chokoboさんのコメント: 投票数順
日本沈没(1973/日) | 沈没しちゃったもんなあ。すっかりなぁ・・・。日本映画もすっかり沈没してましたよねー。 [review] | [投票] | |
日本一のホラ吹き男(1964/日) | スーパーマンだ! [review] | [投票] | |
突撃(1957/米) | これは残念ながらキューブリックではありません。 [review] | [投票] | |
鏡の中にある如く(1961/スウェーデン) | 子を持つ親として、現代社会で自分の子供を分裂症にすることは、さほど難しいことではないと感じる。ベルイマンは40年前に未来を予見したのではなく、すでにあった現実を描写しているだけなのだ。 | [投票] | |
失われた週末(1945/米) | 人格への挑戦である。⇒ タバコやめようかな(2010/08/08) [review] | [投票] | |
M(1931/独) | まだ見ていない方、ぜひ予備知識なしで見てほしい。『M』の意味を… [review] | [投票] | |
日本春歌考(1967/日) | 大島渚が創造社を立ち上げて、それでも松竹と縁を保ってやってきた縁が、これでプツンと切れた映画だ。やはりこれは日活ロマンポルノと解釈されても致し方ない。そういう意味でATGの存在は大きい。マイナーな革命だ。 [review] | [投票] | |
不良少年(1961/日) | 当時の状況は知らないが『あしたのジョー』とかを原体験している者にとっては、やや不十分。しかし出所シーンの惨めさと不思議な希望のようなものがさわやかではあった。 | [投票] | |
東京戦争戦後秘話(1970/日) | 原正孝の映画だ。あいつ=自分という主体と客体が重なることで、現実と過去の風景を追いつめた。しかし、この映画は全く非現実的な欠陥がある。固有名詞を失った人物が錯綜しているからだ。この頃多くの貧しい映画作家(大島渚を含む)が固有名詞を失う恐ろしさについて映画化している。『砂の女』なども同様であろう。 [review] | [投票] | |
天草四郎時貞(1962/日) | 勿論、『銭形平次』以前の大川橋蔵であるが、この映画は時代劇という風景の中にある全共闘運動であり、安保闘争とシンクロする島原の乱である。しかし、出来上がった映画はその闘争色に陰りがあると思う。この頃の大島渚ならもっと戦闘的であって良いはず。 | [投票] | |
おかしなおかしな大冒険(1973/仏=伊) | 夢のような共演ですよね。イギリス人でアメリカで活躍中のビセットさんは、よくこんな映画に出ましたよね。 [review] | [投票] | |
愛はエーゲ海に燃ゆ(1978/米) | コメント1番のりを誇りに思います。ジャックリーン・ビセットの存在を強調しすぎて、誰が主役だかわからなくなってしまいましたね。でもビセットファンの私としては、それなりに満足してました。 [review] | [投票] | |
セント・アイブス(1976/米) | もちろんブロンソンもかっこいいんですが、ジャックリーン・ビセットの存在感というかファッション性にはかないません。なぜなら私、彼女のファンなのですから。 | [投票] | |
新・猿の惑星(1971/米) | スクラップ・アンド・ビルド! [review] | [投票] | |
最後の猿の惑星(1973/米) | 丸つぶれ…とほほ [review] | [投票] | |
猿の惑星/征服(1972/米) | 環境を限定したために、スケールがガクッと小さくなってしまったような… [review] | [投票] | |
ミクロの決死圏(1966/米) | 人体という宇宙への挑戦ですね。テレビ放映ではじめて見たと思うんですが、興奮して目を離せなかったことを思い出します。 [review] | [投票] | |
ハリーの災難(1956/米) | この頃のヒッチコックの作品に表現される色、美術、撮影手法などが、今見てもちっとも色褪せてないんですね。お話は勿論面白いんですが、この鮮やかな色合いに驚かされます。 [review] | [投票] | |
ウディ・ガスリー わが心のふるさと(1976/米) | この邦題も悪くない。でも原題にはもっと別の響きがあるよね。「栄光をめざせ」みたいな響きですね。でもこの圧力に対する挑戦のようなものが私的には感動を呼ぶんです。 [review] | [投票] | |
長距離ランナーの孤独(1962/英) | モラトリアムというイメージと言語に憧れたあの頃を思えば、随分昔から同じようなぷー太郎が存在したことに感動する。今現実はこれとはかけ離れてしまっていることが唯一残念でならない。 | [投票] |