A | ★2 | 害虫(2002/日) | 30年前の手法から主義と主張をきれいさっぱり抜きとって、何かを語ろうとしても抜け殻しか残らない。いや塩田明彦にとってはこれで良いのかも知れない。彼の興味は今という時代ではなく少女そのものにあるのだろうから。悪くは無いが、面白くは無い。 | 投票(1) |
A | ★2 | ションベン・ライダー(1983/日) | 頭に浮かんだやりたい事は、全てブチ込みました・・・でも、何にも出てきませんでした・・・という作品。好意的に見れば、後の『台風クラブ』へつながった、ということかなぁ〜 | 投票(1) |
A | ★2 | Little DJ 小さな恋の物語(2007/日) | 「小さな恋」と題しながら、少年少女の心情描写はおざなりで、際だつのは大人の右往左往ぶり。触媒となるべきDJというコミュニケーション行為もただのお遊びにか見えない。8割は女性客と思しき試写会場で、嗚咽の気配に包まれながらの睡魔との格闘は辛かった。 [review] | 投票(4) |
B | ★5 | 夏時間の大人たち(1997/日) | これはキズの映画だ。傷は痛みの痕であり、瑕は自分の発見であり、創は進歩への自信。大人も子供もみんなキズの中を生きている。キズこそが生きている証し。そんな中島哲也のポジティブな発想に、勇気づけられる。 | 投票 |
B | ★4 | 絵の中のぼくの村(1996/日) | 親達の村社会との軋轢を描くドラマ部の芝居としての心情演技と、子供達が自然の中で見せる挙動としての無邪気な身体演技が絶妙に入り混じる心地よさ。岩波出身東陽一のバランス感覚が生んだドキュメンタリーファンタジーとでも呼ぶ不思議な郷愁の世界。 | 投票 |
B | ★4 | NAGISA なぎさ(2000/日) | そう、心の成長には少しの背伸びと悲しい思い出が必要なのだ。自分でも気付かないうちに子供と大人の境界を、ふらふらと行き来する少女松田まどかがなんとも可愛らしくいとおしい。昭和30年代の風景へのこだわりがもっとあったら間違いなく5点。 | 投票 |
B | ★4 | 鉄塔武蔵野線(1997/日) | いつまでも、いつまでも・・・。どこまでも、どこまでも・・・。ぐずぐずと・・。これって男(の子)の性(さが)ですよね。 | 投票(2) |
B | ★4 | お引越し(1993/日) | 『セーラー服と機関銃』の薬師丸ひろ子は赤いハイヒールを履いて「少女」に別れを告げた。レンコ(田畑智子)は、船を赤々と焼き尽くす送り火とともに家族を葬送し、「少女」という未来へ続く道程の入口に立つ。未熟者を慈しむ相米の視線はいつも温かい。 | 投票(2) |
B | ★4 | ごめん(2002/日) | 今でもよく学校の夢を見る。登場する人々が仕事仲間だろうが家族だろうが、何故かいつもその場所はかつて通った小学校の教室や廊下や校庭だ。きっと10代の前半に知らずに越えてしまった境界のようなものがあり、あの場所へは夢の中だけでしか行けないのだ。 | 投票 |
B | ★4 | お父さんのバックドロップ(2004/日) | 映画的に色の付いていない宇梶剛士と神木隆之介の起用で、手垢の付いたお決まりの父子物語からマンネリ感を拭いさり活き活きと再生させたキャスティングの妙。奇をてらわない李闘士男の演出も良い。素直な娯楽映画が撮れる監督のデビューを祝す。 [review] | 投票(4) |
B | ★4 | どこまでもいこう(1999/日) | 博物館の展示物のような戦車のプラモデルより、手作りの爆竹飛行機や花火銃をカッコ良いと思うこと。近づくことの出来ない少女や、離れて行く友を前にどうすることも出来ない自分を知ること。それは何時の時代においても、子供が子供であることの証しなのだ。 [review] | 投票(2) |
B | ★3 | 白い手(1990/日) | 大人の視点が抜けきらない子供の話しは奇麗なだけで心には響かない。劇中、先生が生徒の作文を「大変良く書けているが、少々自分に都合良く書きすぎているところが欠点です」と批評するセリフがあるが、この言葉がそのままこの作品にも当てはまる。 | 投票 |
B | ★3 | 夏の庭 The Friends(1994/日) | 児童映画ということを過剰に意識してだろうか、いつもの「強引」が「流麗」にまで昇華するカメラワークが少なく相米色が薄い。定番の疾走や雨や花火や坂道や自転車も画面に与えるインパクトが弱く、ひと夏の死をめぐる物語は予定調和に行儀よく納まってしまった。 | 投票(1) |
B | ★3 | 秋立ちぬ(1960/日) | 子供を描くとき、大人の視点で計算した世界に配置されただけの子供は実に分かりやすく大人にとって都合が良い。この子供たちもやはり、大人の男女の悲喜交々を引き立たせるために成瀬巳喜男の頭の中で準備された一つの素材にしか見えない。 | 投票 |
B | ★3 | 少年時代(1990/日) | おとなが頭の中で考えた“少年時代”。それを人は想い出と呼ぶのでしょうが、どこか薄っぺらい感じはいなめない。 | 投票(1) |
B | ★3 | 四万十川(1991/日) | 80から90年代にかけてアジアの若手作家たちが同種のテーマを描くにあたって見せた瑞々しさに比べ、70年代で思考停止してしまったかのような恩地日出夫のスタイルのなんと古めかしいこと。不似合いな音楽も手伝って安藤庄平の自然な画が死んでる。 | 投票 |
B | ★3 | 鉄人28号(2004/日) | 今、少年達に受け継がれるべきものは、平和の為のお題目などではない。過去から蓄えられた知識と、巧たちの技、そして自分の身をもって知る肉体の痛みなのだ。マッチョ逆三角形西洋体型ロボットと愚直に対峙する鉄人28号のあんこ体型の図太く凛々しいこと。 [review] | 投票(1) |
B | ★3 | あおげば尊し(2005/日) | 自ら体験したことなら教えることも可能であろう。肉親の死を目の前にしても、死の意味を実感としてとらえることは不可能であり、教え子に死の意味を伝えることができず途方に暮れる教育者(テリー伊藤)の姿は、人として実に真摯であり共感が持てる。 [review] | 投票 |
B | ★2 | ノーライフキング(1989/日) | 私たちは知っている。子供に演技をさせると白々しい大人の意図が見えることを。子供に演技をさせないと空々しい大人の知恵が見えることも。そこでどうするか?それが映画表現じゃないのでしょうか・・・市川準、まだ映画を創れずの感あり。 | 投票 |
B | ★2 | バーバー吉野(2003/日) | 伝統と革新やら、母と息子の絆やら、男の子の性やら、いろいろ言いたいことは有るようですが、詰め込んだものが消化しきれず全て中途半端。登場人物も全て魅力ゼロ。新人監督には多少破綻があっても、一点突破的な傲慢さと独自のスタイルの貫徹を期待します。 | 投票(6) |