[コメント] 香港国際警察 NEW POLICE STORY(2004/香港=中国)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ジャッキー・チェンのすぐれた作品においてはキャラクターの感情がアクションを生み、観客はアクションを通してキャラクターの感情を自分の目で見、それを自分のものとすることができる。キャラクターの感情と観客の感情が同じ軌跡を描いて頂点に達するとき、両者の頭上には栄冠が輝き、映画は突然絵空事であることをやめ、生きた体験となる。この「感情」とは、ヒッチコックが「エモーション」と呼んでいたものに言い換えてもいい。そうだ、ヒッチコックがもし存命なら、ジャッキー・チェンを絶賛したに違いない。ジャッキー・チェンは非常にすぐれた「エモーション」の使い手だからだ。
2人組のかっぱらいにまつわる場面から、もうそれが見てとれる。最初の出会いで、泥酔状態のチャン警部は簡単に突き倒される。財布を見て彼が警部と知ったかっぱらいはチャン警部を蹴りつける。チャン警部は一切抵抗しない。なぜなら彼はどうしても自分を許すことができずに自分を罰する方法を模索して酒に溺れている人間であり、かっぱらいに蹴られる程度の苦痛ならむしろ歓迎している節さえあるからだ。かっぱらいの蹴りを受けることがチャン警部の贖罪なのだ。
かっぱらいとの2度目の邂逅では、若者シウホンに叱咤激励されたチャン警部はなんとか1人を取り押さえてみせる。その手順こそ鮮やかだが、チャン警部の動きには切れがなく、警官としての自己を取り戻せていないことは明白だ。いかにも惰性で取り押さえた感じなのだ。この微妙なニュアンスを余すところなく表現してみせた活劇俳優ジャッキー・チェンの恐るべきポテンシャルには舌を巻くもののまあそれは置いといて、ここで示された重要な事は、いかにジャッキー演じるチャン警部といえども「やる気がなければだらしない」ということなのだ。
かつての同僚サムに会いに行く場面でも、チャン警部のだらしなさは描かれる。イキのいい若者シウホンがヤンチャ捜査を進めるも、ここでもチャン警部には覇気がない。ただ、大勢に痛めつけられるシウホンを助けるために隠れていた個室を飛び出すシーンには、チャン警部復活の兆しを匂わせている。
眠れる獅子眠りっぱなしかと思われたチャン警部が完全に目覚めるのは、元同僚サムの断末魔の告白を聞いたときだ。ここでチャン警部は逃げる犯人を追ってロープ1本でビルを滑り降り、全力疾走で犯人の自転車を追いかけ、しかし追跡の途中で巻きぞえを喰ったバスが暴走を始めるやいなや犯人には目もくれずにバスを止めようと奮闘する。この一連のシーンにおいて、はじめてジャッキーはチャン警部に全能力を発揮させる。その連続活劇の凄みたるや、まるで銀幕が炎を吹いているようだ。ここまで映画の中のアクションは、チャン警部の感情の軌跡にぴったり寄り添って描かれてきた。チャン警部が自傷行為を乗り越えて、犯人を追うための動機にスイッチが入った瞬間、息もつかせぬ連続アクションが爆発して観客の溜飲を下げるのだ。なんでもいいから派手なアクションを見せとけばいいんだろとばかりに量産される凡百のアクション映画とは、作り方が全然違う。
ほとんどのアクション映画においては、アクションは単なる見せ場に過ぎない。アクションの価値は、これすなわち見世物としての価値である。それはまったく間違っていないと思うし、それが凄い見世物であれば観客はハッピーだ。オレだってそれで全然文句はない。そのテの映画で好きなものもたくさんある。ジャッキーの映画だって、見世物アクション映画としてならほぼ全作が傑作といって差し支えない。しかし、特にすぐれたジャッキー映画を観るときにだけ感じるあの理屈を超えた血の滾り、映画の中のジャッキーと自分が一体になるあの至福とはいったい何なのか、これをつらつら考えるに「アクションに感情が宿っているか否か」の一点に尽きるのではないか、ということにオレは思いあたるのだ。
これほど人間の感情にぴったり寄り添ってアクション映画を作れる作家は、現代ではジャッキー・チェンしかいまい。挙げていけばキリがないが、この映画でもうひとつ特に感動したのはレゴ売り場での決闘ののち、闘っていたチャン警部と赤ジャンパーが煙幕の中で警官隊に囲まれる場面だ。赤ジャンパーは一度は捨てた拳銃に手を伸ばし(シウホンが拳銃を偶然蹴った描写が1カット入る。鳥肌が立つほどうまい)、背後からチャン警部を狙う。それを知らぬチャン警部は警官隊に「怪我人がいるんだ、救急車を呼べ」と叫ぶ。それを聞いた赤ジャンパーは、チャン警部を撃てないのだ。ジャッキーは知っているのだ、人はアクションの凄さに感動するのではなく、アクションを生む感情にこそ感動するのだということを。チャン警部の感情と赤ジャンの感情が、オレの中に一気に流れ込んできて涙が出てきたよ。例えばここでチャン警部が間一髪で危険に気づいて赤ジャンをやっつけて一件落着、というようなハリウッドでなら当たり前の定型描写が、観客の生きた体験になるかよ。なりゃしねえんだ、そんなもん。しかしあの状況で撃たれた赤ジャンを気遣ったチャン警部の心、それを聞いて撃てなくなった赤ジャンの心は観客の心の中でひっそりと息づいて、いつか生きた体験になりうるんだ。
全部はとても書ききれないが、この映画の中にはいつか観客の中で花を咲かせるかもしれぬ可能性を持った種がたくさん隠されている。ああ、ごちゃごちゃもっともらしいことを書いてきたけどもうどうでもいいや、とにかく子供に観てほしい、かつてオレがジャッキー映画を観て胸を焦がして憧れたように、今の子供たちに、この今のジャッキーを観てほしい。そして何でもいい、この映画の中から何かを見つけてほしい。この映画を、子供に観せてほしい。世のお父さんお母さんは、お子さんをつれて劇場に足を運んでほしい。子供たちには、今はこの映画がわからないかもしれない。怖い場面もいっぱいあるかもしれない。こんな50歳のおっさん観るよりも、ポケモンのほうが観たいかもしれない。でも、この映画のジャッキーを観るという体験、それはいつか必ず自分の力になってくれるんだ。細かい話なんか忘れてもいい、このジャッキーを観たという体験が宝なんだ。ジャッキーにたくさんの力をもらって生きてきたオレが保証する、いつかジャッキーは必ず君の力になってくれるんだ。本当なんだ!
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