★3 | 「あっそう」 [review] (IN4MATION) | [投票] |
★4 | ソクーロフ、脚本のアラボフは実に裕仁天皇のことをよく勉強しているし、海外資本の映画でなければ彼をここまで深くえぐり込むように描くことはできなかったろう。だが、やはりイッセー尾形の演じたのはロシア人の夢想する、お伽の国の王様の匂いがする男だ。 [review] (水那岐) | [投票(12)] |
★2 | だって苦悩してたのはヒロヒトじゃなくてイッセー尾形じゃん。 (るぱぱ) | [投票] |
★5 | その映画館の足下で、銀座線が規則正しく走っていく。 [review] (浅草12階の幽霊) | [投票(5)] |
★5 | 太陽に暇無く。東が終われば、次は西。西が終われば、また東。魔魚襲来する悪夢を見ようが、脳裏に地獄が過ろうが、またはだからこそ、常に何かを何処かを誰かを照らさねばならぬ宿命。沈めば後は残照を鈍く射返す金屏風のみなのだから。 (Lostie) | [投票] |
★3 | 昭和天皇がお亡くなりになられた時、私は齢10歳前後。なので、昭和天皇の記憶はぼおっと薄っすらとしかない。ただそこにいる、静かに佇んでいる、と言うのが印象でした。 [review] (リア) | [投票] |
★4 | 久々に映画を観ながら時分自身の心に問いかける。という貴重な体験をさせていただきました。 [review] (甘崎庵) | [投票(10)] |
★3 | 現人神とされ世間から隔離された男の奇妙な感覚のズレと、人間として当然持ち得ている感情のユーモラスな発露をイッセー尾形は見事に演じきった。桃井の醸し出す茫洋さも、なるほどあの男の妻とは、こんな女だったのかも知れないと感じさせる説得力があった。 [review] (ぽんしゅう) | [投票(3)] |
★5 | 2時間、一定の緊張感をもってしかも高揚感を保ち映像を見続けるという映画ファンにとって最高の至福を久々に感じることの出来た傑作を見る。
[review] (セント) | [投票(13)] |
★4 | 勿論これが本当のヒロヒト天皇だと俺は思わない。ただ、これもヒロヒトの一部であるとは思われる。今まで日本人が見た事のない、しかし見たかったヒロヒトがそこに居た。誰かが創るべき映画だったと思う。☆4.7点。 [review] (死ぬまでシネマ) | [投票(1)] |
★2 | チャーリー・チャップリンに例えられる「雲の上の存在」の一人芝居が、ソクーロフが(いつも)描く灰色がかった近未来的世界観の中で展開される。「あ、そ。」と突き放されるたびに、観たかった対象の輪郭や色彩がますます失われていく。(★2.5) (グラント・リー・バッファロー) | [投票(2)] |
★4 | 強いられた一人芝居として、虚空に‘日本’を描かされる天皇。しかし彼は、ロシア人監督が考えるような、唯一神的な存在だったんだろうか。 [review] (煽尼采) | [投票(7)] |
★4 | 別に史実に忠実な訳ではない、しかも外国人の手になる作品。なのに、なぜこんなにもリアルを感じるのか。 (SUM) | [投票(2)] |
★4 | 「歴史とは死児を想う母親の哀しみである。」 [review] (鷂) | [投票(2)] |
★4 | 史実のヒロヒトとはまったく関係のないモノとしてみた。史実のヒロヒトとそのままリンクさせるのはあまりにも危険であるからだ。その結果、ソクーロフのユーモアを交えた、ある種のコメディとして観るに至ってしまったのだが、これは果して間違いなのか? (O-Maru) | [投票] |
★4 | イッセー尾形は形態模写の領域を超えてる。でもヒロヒトを知らない人は堪ヘ難キ眠気ヲ堪ヘ、忍ヒ難キ退屈ヲ忍ばねばならないかもしれない。 (TOMIMORI) | [投票] |
★4 | 人間になりたかった天皇(そして彼に「太陽」であることを求めた国民)[銀座シネパトス2] [review] (Yasu) | [投票(7)] |
★3 | 時間の流れも時代の空気も密閉された空間からも、解き放たれた時に遭遇する混乱を体験し、<天皇>とともに受け入れる。それだけの為に存在する静かな2時間。 (chilidog) | [投票(1)] |