★5 | ビスコンティ前期の最高傑作。この精神が後期に試行錯誤の上、後期に生かされてゆく。 [review] (chokobo) | [投票] |
★4 | 19世紀後半のイタリア 貴族の没落 中産階級の台頭 世代交代を暗示する華やかな舞踏会 誇り高い当主の諦観 ビスコンティの映画はいつも哀しい。 (ルクレ) | [投票] |
★3 | 若いアラン・ドロンの美しさに、滝のよだれ (ボイス母) | [投票(1)] |
★4 | 正統ヨーロピアン保守の戸惑いが公爵の茫漠とした表情に滲む。過去の秩序に学び必要最小限の“変化”を受け入れるのが保守の流儀であり矜持。だが時代の変化は想像を超えていた。彼も気づかぬうちに受け入れざるを得なかった“妥協”の代償はあまりに大きかった。
(ぽんしゅう) | [投票(1)] |
★5 | あの何百人もの人々が楽団つきで踊っている会場が個人の家の中とは・・・。「部屋の数が覚えられるうちは豪邸とは言えない。」これだけ豪勢な見せ場を撮りながら、人間、政治に対して冷徹な視線を絶やさない演出は立派。 [review] (ジョー・チップ) | [投票(1)] |
★4 | 全てを見届け、これから長いのか短いのか分からぬ人生の午後を生きていく老貴族の熾き火のような感情を、克明極まりない演技で見せ付けられる。自分の属する階級への愛着と時代に取り残される忌避感覚の複雑な混交が、ベラスケスの絵画のように濃密な画面の中で展開する、その激しさ。 (ジェリー) | [投票(2)] |
★4 | クラウディア・カルディナーレはキツそうな顔で好みではないが、他と出すオーラが明らかに違うね。 (TOMIMORI) | [投票] |
★3 | この細部まで完璧に磨き上げられた建造物のような作品の構築力は、好き・嫌いを超越して感心させられる。しかし表面的な美に興味の無い人間にとってみると、やや退屈だ。 (モモ★ラッチ) | [投票] |
★4 | 豪華絢爛。舞踏会シーンの演出力には驚嘆。上質の大河ドラマ。 (赤い戦車) | [投票] |
★4 | この湯水のように尽くされた贅沢、庶民としては有難く恩恵に預かりましょう。そしてドロンとカルディナーレの野卑な魅力。 (くたー) | [投票(4)] |
★5 | 階級闘争の必然を頭で理解しつつ、しかし心は没落の鎮魂歌に拠っている。ヴィスコンティの立ち位置の余りに明晰な映画構造とのシンクロ。全ての思いの混濁を飲み込み圧縮破壊する40分の舞踏会の熱暑と重厚。その男の意地の集積には憧憬の念しかない。 (けにろん) | [投票(2)] |
★4 | ヴィラボスコグランデの壁紙や家具調度、舞踏会の貴婦人たちの衣装や装飾や髪型、貴族の服の生地や仕立て、など全てが最上質。街の石造り、屋根瓦、砂埃まで上質に見える。カルディナーレとドロンの官能的な追いかけっこ。 (動物園のクマ) | [投票(1)] |
★3 | もっと華麗で豪勢なものを期待していた。意外に埃っぽくてむさ苦しかった。 (ドド) | [投票] |
★4 | 亡父と共に名画座に見に行ったのですが、世界史フェチの父が歴史的講釈を始めて止まらない止まらない。周囲の人が「シーッ」っていうのも聞こえないんだもんね。(『アラビアのロレンス』の時もそうでした。) [review] (りかちゅ) | [投票(1)] |
★3 | 豪奢な倦怠。変化していく現実の中で、敢えて時代に取り残された存在としての役を演じているかのようなファブリツィオのアイロニー。 [review] (煽尼采) | [投票] |
★4 | 革命に湧く激動の時代を皮肉に見つめる。これこそがヴィスコンティの視線。 [review] (甘崎庵) | [投票(2)] |
★2 | 時代の変遷が女性の美などで分かりやすく描かれるのかと。カルディナレさん期待ほどでなく。 [review] (G31) | [投票] |