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ウルフマン(2010/米) | やっぱりジョー・ジョンストンはいい。シーンの不足のため物語の咀嚼が万全でない憾みは残るものの、現代のテクノロジーを駆使した古典新訳としてこれは立派。ゴシック世界の丹念な構築ぶりは『スリーピー・ホロウ』組(美術リック・ヘインリクス、音楽ダニー・エルフマン)の仕事と知って腑に落ちる。 [review] | [投票(2)] | |
インディ・ジョーンズ 最後の聖戦(1989/米) | 冒頭と結末を飾る「砂漠」と「馬」に、西部劇に対するスピルバーグの憧憬が滲む。達者なショーン・コネリーとの対比でハリソン・フォードのコメディセンスの貧しさが浮き彫りになってしまう弱みはあるものの、列車・ボート・飛行機・戦車など無節操に氾濫する乗り物アクション演出の平均点は三作で最良。 | [投票] | |
インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説(1984/米) | シリーズにヒロイン交代制採用の吉凶は相半ば。アクション演出におけるスピル氏の天才を認めるには『シンドラーのリスト』まで待たなくてはならないが、トロッコチェイスの設計はよい。飛行機脱出→雪山滑走→激流下りの展開力も侮れない。幼子らの強制労働という倫理的に洒落ならん光景を盛るのは作家性。 | [投票] | |
レイダース 失われた聖櫃〈アーク〉(1981/米) | 嫌いになれるわけがない映画だが、概してこのシリーズは秘境・遺跡の美術が酷い。子供騙しと馬鹿にされても仕方のない面はある。一方でロケーション撮影は好調。また、蜂の巣・串刺し・炎上・溶解、果てはプロペラによる切り刻みなど、ハードコア人体損壊描写をエンタメ化する豪腕に真骨頂を覗かせる。 | [投票(2)] | |
フローズン・リバー(2008/米) | 国境映画の傑作。飽きもせず西部劇ばかり見ている身からすると、国境なるものは米墨間にあるばかりではないのだという当たり前すぎる事実に目を見開かされる。「保留地」と凍結により交通可能となった「河」を組込むことで、国境は二分化機能を超えた複雑な相貌を持つ。きわめて映画的な地理感覚。 [review] | [投票(2)] | |
日曜日が待ち遠しい!(1982/仏) | リラクシン・サスペンス・コメディ。このファニー・アルダンはとっても魅力的だ。映画は魅力的な女性とささやかな謎さえあれば出来てしまう。雨降る夜や電話ボックスの俯瞰など思わず目を見張るカットも。端正な黒白で車中のアルダンを真正面から撮ったカットはもはやグッド・オールド・ハリウッド。 | [投票] | |
シャッターアイランド(2010/米) | 画面の停滞感が尋常でない。映画狂らしく『シャイニング』『ショック集団』ほかヒッチコックなどなど膨大な映画的記憶に基づいて撮られているも、それがどうした感濃厚。撮影・主演者との関係も解消の潮時かも。フラッシュバックの使い方もこれでよいのかしら。むしろ駄目の見本に思えるけど。雰囲気はやたらある。 | [投票(2)] | |
しあわせの隠れ場所(2009/米) | 生来の善性が刻まれた「顔」たちによる「保護-被保護」の映画。とりわけサンドラ・ブロック、長女リリー・コリンズ、コーチのレイ・マッキノンの顔がすばらしい。キリスト教精神でも南部気質でもなく、彼らの顔こそがその善行ぶりを正当化する。食卓で手を取り合う場面ほか涙なしに見られない箇所がたくさん。 | [投票(1)] | |
マッハ!弐(2008/タイ) | トニー・ジャーの貴種流離譚。むろん体技は超スゲーが、ワンカット性に対する意識は希薄だ。高速度撮影は動作の検証を可能とする代償に、その事件性を奪う。端的にはバスター・キートン不足。「象の背渡り」などにしても大して面白くはないのだが「思いついたらやらずにおれん」という性向は映画人として頼もしい。 | [投票] | |
第9地区(2009/米=ニュージーランド) | 我が国の公開順で云えば『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』『ダレン・シャン』の後を承け、さらに『ウルフマン』『タイタンの戦い』へと続く「半人」の映画。アメリカ映画に拘らなければ『渇き』も列せられる。【分類の観点】(1)半人化の原因(先天的か後天的か) (2)性質・能力・外見上のヒトとの相違 [review] | [投票(6)] | |
渇き(2009/韓国) | どうしてもコメディを志向してしまうパク・チャヌクの性向には親しみを抱くが、背徳感は相殺されてしまっている。背徳的なのはあくまでも物語の筋であって、映画そのものはそうなっていない。日光を致命的弱点とするなどの「不具性」よりも、驚異的な膂力や回復力などの「超人性」が強調された吸血鬼。 [review] | [投票(2)] | |
真珠の耳飾りの少女(2003/英=ルクセンブルク) | 「映画」と「絵画」の異同についての考察の映画。エドゥアルド・セラが操る光と構図の絵画性。カメラ・オブスキュラのくだりは史実に沿った描写というよりも映画の起源についての言及だ。コリン・ファース主観としてのスカーレット・ヨハンソンのクロースアップも「アップであること」の確固たる意味を持つ。 | [投票(1)] | |
抱擁のかけら(2009/スペイン) | 原色を用いて画面はいかにもアルモドバルのタッチを継承しつつも、瞳を刺すどぎつさは後退して柔らかみが与えられている。それは初めて撮影を担当するロドリゴ・プリエトがもたらしたものか、それとも作家的成熟の証か。いずれにせよ、前作に続いてアルモドバルは開かれた映画を目指している。 [review] | [投票(4)] | |
アンナと過ごした4日間(2008/ポーランド=仏) | 息詰まるアクション・サスペンスの傑作。「ぬかるみでの転倒」「窓からの入退室」「ベッド下へのスライド移動」などの面白アクションが満載。繊細で深みに富む色彩と陰影がもたらす画面の豊饒はクローネンバーグの近作やオリヴェイラに通じる。ヘリコによる暴力的照明・音響や「牛」にも大吃驚。 | [投票] | |
ニューヨーク、アイラブユー(2008/米=仏) | プロデューサーの映画。小さくまとまりすぎている。誰ひとり銃撃戦を撮らないなんて! とは云わないが、これだけ演出家が顔を揃えながら他を出し抜いてやろうという野心を見せる者がいないのは少し寂しい。その点から云えばシェカール・カプール篇が頭ひとつ抜けた出来だ。と見るのは安易すぎるか。 [review] | [投票(2)] | |
シェルター(2010/米) | ジョナサン・リース・マイヤーズは複数の人格を演じて物真似の達者ぶりを披露。でもこんなのを出演歴に加えたところで何の出世にも繋がらんよ。と忠告してあげたくなる映画。関節芸など一回で充分の恐怖演出を繰り返してしまう傾向がある。山の魔女(?)登場以降の悪ふざけ感覚も好感を抱くには突き抜け不足。 [review] | [投票(1)] | |
(500)日のサマー(2009/米) | やはりここでもアメリカ映画の圧倒的な地力を感じてならない。それを出演者の側面から云えば、キャスティング能力が抜群に高いということになるだろう。もちろん、まず俳優の人材が豊富であることが前提とはなるが、それにしてもどうしてこうも次から次へと役にぴったりの顔を登場させられるのか。 [review] | [投票(4)] | |
羊たちの沈黙(1991/米) | ジョディ・フォスターとアンソニー・ホプキンスの指が一瞬触れ合うだけのことをクライマックスに仕立ててしまう究極のプラトニック・ラヴストーリーに、これもまた究極の「肉」欲たるカニバリズムが不断に襲いかかり、かくして映画は無謀に美しい均衡に支配される。真の「アメリカ映画」は常にアメリカを脅かす。 [review] | [投票(4)] | |
ユキとニナ(2009/仏=日) | 諏訪敦彦の『お引越し』。なんと正しい結末。その「正しさ」を判定する合理的かつ明確な基準などもちろんありはしないのだが、『ユキとニナ』にとってこれほど正しい結末があるだろうか! と溢れ出る涙が私にそう口走らせる。ユキが森を抜けた瞬間のロングショットに諸星大二郎『鎮守の森』をうっかり想起。 [review] | [投票(1)] | |
噂のモーガン夫妻(2009/米) | 歴然たる能力の高さを見せつけて映画を引っ張るヒュー・グラントにサラ・ジェシカ・パーカーも必死に喰らいついている。必死さを感じさせないところがまた偉い。まるで好みではないが、なかなか大した女優だ。好みで云ったら断然メアリー・スティーンバージェン。エリザベス・モスとキム・ショウも捨て難い。 [review] | [投票] |