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disjunctiveさんのコメント: 投票数順

★4クレイジー・ハート(2009/米)オッサン向けハーレクインである。展開される現象に概して意味がないのである。趣味の合う異性が都合よく降ってきて、酒臭いメタボのオッサンに口説かれると紅潮する。断酒は一瞬で成功し、曲は作った傍から金になる。これを物語として編成する意味はあるのか。 [review][投票(2)]
★3クリード チャンプを継ぐ男(2015/米)才能も金も女もある門閥貴族の二代目襲名披露そのものを、興行に耐えうる物語に仕立てるのはむつかしいだろう。その才能も金もアドニスの責任の範疇にはないからだ。責任がなければ共感を誘うような課題が生じがたい。 [review][投票(2)]
★3カムイ外伝(2009/日)技術によって表現の制約からの解放されたのならば、静物であれ動物であれ、ほんらい省略すべき運動の過程をすべて押さえたいとする貪欲さが、話の生真面目な調子から浮いているように見える。 [review][投票(2)]
★4忍者狩り(1964/日)事をある種の治安戦として解釈していて、その一方的な虐殺を好ましく見せるべく、天津敏の忍者軍団へわれわれの憎悪を仕向ける工夫に実効性がある。 [review][投票(2)]
★4ブルージャスミン(2013/米)階級間移動のための脱出速度を確保できるのか。その可否の焦点化で緊張を醸成する類の正統派な話である。 [review][投票(2)]
★4ドライヴ(2011/米)越して来たら隣人がキャリー・マリガンでおまけに好意を醸成するイベントが満載とは、邪念にもほどがある。ところが話はもっと自虐的というか、よりアクティブで病的な童貞浪漫紀行なのだ。 [review][投票(2)]
★4危険なメソッド(2011/英=独=カナダ=スイス)フロイトとのファーストコンタクトを描く1日が好きだ。狭いフロイト家の食堂で料理を貪欲に取り分ける様がよい。モーニングのオッサンらで埋め尽くされたカフェの喧騒もよい。 [review][投票(2)]
★4マッドマックス 怒りのデス・ロード(2015/豪)スプレンディッドを投げ込まれ、キャデラックを転倒させるイモータン・ジョーがわたしにとっては痛切である。ウォーボーイの扱いからもわかるように、生物としての雄の哀しさを表現したい向きがあり、そこに敏感に反応する層への配慮も見られる。ところが [review][投票(2)]
★4オデッセイ(2015/米)グッド・ウィル・ハンティングからジェイソン・ボーンに至るジミー大西の非来歴性が、この話の緊張に資していない。地球での生活が想像されるような個性に欠けるため、多用される監視カメラ視点も相まって、彼を客観視するように強いられてしまう。 [review][投票(2)]
★3狂った野獣(1976/日)この話の下世話さは、鶏小屋に突っ込むバスによく表れていて、実に他愛もない場面を高速度撮影で一大事のように扱う大仰さがある。混乱するばかりだった乗客たちをマスメディアの前では豹変させて和解を演じさせる批評精神にも良い印象がない。ただ、 [review][投票(2)]
★3ターミネーター:新起動/ジェニシス(2015/米)何度でもやり直せるのなら感傷は醸成されない。それは、一回の人生しかない人物に担われるものだろう。 [review][投票(2)]
★3ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション(2015/米)キャラの強度を競う点では、事態を動かしているショーン・ハリスに分があって、トム・クルーズはその敵ではない。ショーンが戦っているのはトムではなく自分自身である。つまり、レベッカに対する甘さとして現れてくるような、自分の性衝動と彼は戦っている。 [review][投票(2)]
★3危いことなら銭になる(1962/日)たとえば、武智豊子の老醜が、シガーというガジェットによって好意的に包摂される。遁走する宍戸の、脱兎のようでいて同時に緩慢な逃げ足の醸すこそばゆい滞空感が、話のこうした親和力を象徴するかのようだ。 [review][投票(2)]
★46才のボクが、大人になるまで。(2014/米)依存症教授の不穏さがおもしろすぎて、話に対して誤った期待を抱いてしまった。構成上、場当たり的に投入される不穏当さの数々にも、リンクレイター節の大河ドラマを時間の滞留として誤認させる働きがあるように思う。 [review][投票(2)]
★3龍三と七人の子分たち(2015/日)老人に対する周囲の善意によって、かろうじて成立している綱渡りのような話であって、あくまで現実に定着しようとする半グレたちは、同時に、かかる空想の産物らを壊しはしないかと気の使い過ぎで、気の毒に見えた。 [review][投票(2)]
★4バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)(2014/米)結末の現実腐食そのものは、話を堕落させていると思う。これまで仕込まれてきた超現実の描画が遡及的に意味を失ってしまう。ポイントは、現実腐食の有り様ではなく、娘エマ・ストーンによって、それがどう解釈されたかにある。 [review][投票(2)]
★4もらとりあむタマ子(2013/日)ここで扱われている事象を社会問題化してしまうと、相当嫌味な話になったはずである。前田敦子に生まれ落ちた時点で、これほど勝ち組な人生も珍しいからだ。 [review][投票(2)]
★3トロピック・サンダー 史上最低の作戦(2008/米=独)リアリズムの水準を下げなければ、コメディは成立しない。しかし、水準を下げるあまり、全てが八百長となった舞台上では、物を語るという論理的な営みは無効となる。 [review][投票(2)]
★3アデルの恋の物語(1975/仏)人を不快に慣れさせないための、漸進的に亢進する病理が、映画の時空間を巻き込み、それを信用におけないものにしている。騎乗演習中のピンソンをストークするアジャーニの移動距離から、瞬間移動的な違和感は始まり、 [review][投票(2)]
★3フューリー(2014/米)語り手自身が混乱していると思う。米兵の捕虜殺しを描画してリベラルを装うと思えば、SSは人間じゃないから殺しても可と人権の留保が来る。歩戦協働を教典の引き写しのような厳密さで描いたかと思えば、最後はマンガになる。 [review][投票(2)]