[コメント] 生きる(1952/日)
細かな描写もいちいち胸に迫る、過激で過剰な映画。凡百の映画監督の中で、黒澤明は「伝えたいこと」の質量がいつも桁外れにデカくて、オレは受け止めるのに必死。どのシーンを観ていても、緊張感で手に汗を握ってしまう。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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たとえば自分が癌と知った夜、息子との半生を回想する志村喬。妻の乗った霊柩車の後姿、野球の試合でヘマこいた息子を見るまなざし、息子の盲腸の手術にオロオロした記憶、戦争に駆り出される息子との別れ。繰り返される「満夫、満夫、満夫、満夫、満夫・・・」 恐怖と絶望の中で、まず息子の存在にすがろうとする志村喬に、胸がしめつけられる。
たとえば夜遊びのくだり、志村喬とメフィスト、水商売のおねえちゃん2人がタクシーの中。遊び歩いてきた2人はもうクタクタだ。そこでおねえちゃん2人が歌う「♪カモーナマイハーウスマイハース・・・」の毒々しさ、ケバケバしさ! 志村喬じゃなくても絶望的な気分になる。タクシーを止めて、ゲロを吐きたくなる。
この映画には、ちょっとしたことが胸に迫る場面が、まだまだいくらでもある。やりすぎといえば、そうかもしれない。だがそこまでやってこそ伝わる何かが、確かにあるのだ。観る者としてそれを受け止めるのはしんどいけれど、その甲斐はある。どんなに説教臭くても、どんなに録音が悪くても、黒澤明の映画には、いつもその甲斐があった。そこまで観客に体力と気力を要求する娯楽映画が近年ないのが、オレは寂しい。
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