのようにどよめき、流木のようにささくれだって、霧雨のように優しく、焚き火のように暖かい。かけがえのないオモチャ。避難港。幸せ過ぎる映画だ。 (淑) | [投票(2)] |
★4 | 周囲の「傑作」の声に押されて今は亡き並木座へ。20歳の若造が観てもわからないことだらけでどこが傑作なんだ?と憤慨して帰った。その後、いくつもの出会いと別れ、成功と挫折を経験し、機会があり再見。「ああ、成人映画というものはその字の通り、人に成らなければわからないものなんだ」と実感したのを覚えている。 (tkcrows) | [投票(2)] |
★5 | やってやってやりまくってるだけの登場人物たちにこんなにも愛を感じてしまうなんて!!男も女も所詮そうなの。そんなものなの! (picolax) | [投票(2)] |
★5 | 宮下順子がトンネルをバックに手前に歩いてくる。ダンプが後ろから来て、追い抜く際に、宮下が振り返る。こゝで横からのカットに切り替え、さらに、ちょっと引いたカットに繋いでストップし、タイトルイン。この処理もなんてカッコいいんだろう! [review] (ゑぎ) | [投票(1)] |
★4 | 時として「にっかつロマンポルノ」はその枠から這い出そうともがき苦しむ作品を生み出す。同様に宮下順子も「ただのポルノ女優」から這い出した。ソレを世間に認めさせた芝居と神代辰巳の演出に★4。 (sawa:38) | [投票(1)] |
★4 | なんか貧乏くさいなあ。と思いながら観ていた。 [review] (cecil) | [投票(1)] |
★5 | 若い頃は照れ混じりにこれを「カッコいい!」と言っていたけれど、今は神代辰巳の登場人物に対する温かいまなざしに惹かれているのが分かる。 (ミキ) | [投票(1)] |
★5 | 中上健次の原作「赫髪」が熊野をずっしり引きずっているのにに対して、『赫い髪の女』は熊野に限らず、普遍的に描かれていると考えてもよいのじゃないか。原作に負うところが大きいというより、よくぞここまで描いたという印象の方が強い。 (まご) | [投票(1)] |
★3 | 中上健次っぽい雰囲気はよく出ているが、ずっとセックス描写ばかりで段々飽きてくる。 (赤い戦車) | [投票] |
★4 | 濃いですねえ・・・。宮下順子と石橋蓮司のマッチングがこれまた見事で、これでもかとドロドロとした情念のぶつかり合いを見せてくれます。 (TM(H19.1加入)) | [投票] |
★4 | 男が自ら造り上げた巨大な妄想と格闘(独り相撲)してるような作品だが、宮下順子の立ちはだかる如き存在感が凄い。80/100 (G31) | [投票] |
★5 | 男と女の愛欲とはどういうものなのか、真面目に探求している作品。 [review] (ダリア) | [投票] |
★5 | この映画、すきです。 (worianne) | [投票] |
★5 | テーマの陳腐さは映画の出来とは無関係であることをこの映画で知る。すれ違いのリアリティは鳥肌ものよ。 (らくだーら) | [投票] |
★3 | 過去になぞ興味無く未来なんてどうでもいいという刹那は解る。だが性欲世界に埋没していきそうに見えて、しかし結構リアルな生活者であったりする。その匙加減の問題。日常を引きずった台詞からは、かえって作意が垣間見える気もするのだ。覚悟が欠如してる。 (けにろん) | [投票] |
★4 | 薄汚くてイヤになる。邦画=陰鬱だった時代の遺産。 (reif) | [投票] |