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[コメント] リパルジョン・反撥(1965/英)
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★4オスの無自覚な暴力性に対する恐怖が転化する…サイコスリラーとしてアーカイブされているが、もしもこの時代にぽっと出てきたとするなら「生きづらさの…」なんて形容されたかもしれない、生々しい疎外感と痛み。一方で、横顔の映画。恐怖、放心、瓦解、すべてがなおも美しい。 (kiona)[投票(2)]
★3傑作との話を聞き喜んで見たものの、個人的に変なところが印象に残った。 [review] (t3b)[投票]
★4性にとどまらない生への嫌悪と吐き気の映画だが、嫌悪は果たされない願望の裏返しとしてある。ドヌーヴの目は、閉じるわけではなく、何かを探すようにぎこちなく宙をさまよう。このオープニングからして、ポランスキーの観察と実践は嫌らしいほど精緻で説得力がある。ポランスキーの作家性の本質は五感のレイプ、「侵(犯)すこと」なのだと思う。この技巧のいけにえが、切実な「青春映画」を浮かび上がらせる。 [review] (DSCH)[投票(7)]
★4このカトリーヌ・ドヌーヴがあったればこそ、「怖い」と「美しい」と「ゾクゾクする」がすべて同義語となり、吸い寄せられるような目まいに襲われる。 (シーチキン)[投票]
★4男女の関係には湿気が漂うものだ。料理は腐り、野菜は発芽し、血は乾き生と性を実証する。有機体でありながら無機化したキャロル(カトリーヌ・ドヌーヴ)の美しさは造花のように湿度というものを感じさせない。ただ瞳だけが、悲しげに最後の湿気を湛えるのだ。 (ぽんしゅう)[投票(2)]
★5心理を、視聴覚的空間性の問題として捉え、演出すること。その濃密さ。モノクロームの画面が、その純粋性をより際立たせる。 [review] (煽尼采)[投票(3)]
★5ギルバート・テイラーによるコントラストの強い白黒画面に、カトリーヌ・ドヌーヴの官能性がこれ以上ないくらい映える。本作もまた優れた「音」の映画だ。 (赤い戦車)[投票(2)]
★4音の無い静かな作品であった。そして長廻しとクローズアップという冷静かつ冷酷な撮影。このあまりにも非常な演出に適う絵作りにはカトリーヌ・ドヌーヴのような美しさでスクリーンを覆うしかなかったのだろう。それに応えた彼女も凄い。 (sawa:38)[投票]
★5 家賃を払う、肉を捨てる。ほんのちょっとのことができない主人公。ひとりの恐怖と何とかなるさという甘え。リアルな恐怖がここにある。 [review] (にくじゃが)[投票(3)]
★4これは恐い。追い詰められた袋小路のふくろのねずみになる恐さ。 [review] (カフカのすあま)[投票(1)]
★4寝苦しい夜、時計の秒針が刻む音に気が狂いそうになる感覚。冷徹に精密そして執拗に壊れゆく姿を追うカメラの唐突なぶれは観ている側さえ我を忘れさせる。叩きつけるような音楽も効果的。 (マッツァ)[投票(2)]
★5性への嫌悪と興味。カトリーヌ・ドヌーブ の仕草や、聞こえてくる小さな音のひとつひとつに織り込まれたメタファーの数々。観終わった後には、主人公の狂気が自分のものとして迫ってくる。 (リーダー)[投票(1)]
★4干乾びていくウサギの肉の腐臭をエサにするかのように、加速度を増して肥大化していく妄想。 [review] (くたー)[投票(10)]
★3バービー人形が壊れるさまを懇切丁寧に。 突如として鏡に男が写っていたり、壁が裂けたり、ぎょっとさせられます。 (たかやまひろふみ)[投票(1)]
★5見えぬ速さで伸びつづけるジャガイモの芽。食べると死ぬよ、って昔ばあちゃんが言ってたな。・・・なんて思いながら、ドヌーブのこわれるさまを見ていた。ポランスキーの共犯者になったつもりで。 (さなぎ)[投票(4)]
★4本人の意思にかかわらず、女の“美”はそれだけで武器になり、一人歩きをする。男に求められる“体”とそれを拒絶する“精神”の反撥。そのギャップが興味深く、同時にそれを顕微鏡で観察するかのようなポランスキーの好奇な視線も興味深い。 (モモ★ラッチ)[投票(1)]
★5ドヌーブの、鼻を弾く癖に感動。『こわれゆく女』でジーナ・ローランズが親指を立てて、ブッ!ブッ!という奴が鮮やかに呼応する。腐ってゆく肉も、『ブラッド・シンプル』魚へ。恐怖や執着の物質的シンボルを見つける天才ポランスキーのすべてがある。 (エピキュリアン)[投票]
★4脳内に「性」という名の虫が湧いて蠢く、そんな青春。その衝動。 (muffler&silencer[消音装置])[投票(1)]
★4贅肉のとれたサスペンス。ドヌーヴの代表作だと思う。 (ちわわ)[投票]
★5ロリータ好きなら必ず見るべき [review] (かなえ)[投票]