★3 | 祇園の姉妹(1936/日) | 新旧の時代の相克は、いつ何時でもドラマトゥルギーを発露する。ピチピチの山田五十鈴が先輩格の梅村を凌駕しゆく様は典型的オーソドキシー。映画的安住の地平に有る。しかし、同時代に見た人が感じたろう衝撃は最早微塵もない。 | [投票(1)] |
★3 | ダイナマイトどんどん(1978/日) | 明らかに深作演出を意識した前半がパロディだと言うなら汁がしたたる位の本気が欲しい。設定が甘すぎ。東映実録常連組と岡本組とのコラボも食い足りなく岸田にもう1枚天本が欲しいところ。辛うじての終盤の狂騒がなければ救われない出来だった。 | [投票(3)] |
★4 | わが命つきるとも(1966/英=米) | 命を賭しても貫く信念…なぞと決して声高に叫ぶわけでもない。家族と平穏を愛した男の編年記。厚みある美術も素晴らしいが特筆は役者とカメラ。高価な衣装で泥濘に降り立つロバート・ショウの初出シーンはとりわけ印象的だった。 | [投票(1)] |
★4 | パプリカ(2006/日) | 夢がゴッタ煮なフィギュア等の物で代替されるところに限界を感じ、刑事のトラウマは余りに青く、終盤のカタストロフも10分短い。しかし、間断しない目眩く展開には矢張り魅了される。そして、魅惑的なパプリカに代替された千葉の心根は俺ら親爺には切ない。 | [投票(8)] |
★3 | ロープ(1948/米) | 手法は思いつきでしかなく物語とは何ひとつ必然な連関を持たない。10分目のカット繋ぎの黒身が来るたびに「ホーッ」とか「ナ〜ル」とか思ってしまうのはどうか。唯、こういう時代に変質者を主役に据えて平然と映画を撮っちまう変質味こそに意味がある。 | [投票(1)] |
★4 | 鉄コン筋クリート(2006/日) | 悉く巧いのだが新たな次元を切り開いたかというとそうでもない。多くの既視感のある表現をリミックスした世界が結果行き着くのは善悪論のシンプルなテーゼでしかないのだが、落とし所の補完が共生を訴え、だからこそかなりに胸を打つ。 | [投票(3)] |
★3 | 知りすぎていた男(1956/米) | ヒッチの技法は、どっちかと言うと物語に従属し映画的快感に乏しい。何より主題歌「ケ・セラ・セラ」が屹立した存在感を示す終盤は技巧に耽溺した作家があっけらかんと1音楽に隷属してしまう様が一種歪で異様でさえある。 | [投票(2)] |
★4 | 武士の一分(2006/日) | 登場人物が少なく若干単調にはなったが、キムタクの微妙な演技が冷や汗もんで別の意味で緊張を強いられ心地いい。明快なコンセプトが存在し『黄色いハンカチ』や『山の呼び声』に連なる予め定められた瞬間の為の映画。わかっていてもやっぱ上手いよ。 | [投票(5)] |
★2 | 硫黄島からの手紙(2006/米) | 絶望的敗走劇の中から絞り出される何ものかは遂に無く、紙芝居のようなステロタイプの日本兵が今風の役者演技でトレースされただけ。未だしも戦争の2重構造に言及した『星条旗』に比して余りに単視眼的で遠慮がち。狂気の果ての真実をこそ知りたいのだ。 | [投票(10)] |
★2 | ブルース・ブラザース(1980/米) | いい子ちゃんぶってチョイ悪入れてみました的2重構造のあざとさが全篇を被い乗れない。何よりランディスの演出はカッティングが稚拙で破壊の狂騒を単発のブツ切れで繋ぐだけでは映画的エモーションが生じるわけもない。白痴的すぎる。 | [投票(5)] |
★3 | 007 カジノ・ロワイヤル(2006/米=英=チェコ) | 鋭利なクレイグボンドは支持する。キャンベル演出は前半の幾つかのシークェンス(特にコンゴとマイアミ空港)は傑出した押しなのだが、後半「マジ愛」に踏み込もうとして間延びした。再三断線するカジノのシーンがバランスを欠き終盤はダレた。 | [投票(5)] |
★3 | 男はつらいよ ぼくの伯父さん(1989/日) | ここまで寅の恋の一線からの撤退を明快に呈示しちまって、代替が半端な満男の恋シリーズってんじゃ山田洋二も誠実味を欠くってもんだ。出演者皆歳喰って侘びしさだけが募るってのにはんちく野郎の半端な行動が輪をかけるってのよ。 | [投票(1)] |
★1 | テン(1979/米) | そりゃあ街で見かけた女を採点なんて男なら誰でも無意識下にやってることだろうが、そんなもん公然と映画にするようなもんでもないだろう。老エドワーズが見せ得べくもない下心をさらけ出してみっともない。大体ボー・デレクのどこが10点やねん。 | [投票(2)] |
★3 | 風の輝く朝に(1984/香港) | 伝説には熱狂をもって形成される過程と時代の変遷とともに上澄みが剥落していく課程がある。俺は後者に於いて作品に遭遇したわけだ。香港映画の愛しくも悪しき似非主義はロマンティシズムの形成にはベタ以外の何者でもない。 | [投票(1)] |
★4 | マシニスト(2004/スペイン) | 何か呪術的なものを想像していたが、サイコパスの王道的展開が予想外だった。悪く言えば在り来たりとも言えるが、直球勝負で臨み気合い漲る演出には惹かれる。ベールも素晴らしいが女優2人(特にジェイソン・リー)の片隅感が際だって良い。 | [投票(1)] |
★3 | 野菊の墓(1981/日) | 聖子の溌剌と紙一重の精一杯さが木訥とも感じられ、桑原の下手っぴさも田舎少年の純朴さを醸し出す。ど素人の2人のテンションを一応見れるものにした澤井の端正な演出をこそ評価するべきだろう。格調に欠けるのも仕方ない。 | [投票(2)] |
★5 | にあんちゃん(1959/日) | 少年は自我と親愛の狭間で悩んだりしない。前進あるのみで真摯であり、しかも当たり前の如く情愛も持ち合わせている。こういう自立し行く世代の芽生えは何時の間に摘み取られてしまったのだろうか。後の今村一家総出の脇役陣も充実。 | [投票(2)] |
★3 | 晴れ、ときどき殺人(1984/日) | 1軒の屋敷で繰り広げられる密室劇を、とにかく1画面内に多くの登場人物をギュウ詰めにひしめかせて見応えはある。しかし、角川第三の新人渡辺典子が非個性的で重く弾けない。ただ、その弾けなさが嫌いじゃない。 | [投票(1)] |
★5 | トゥモロー・ワールド(2006/米) | 多くの長回しが何かを見せんが為に周到に構築されている点にまず唸ったが、そんなことをもブッ飛ばす後半の怒濤の展開。キュアロンはSFという衣を脱ぎ捨て現在世界の混沌と対峙する。そして、訪れる確信的な希望にこそ涙せねばならない。今だからこそ。 | [投票(15)] |
★4 | グッドナイト&グッドラック(2005/日=仏=英=米) | 規定の事実という前提なのだろうが、マッカーシーのサディスティックをもっと前面に出した方が劇的であったと思う一方、実験的とまで言える抑制を選んだクルーニーが嫌らしくも男前とも思う。とにかく技術であってモノクロの粋とも言える撮影。 | [投票(2)] |