[コメント] それでも恋するバルセロナ(2008/スペイン=米)
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我が家ではペネロペ・クルスを「オッパイぽろりペネロペちゃん」と長らく呼んでいたのだが、その認識を改めねばならないと痛感した。 スカーレット・ヨハンソンは好みの女優だし、いい女優だと思っているのだが、ペネロペちゃんが登場したら、「ウワッ!格が違う!」。 我が家では(主にヨメが口にすることが多いのだが)「最強女優」という称号があって、古今東西最強女優の中の最強女優は京マチ子ということになっているのだが、ここにまた一人、最強女優がいたことに気付いたのだ。 もはやペネロペちゃんではない。最強女優ペネロペ・クルス。 その圧倒的な存在感。官能的な肉厚感。カルメンはこういう女性だったのだろうなと想起させる魅力。
ある程度事前に予想できたことではあった。正直、予想以上ではあったが、そんな女優陣(レベッカ・ホールも含め)をウヒャウヒャ言いながら観る予定だった(『フロスト×ニクソン』のレベッカ・ホールも良かったしね)。
ところがどっこい、軽妙な音楽とテンポよく魅せる語り口や抜けるようなスペインの空気感等で気付きにくいが、実は『私の中のもうひとりの私』に似た、哲学アレンの系譜なのだった。 軽妙さとのバランスという点では『アニー・ホール』が近いかもしれない。
「セックスなんとかシチー」に代表される昨今流行りの“女心映画”なんかとは、まるで格が違う。 アップの顔が物語るものが全然違う。
この映画、多様な価値観を無理に押しつけないどころか、実は多様な価値観を提示すらしていない。 初めは、“固い女性と情熱的な女性”という2つの価値観しか提示しない。 それが、“求めるものが判っている女性と求めていないものが判っている女性”という2つの価値観を持つ。 さらにそれが、“結婚(婚約)と恋愛”、あるいは、“ビジネスマンと芸術家”、という2つの価値観の組み合わせで多様性を増してくる。 果ては、“男と女”、“肉体と精神”、“アメリカ的価値観とヨーロッパ的価値観”にまで至り、いやもうビックリした。
そんなこんなが、“ブロンドとブルネット”が並んで歩くラストシーンに集約されたかと思うと、観ていて鳥肌がたった。
余談
ハビエル・バルデムは『ノーカントリー』とは別人に見えるし、別人だと信じたい。
(09.07.05 ユナイテッドシネマとしまえんにて鑑賞)
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