[コメント] 晩春(1949/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
今月末には32歳になろうというのに妹にも先を越され、私は未だに独身で、実家で両親・祖母と暮らしています。友達はほぼ結婚し、ベビーブームの真っ只中。親類に会えば必ず「づんちゃんはいつ結婚するの?」と聞かれ、事あるごとにお見合い話を持ちかけられていたのも早数年前。今では腫れ物に触るような扱いを受け、もしかして結婚話はタブー視されてる?とこっちがキョドってしまうほど。そりゃもちろん早く結婚したいよ私だって。その気持ちは誰よりも強い。でも・・・本当に結婚したくないんだよ。この相反する気持ち、どちらも嘘じゃないんだよね。
私は二人姉妹の長女として生まれ、物心ついた時から「婿養子さんを貰ってね♪」と母親に言われ続けて今まで暮らしてきたんです。小さな頃は「分かったよ!」と返事していたし、絶対お婿さんを貰うんだと強い意志を持っていた私。それが成長して恋をするにつれ、無謀な事だと分かってくる。付き合う人は長男だの一人っ子だの、世間に次男ていないのか!?と絶望したものです。両親も今では諦めてしまった部分もあり、早くお嫁に行けと言う。でも心の底では家を継いでほしいと思っているのがハッキリ分かるし、私だってもうお嫁に行くしかないと覚悟は決めていても、残された家族の事が気になる。お互いジレンマを抱えて、それでもいずれは本当に覚悟を決めなきゃいけない日が来るんだと思う。
さて、ようやく『晩春』の話。60年近く前の作品で、私の両親も生まれていない頃のお話。当時27歳独身と言えば現在の32歳独身より相当ヤバいと思う。叔母が煩くお見合い話を持って来る気持ちも分かるし、それを鬱陶しく思う紀子の気持ちもよく分かるんだこれが。しかも母親は他界し、父親と二人暮し。想像するしかないけど、紀子は恐らく一人っ子。紀子の立場からして、こんな状況で結婚に踏み切れる訳がない。「自分がいなきゃ父親はどうなってしまうんだ。」そう思う紀子は非常に健全だ。ましてや前半では父親が何も出来ない事が執拗に描写される。「おい紀子!お茶」「おい、タオル!」「紀子、シャボンがもうないぞ」着ていたスーツを脱ぎ散らかした挙句「帯」の一言。私ならもうムキー!!!となって帯で父親を叩いてるわ!そんな父親に文句一つ言わず紀子は世話をする。「私がいなくなったら父はどうなってしまうんだろう。」そう思うのは当然だ。
服部に抱いていたであろう淡い恋心をどういった気持ちで封印したのかは分からないし、単に紀子が失恋しただけなのかも知れない。そこは想像するしかないんだけど、親の存在が引き金となって壊れたって事だってあり得る。ここは描写が曖昧でよく分からない部分だけどね。
そうやって頑なに結婚を拒み続ける紀子にとって、父親から早く結婚しろと言われるのは一番辛かっただろうし、そんな父親が再婚を決めたと聞いた時に訳が分からなくなってしまうのは当然なんです。自分がいなきゃ父親はどうなってしまうんだろう、父親にとって自分はなくてはならない存在なんだ。そう思って覚悟を決めていた紀子にとって、父親の再婚話は相当の裏切りに思えたに違いないんです。ましてや再婚という事に異常な嫌悪感を抱いているのは小野寺のおじさんに「不潔だわ」「汚らしいわ」と笑顔で言っている事でよく表現されています。原節子さんの表情について述べられている方が沢山いらっしゃいますが、あの時の笑顔にも注意して下さい。女性はたまにああいう顔をして笑います。笑っているけど、心底相手を軽蔑している顔です。笑顔を取り繕う事によって、ますます非難がましさをアピールしているのです。ライトな感じに映るかも知れませんが、あれは非常にヘヴィな表情です。女性の表情には裏がある時が多々ありますが、あの顔がまさにソレなんです。何故彼女が再婚に対する嫌悪感をあそこまで募らせているのかは分かりません。当時の風潮かも知れないし、紀子の貞節的な観念によるものかも知れません。でも彼女が相当の嫌悪感を抱いている事はよく分かります。そこに来て父親の再婚話。紀子が相当なやきもち焼きだという事と自分の"一生独身で父の世話"っていう覚悟を踏みにじられたように感じてしまった逆ギレも加わり、彼女はあの時父親を今までにないくらい嫌悪したのです。汚らわしいと拒否したのです。だから部屋に入ってくるなと言ったんです。しかもあまりに頭に血がのぼって父親の嘘を見抜けないくらい平常心を失う始末。まるで思春期の少女です。27歳にもなってあんな事を言っているのは非常に幼稚だし滑稽だ。でも60年前の風俗を考えると、それも普通なのかも知れません。しかし再婚の嘘をついたあの時の笠智衆さんの表情は絶品です。あ、嘘ついてるって一発で分かるんだ。でも逆上している紀子には気づかれないくらい繊細な表情なんです。よくあんな顔が出来たと思う。素晴らしいです。
そして唐突に京都旅行。紀子は平常心を取り戻していました。その境地に行き着くまでに色々な葛藤があったはずなんですが、清々しいまでに省略されています。でも私はこういう省略法、嫌いではないです。結局肉親なんてそんなもんなんですよね。どんなに醜く憎悪を募らせても、それが根付く事がないのが肉親だと思うし、そこを省略するのはある意味正しいと思う。
この京都への旅から私はとどまる事なく泣き続けるハメになるのです。嗚咽すら漏らす程に泣き続ける事になったのです。小野寺のおじさんに不潔だと言ったけれども、実際相手の女性を見てみたらとても良い人だった。父親の再婚相手だってそう悪くないかも知れない。そして佐竹熊太郎さんだって…。そういうこじれた思いがほどける瞬間を巧く描いています。実際紀子は小野寺のおじさんにヒドイ事を言ってしまったと悔やみます。そして「お父さんの事とても嫌だったんだけど…」とまで白状する。父はもう眠りに落ちていた為その続きを言う事はありませんでしたが、彼女の心の変化を見て取るには充分なシーンでした。またこれまでの心情を吐露する素晴らしいシーンもあった。あの父と娘のシーン、完全に嘘なんですよ。作り物なんですよ。実際の父と娘があのような会話を繰り広げるなんて、ありえないんですよ。でもね、お互い心の中はまさにアレなんだ。こっ恥ずかしくてあんな事絶対口に出しては言わないけれども、だからこそあのシーンがアホみたいに心に響いたんです。映画ならではのシーンです。嫁ぐ娘の心境を代弁する原節子に、嫁ぐ娘へ餞の言葉を代弁する笠智衆。なんとも清らかなシーンで、今思い出しても号泣する自信があるよ私は!
そして翌朝、父親が小野寺としみじみ会話をするシーンも秀逸すぎる。あれは娘を持った父親にしか分からない心境だろうけど、独身の男性にも是非耳を傾けてもらいたいシーンでした。一生懸命育てた娘を手放さなきゃならない複雑な思い。「でも自分たちだってそうやって育ったのを貰ったんだから」という小野寺。嫁を貰う時には思いもよならない考えではないでしょうか。「嫁ぐ」という、女性なら誰もが経験しうる出来事は、女性にとってこれまで歩んできた人生との別れでもあるんです。それを慮る事の出来る男性って一体どれぐらいいるんだろう。私はこの映画、結婚を考えている男性には是非観てもらいたいなと思いました。
結婚式を終え、一人家に帰る父親の姿。ガランとした家が涙を誘います。また、父親はそこでちゃんと自分で帽子とコートを掛けて、脱いだスーツもハンガーに掛けるんです…!この何気ない描写で涙腺の緩みも全開です。前半の「自分で何もしない父親」という描写がガッツリ活きてくる。そして今まで平静を保っていた顔をようやく曇らせ、歪ませる。・・・死ぬ。泣き死にする!私もいつか父親にあんな顔をさせる日が来るんだわ、やっぱり私結婚なんてしたくない!(それじゃあ笠智衆さんの熱弁も意味ないじゃん)
そして後日、父親の再婚話が嘘だと分かったとしても、紀子はそんな父親のいじらしさに胸を打たれるんですよ。アヤが再婚は嘘だと言った父親のおでこにキスした事でも分かるとおり、女はそんな事で「騙されたあのクソ親父!」なんて思いません。また、この父と娘の関係を近親相姦的だと仰る方がいますが、私は全くそういう目で見ていなかったので(当然今もそうは見えない)、驚き、そしてたじろぎました。これは至って健全な父と娘の物語だと私は言い切ります。
ちなみに杉村春子さんには笑わせてもらいました。結婚も決まっていない相手の呼び方を気にするシーンなんて爆笑ものでした。「熊太郎さんじゃ山賊呼んでるみたいだし…だからって、くまちゃんなんて…ねぇ」「そう、だからクゥちゃんて呼ぶ事にしたの」・・・腹割れるかと思いました。ちなみに私の恋人はくまちゃんと呼ばれています。今日からクゥちゃんにします。でも胸元がもじゃもじゃな感じは一切ありませんし、もちろんゲイリー・クーパーとは似ても似つきません。へへ。
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08.10.16 記
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