[コメント] ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還(2003/米=ニュージーランド)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
三部作の締めくくりとして悔いがないよう、一生懸命書いたところ、映画同様長くなりました。
旅は終わった。二年前に劇場で初めて『ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間』を観て「中つ国」という世界を知って以来、ずっと楽しみにしてきた完結編であった。この二年の間に原作を全部読んでしまったり、SEE版本編を観たりしながら待ち望んできた『王の帰還』。『二つの塔』観賞後、原作を読み進める勢いが止まらなくなり、結局、映画で『王の帰還』の完結を見届ける前に「王の帰還」まで読み終えてしまった。「早く結末は知りたいけど、できれば映画で見届けたい」などと言っていた俺に最後まで本を読ませたものは、この物語が持っていた力や面白さに他ならないが、最大の理由は「ピーター・ジャクソンが作る『王の帰還』であれば、ちょっと原作を読んだくらいでは少しも面白さは半減しないだろう」という、ピーター・ジャクソン監督への揺るぎない信頼でもあったと思う。原作を読みながら、脳内でペレンノール野の合戦や滅びの亀裂、シェロブとの闘い、ミナスティリスの都がどんな映像になるのか、楽しみに想像をしていた。そして、当然のことながらこの映画はそんな俺の乏しい想像力を圧倒的に上回る素晴らしい作品だった。
今回は最後と言うだけあり、一段とピーター・ジャクソンの愛が随所にこもっていた。クリーチャーだけ見てもシェロブ、ペレンノールの指揮をとっていた顔がボコボコのオーク、オリファントが特に輝いていた。また、心憎い演出がイイ場面に散りばめられて感激した。
例えばホビット庄にホビット達が帰ってきた場面で、彼らが庭を掃除している一人のホビットに挨拶しながら通り過ぎていくシーン。あの庭を掃除しているホビットは『旅の仲間』ではガンダルフの花火を見て喜ぶ子供たちを見て微笑んでいるホビットとして出演している(手元にDVDがある方は確認して下さい)。あのホビットは友人の母親によく似ていたためにハッキリ記憶しているので間違いはない。あのインパクトの強烈な顔のホビットを見たからこそ、「あぁ、彼らは本当にホビット庄に帰ってきたんだ」と感じてこっちまで嬉しくなってきた。
また、指輪棄却後にフロドとサムを三羽の鷲が助けに来るシーン。なぜかフロドとサムを一羽の鷲に乗せ、残りの一羽は何も乗せずに引き返していく。あれは『二つの塔』〜『王の帰還』に渡り力を入れてゴラムを描いてきたからこそ存在する意義のあるカットであると思う。ガンダルフは、指輪の魔力から解放されたゴラムも生き残っているかもしれないと思ったからこそ、ゴラムを乗せる鷲も用意したのではないだろうか、ということだ。だからこそ、わざわざ記念すべき第三部のファーストカットがミミズという、ある意味じゃ『旅の仲間』『二つの塔』より吸引力のあるオープニングで語られた、ストゥア族として平和に暮らしていた頃のスメアゴルのシーンが生きてくる。個人的には最後は自ら落ちていって「My precious!」って叫んでもらった方が良かったけど。
それから個人的にはピピンとガンダルフがミナスティリスを馬で駆け上がっていく時のゴンドールのテーマが、『旅の仲間』でボロミアの兄貴が故郷への熱い想いを語るシーンや『二つの塔』SEEのオスギリアス奪還後のシーンと同じメロディだったので、ボロミアの兄貴を思いだすのに加え、ミナスティリスの映像が凄すぎたので泣きそうになったりした。
とりあえず褒めるばかりじゃあんまりなので、文句も言っておきます。原作を読んだ人でなければ分かりにくい個所もあるかもしれませんが、ご了承を。まずはサルマンが出ないこと。「無力だ」の一言で片づけられても説得力ありませんが・・・。
第二にアングマールの魔王弱すぎ。「白の魔法使いは任せろ」と言っておきながら、結局ガンダルフと直接対峙をしていないし。どっちかというと、あの翼をもった生き物が強かったのではないかと。また、「癒しの手」がないためにアングマールの魔王の力がどれほど強大なのかハッキリせず、魔王を刺したエオウィンもメリーも手がしびれただけにしか見えてない。
第三にフロドがシェロブに刺されてから救出されるまでがあっさりし過ぎ。しかもシェロブの洞窟のシーンが長い。趣味に走ったことでシェロブのシーンが良くなったことは事実だが、もう少し時間を削って後半の細かいシーンに回して欲しかった。何一つそれらしきシーンもなくファラミアとエオウィンがくっついてんのは喜ばしいが、あれじゃエオウィンが○ルウェン並の○ッチに見えてしまうじゃないかと。そして滅びの山のシーンもあっさりし過ぎじゃないかと。あれだけ距離があったのに、すぐ辿りついちゃってんの。
第四にデネソールが単なるDQNにしか見えない。しかもガンダルフに殴られ過ぎ。ここまで情けない執政だと、ペレンノール野の合戦がどうこう以前に、よくボロミアとファラミアがあそこまで立派になったなあ、と。よく国が持っていたなあ、と。
第五に幽霊の動きが虫みたいだった。もうちょっとどうにかできなかったのか?エレスサール王がゴンドールに帰還したというのに幽霊が強すぎたこと、演出であまりアラゴルンすなわちエレスサール王の帰還を強調しなかったことが原因で、ペレンノール野の合戦の最後の興奮はやや薄くなってしまった気がする。
第六に戴冠式と結婚式のシーン。「君たちは誰にも頭をさげなくてもいい」と言われ全ての民からホビットが祝福される感動的なシーンをブチ壊しにしてくれるガバッブチュ〜のアラゴルンとアルウェンのキス。いくら限りある生を選んだからと言ってあそこまで情熱的になるもんなんですか?突然あなたの顔が長いせいで映写機がぶっ壊れたのかと思いましたよ、アルウェンさん。
だが、そんな些細な不満や文句をぶっ飛ばして心の底から魅了され、いつまでも映画の世界に身をおきたいと感じる映画は、一生に何本出逢えるか分からない。俺は三年連続でそんな映画に出逢うことができた。当然の事ながらその映画とはこの三部作のことだが、待つことは確かに苦痛だった。だが、待っただけの価値がある映画だった。「『王の帰還』を見るまでは死ねない!」という気持ちにさせて待たせてくれたというだけでも、これは俺にとっては十分賞賛に値する映画であり、それを最大の感動で締めくくってくれたのだから本来なら文句なんてとてもじゃないが言えたもんじゃないし、三部作通して得た感動や興奮、この三部作をリアルタイムで見ることの出来た歓びは★5などという点数では足りるはずがない。
この物語は様々なRPGやファンタジーの原点になったと言われている。現にジョージ・ルーカスや某魔法学校ファンタジー小説原作者も大ファンだという。この作品はその原点を映画にしたわけだが、それによって時を経る間にそれらの中で失われたもののいくつかを甦らせ、今までの映画にはなかったものを感じさせた。
それらはほとんど、言葉にしてしまえばごく当たり前のことであった。その中の一つが三部作中、最も強く感じられた仲間との信頼や友情。特にクライマックスではそれが最高の感動を生み出した。フロドとサムが指輪を棄却してくれることを信じ、黒門へと向かったアラゴルン達。その行動こそが彼らがフロドを心から信じていることの証明であった。「フロドのために」という言葉と共に駆け出すアラゴルン。彼の後に続いて走り出したメリーとピピン。二人はすぐに人間に追い越されてしまうが、それでも戦う意志を持ちフロドとサムを思って駆けだしたことが涙を誘った。もう「二人合わせてメリピピなんて呼ばれてたまるかゴルァ」の勢いだった(謎)。ギムリとレゴラスの「エルフの隣で討ち死にか」「友達の隣でだったら?」「いいね」という会話も、ヘルム峡谷の戦いの直前やペレンノールとは一味違う感じがした。そして何よりも「指輪の重荷は背負えないがあなたを背負うことはできる」と言ってフロドを担ぎ滅びの山を登ったサム。また、エオウィンとセオデン、ファラミア達それぞれの絆や忠誠も忘れてはならない。彼らも含め、全ての人たちは中つ国の命を懸けて守るに足る尊いもののために闘ったのだ。
だが今回、今までにないものを感じさせたのはやはりクライマックスでの自己犠牲の姿だ。「死」を叫びながら突入したカッコ良すぎなローハン軍や、陽動作戦として黒門へ行った兵士たち、そして一歩一歩傷ついた心と身体で死地へと進んだフロドとサム。悲壮感漂うシーン一つ一つはなぜかあまりにも美しかった。
そして、この物語に置いて最大の功績をあげた人物が最大の犠牲を払ったからこそ、本来なら世界が救われハッピーエンドであるはずなのに、ラストはどこか寂しいのだ。ビルボが「もう一度指輪を見たかった」と言っているように、フロドも一つの指輪を失ったことでずっと心の中にはぽっかり穴が空いたような喪失感を抱えている。それが精神的な傷となり、またアングマールの魔王やシェロブに負わされた肉体的な傷も癒えぬままとなった。ボロボロに傷ついて勝ち取った平和は自分のための物ではなく、愛するホビット庄に帰ってきても元の生活に戻ることは出来ない。だから自分は癒しの地へと旅立ち、自分を支えてくれたサムに自分の分の幸せも授けていったのだ。「フロドがどこに行ったか分からない」とか言っている人もたまにいるが、どこに行ったかが重要ではない。フロドが命をかけて守った場所を後にして、二度と戻らぬ最後の旅に出ることに意味があるのだと思う。灰色港で最後に見せたフロドの笑顔は第一部で見せた幸せに満ちた笑顔でも、第二部で苦しみの垣間に見せた笑顔とも全く違う物だった。自分の役割を終えて、全てを悟ったような、どこか哀しげな笑顔だった。
個人的には、全てが終わったときに一番幸せだったのはゴラムだと思うが。デアゴルを殺し、更にはホビット二人を殺してまで手に入れようとしていた指輪。もし、あの指輪を手にしたまま生き続けたら彼はまた一人ぼっち。ましてや、サウロンの力が強大になったあの状態では、指輪を取りあげられ殺される以外に道はない。だからゴラムは幸せだったのだ。指輪をやっとで手に入れた状態で、指輪と共に死ぬことが出来たのだから。
今回もまた、ありきたりの批判が聞こえてくるだろうが、俺としてはこの三部作を体験できる時をリアルタイムで生きていながら、ハマることのできなかった彼らを不幸であるとさえ思ってしまう(いや、「面白かったけどフロド弱い」とか言う人も今までこの三部作のドコを見ていたんだって感じで、ある意味じゃ不幸だけどさ)。この作品は壮大で神話のような魅力も秘めた物語でもありながら、普段は映画の世界と俺等が住む現実を引き離してしまう壁であるスクリーンをオリファントの如く蹴散らして、言葉にすればありふれたものをド本気で伝えてくれた。だからこそこれは『二つの塔』のサムの言葉通り、心に深く残る物語となった。そんな映画は最近少なくなっているし、これほどまでに多くの、あらゆることを伝えてくれる映画を俺は今まで観たことがなかった。
もし欠点があるとすれば、物語を語るという上ではまだまだ時間が足りないこと。そして、これはごく一部の人に限った話かも知れないが、この作品が素晴らしすぎるが故に、他の作品があまり良く見えなくなってしまうことだ。現に戦闘シーンの迫力やカタルシスでこの映画にかなうものはそうそうないだろうし、俺にとっては思い入れが深まりすぎてしまい、何ともないシーンでさえ体が震えて泣きそうになるほどだ。そこまで感動できる映画も少ない。
ずっとずっと待ち続けてきた『王の帰還』。だが、実際観てしまうと満足はするものの、もう二度とこの感動が味わえないと思うと寂しくてたまらない。主題歌「Into the west」を聴きながらエンドロールを見ているとその寂しさが頂点までこみ上げ、自然と涙が流れた。
だが俺は信じている。これを観た全ての人々の間で、この物語が語り継がれ、そして一人一人の創造力によって第四紀で暮らす人々の新たな物語が生み出されていくことを。そして、勇敢なホビットたちの話やエレスサール王の話が語り継がれていくことを。
最後にポロシャツ短パンwith素足で撮影を続けたピーター・ジャクソンを始めとする、この素晴らしい物語を創り上げ、出逢わせてくれた多くの人々に心の底から感謝したい。本当にありがとう!
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