ウォード・ボンドの映画ファンのコメント
| ジェリーのコメント |
| 三人の名付親(1948/米) | 霧から雲へ、雲から雨へ、そして雨から大河に生々流転する水系のような永劫の時間を包み込んでいる映画。時間がみなぎり張り詰め臨界を越えて爆発した後の浄化の美しさがフォードの精髄。シーンから次のシーンへの変化のダイナミズムに他のどの映画が対抗できようか。 | [投票(2)] | |
| 素晴らしき哉、人生!(1946/米) | 1種の多元宇宙ものとも読める。天使は決して子供ではなく、壮年の男のイメージの系譜もあることを知ることができる。これが「ベルリン天使の詩」などにつながるんだと思う。 | [投票(1)] | |
| カンサス騎兵隊(1940/米) | 戦闘も恋の鞘当も信条の主張もキスも、すべてが平板で軽い。ヤマ場とダレ場の違いがはっきりしすぎている。ムラの原因は俳優には無いようだ。世界観の処理不足が気になる脚本と、マイケル・カーティスのせいである。 | [投票(1)] | |
| 激怒(1936/米) | 『M』の後日談ともとれる。孤立無援の人物に群集が冷たい仕打ちに及ぶという夢魔的モチーフがよく似る。『暗黒街の弾痕』にも類似構造があり、よほどフリッツ・ラング好みの展開なのだろう。このパターンを更に一ひねりしようとしたのだが空回り気味。 | [投票(1)] | |
| コレヒドール戦記(1945/米) | ジョン・フォードが、自らの理想とする男たちを描くとき、それはすべて「静かなる男」なのである。本作品を見ていてもあまりスカッとはしないだろう。この映画は映画を見ることのカタルシスから意識的に決定的に離れていくことを目指しているのだ。 [review] | [投票] | |
| 拳銃の町(1944/米) | 謎解きが中心で、ハードボイルド映画に登場しそうな人物が登場する異色西部劇。ジョン・ウェインがいつもと違うし(殴り合いはするが誰も撃たない)、じゃじゃ馬を演じるエラ・レインズにはファム・ファタールのテイストがある。 | [投票] | |
| タバコ・ロード(1941/米) | 主要人物が少しづつ画面から退場し、老夫婦が救貧農場に行くあたりからの美しいロングショットの連打を観ていて、この抒情性を最後に繰り出すために前半〜中盤にかけてのスラップスティック的ともいえる動的シーンの意味があったのかと膝を打った。静と動の振幅のスケールが桁違い。 | [投票(2)] | |
| 長い灰色の線(1954/米) | 無声映画のようなスラップスティック演技。機関銃のような会話劇。シネマスコープの幅いっぱいを使った構図。常にスペースに人が入っては次のスペースを生んでゆく動きの淀みなさ。相矛盾する要素が一つの器に渾然と融けあい揺るぎない統一体が創られている。 | [投票(1)] | |
| マルタの鷹(1941/米) | 「3つ数えろ」と比べると、マーロウよりもぎらついた感じがする分、余裕がない。それを良さと見る人もいるはず。 | [投票(1)] | |
| ミスタア・ロバーツ(1955/米) | ミスター・中間管理職。 | [投票] | |
| 赤ちゃん教育(1938/米) | この映画を見るには通常の2倍の集中度がいる。柔な神経ははねつけられる。 | [投票(2)] | |
| アパッチ砦(1948/米) | 家族の関係と、組織内の上下の関係と、男と女の関係と、隣人同士の関係と、戦友たちの関係と、白人とインディアンの関係が複雑に錯綜して、説話化を拒否する不思議な映画。この映画は、アメリカ白人にとって、日本人における古事記のような位置を占めるのではないか。 | [投票(2)] | |
| リオ・ブラボー(1959/米) | 再見して点数を変更。びしびしに決めておきながら、この余裕、この軽快感はただものではない。 | [投票(3)] | |
| 無法者の群(1939/米) | エロール・フリンの軟派なにやけ顔が、意外と西部劇にも似合う。ストーリーは破綻一歩手前の状態で、燃え上がる列車シーンを含むクライマックスの落ちも今ひとつ。メラニー役で名を残したオリビア・デ・ハビランドのこのお転婆な役は大変新鮮。 | [投票] | |
| ビッグ・トレイル(1930/米) | 映画の構成要素やストーリー展開が神話そのもの。ジョン・ウェイン がナイフの使い手という異能者として振る舞い、異界(あるいは敵としての先住民族)と融通無碍に渡り合う姿は、共同体に転生と進化をもたらす若い神を感じさせる。 | [投票(1)] | |
| 暗黒街の弾痕(1937/米) | 追いつめられる−−−ラング映画の基調がこの映画では無垢のまま表われる。新婚旅行先のホテルの池で蛙をじっと見つめる、ヘンリー・フォンダ とシルビア・シドニーがとても哀しくいとおしい。 | [投票(1)] | |
| モホークの太鼓(1939/米) | 老女主人の寝室に突如現れる敵。そしてその敵のユーモラスな振る舞い。驚かせた直後に唖然とさせ、さらにくすりとさせるどこかサイレント的な説話のリズム感。当時の同世代の映画監督がすっかり忘れてしまっている演出の古層をひょいと使ってみせる余裕度には脱帽せざるを得ない。 | [投票(1)] | |
| 危険な場所で(1951/米) | ノワールの切なさをたっぷりと賞味できる作品。仕事への打ち込み方を間違えた男の心の危ういバランスを、女が癒す。この女もまた薄幸なのだが、薄幸を乗り越え、諦念を乗り越え、聖女として輝く。この映画の美しさの芯はここ。前半と後半の対照が素晴らしい。 | [投票(1)] | |
| ヨーク軍曹(1941/米) | クリント・イーストウッド監督登場以前と以後では映画における知性のあり方が画然と変わってしまったが、それでもプレ・イーストウッド時代の映画的知性の頂点に立つハワード・ホークスの本作を讃える。詐欺的なまでに狡猾な登場人物配置とキャスティングで主役造形の黄金率を彼は作った。 [review] | [投票(3)] | |
| 果てなき船路(1940/米) | 状況を解説する登場人物が一人もいないというだけで稀有な名品足りえている。ダドリー・ニコルズの徹底した下流水夫たちの行動描写に呼応したジョン・フォードの凝視の力に、グレッグ・トーランドの無駄肉をそぎ落としたような冷徹な描写力が加わり、万葉調の雄渾な作品となっている。 | [投票] |