[コメント] チョコレート(2001/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
誰しも完璧な人生を望んでいるわけではない。ただ「救い」の欲しい人生もある。
いきなりですが、某著によりますと、およそ22才までは100%、22〜24才で50%の人が「夢と希望を持っている」んだそうで、これが52歳以上になると2%、すなわち50人にひとりしか夢と希望を持っていない―ってことらしいです。どこまでホントか別として。
フロイト先生によりますと、若いウチは「快原則」にのっとって行動し、歳いくと「現実原則」にのっとって行動するようになるそーな。まぁ、歳いけば誰だって多少は限界見えてきますからね。階段の踊り場で振り返ったとき、上にも下にも朽ちかけた階段しか見えなかったら、そりゃ死刑囚にも似た気持ちにもなるでしょう。
もちろんそれはどんな隣人のせいでもないですよね。唯一、自分を形成してきた「教育」のせいではあるにしても。大人であればあるほど、それを何とか自分の努力で克服しようとしますよね。そして大人であればあるほど、そこには「現実則」が働くことを知っています。「俺たちうまくやっていけるさ」という言葉が、「快原則」で動く若者のように力強くはないことが。でも言わずにはいられないことが、やさしく胸を打ちました。
うまくいかないだろう―ってことぐらい「現実則」が教えてくれます。でも「快原則」を捨ててしまうことは人生そのものを放棄してしまうことに等しいです。例え人生は鳥かごの中であり、階段の先には電気椅子が待っているのであっても、今そこにある「Monster's Ball」は救いであり、希望なのです。
そして、私がそうである―と感じてしまったことを、全てそうと言わずに演技で示したラストシーンはまさに秀逸だったと言えます。私は映画を観て、少し快原則を取り戻しました。劇中人物にも、そして私にも、現実に待っているのは電気椅子ではなく、乗り越えればいいだけの人生であり、それを「Monster's Ball」にしてしまうか否かは全て自分次第だということを思い出させてくれたからです。
そんな消極的な人生の選択を、今まさに「快原則」にのっとって歩んでいる人たちに分かってもらおうとも思いませんし、また分かるべきでもありません。全ての劇中人物の、いかんともしがたい囚われの人生。死で幕を閉じるしかない哀れな魂たち。全ての救いは真摯であること、ただその1点に集約されます。
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視点は変わりますが、細部ではなく全体が語られる作品はそれだけで成功していると私は考えます。 本当にいい作品でした。少なくとも人生に疲れ始めてきた私には。
これだけの作品が、8/18現在、全国13館、都内を除くと9館しか上映されていない現実に私は憤りを感じます。
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