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ジュリー&ジュリア(2009/米) | メリル・ストリープの横っ面を張り倒したくなる瞬間が二〇回ほど訪れる点を除いては善良な映画。「米国の沢口靖子」の異名を持つエイミー・アダムスを存分に堪能する。髪型のためか、どこか少年的な面影や振舞いがよい。衒いゼロで描かれるアダムスとクリス・メッシーナの「理想の夫婦」ぶりにも積極的に感動したい。 | [投票(1)] | |
シャーロック・ホームズ(2009/米) | ロバート・ダウニーJr.とジュード・ロウのいちゃいちゃ二時間強映画。着想はよいにしても今のダウニーJr.を使ってこの出来というのは重症。アクション演出の才能はほぼ無だ。レイチェル・マクアダムスはもっと綺麗に撮ってほしいとか不満は大小八〇あるが、サラ・グリーンウッドの頑張りで体裁を保つ。 | [投票(2)] | |
ハート・ロッカー(2008/米) | 「組」と称されるような固定スタッフを持たないビグローだが、果たしてこれはバリー・アクロイドの資質に適した題材だったか。『ユナイテッド93』などの実績もあるとは云え、やはりケン・ローチの撮影者という印象が強い。主人公の休暇シーン(トム・サイジェル撮影)との白々しいほどの対照はよく出ているが。 [review] | [投票(8)] | |
NINE(2009/米) | ダニエル・デイ=ルイスが(純粋にルックス的に)超格好いい。私は七女優と天秤にかけてもデイ=ルイスを取る。音楽は弱い。ニーノ・ロータがいればこれだって傑作風に見えたかも。とりあえず耳に残るのはパンチ力があるケイト・ハドソンの「シネマ・イタリアーノ」か。あと、ジュディ・デンチがいいことを云う。 [review] | [投票(3)] | |
ボーイズ・オン・ザ・ラン(2010/日) | この映画は『ボーイズ・オン・ザ・ラン』という原作漫画と同じ名を持つが、果たして「ボーイズ」という複数形が指そうとしているのは峯田和伸のほかに誰なのか。まさか松田龍平ではあるまい。小林薫やリリー・フランキーや渋川清彦であるはずもない。であるならば答えは決まっている。ボーイズとは私たちである。 [review] | [投票(2)] | |
戦場でワルツを(2008/イスラエル=独=仏=米=フィンランド=スイス=ベルギー=豪) | 劇中パブリック・イメージ・リミテッドの“This Is Not A Love Song”が印象的に用いられるが(一般常識を欠く私はここでレバノン侵攻の時代性を理解します)、むしろ私はザ・ポップ・グループのアルバム題“For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?”を思う。私たちは一体いつまで大量殺人を許容するのか? [review] | [投票(2)] | |
蘇りの血(2009/日) | 「蘇り」に力点が置かれているという決定的な相違はあるものの、和製『デッドマン』といった趣きが強い。「森林」や「小舟」が重要なモティーフとなる「移動」の物語。常識に囚われない、しかしどこか土着的な真実味を伴った生死の在り方(生死の境界の曖昧さ)。生々しくも戯画的な暴力描写。 [review] | [投票(1)] | |
ゴールデンスランバー(2010/日) | 「媒介」の映画。あらゆるモノやコトが媒介と化して「暴力的に」人々を接続する。それは「伏線の張り方が周到である」とか「作為的である」といった言説とは次元を異にする、この映画世界のシステムである。そしてそのシステムを起動させる動力を、この映画はとりあえず「信頼」と名づけている。 [review] | [投票] | |
ヴィレッジ(2004/米) | 誰であれこの撮影の好調ぶりを否定するのは難しいだろう。同年に日本で公開された他のロジャー・ディーキンス撮影作三篇と比較しても『ヴィレッジ』の達成度は際立っている。枯れ木の揺れ。ポーチのシーンも美しい。ホアキン・フェニックスがブライス・ダラス・ハワードの手を取る高速度撮影も肯定したい。 [review] | [投票(1)] | |
コララインとボタンの魔女(2009/米) | 3D吹替版。ダコタ・ファニングへの未練はもちろん残るが、舌の回りが滑らかでない榮倉奈々もいい。また、ストップモーション・アニメーションはその制作方法から云っても「動くこと」という映画の原初的な感動に現在最も自覚的な形式かもしれない。ひとつびとつの小さな動きに面白さが溢れている。傑作。 [review] | [投票(1)] | |
バッド・ルーテナント(2009/米) | もみあげの欠如が一段と目立つ今回のニコラス・ケイジ。己を知っていることはスターたる者の一条件だが、ケイジは自分がどのような表情や所作をすれば面白いかを知り尽している。その自己認識の正確さの度合いはトム・クルーズの域にも達しているかもしれない。とにかく、この映画のケイジは面白すぎる。腹痛い。 [review] | [投票(8)] | |
君も出世ができる(1964/日) | 巻頭でのフランキー堺宅に仕掛けられた美術ギミックが面白い。またここに限らず、オフィスやラストシーンの荒れ地においての、空間の嘘臭さがハッピーなミュージカルに適合している。正直云ってこの堺はあまり好きになれないのだが(特に体型が……)、雪村いづみら女優の魅力がそれを救う。植木等も嬉しい。 | [投票] | |
パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々(2010/米=カナダ) | 学園物の変種。遠足気分の冒険。一定程度の楽しさはあるものの、縦軸を支持すべき「母への愛」の演出が弱いこと、また下敷きがあるとは云え展開が場当たり的すぎることのため燃えない。ブランドン・T・ジャクソンの力不足もあって笑いどころで得点を重ねることにも失敗している。ローガン・ラーマンには期待できる。 | [投票] | |
愛のそよ風(1973/米) | ケイ・レンツはソンドラ・ロックとヒラリー・スワンクを足して二で割ったような顔立ち。好きです。こういう美少女の魅力をストレートに掬い取る演出もイーストウッドには珍しい。衣裳やギターもいい。「やれやれ」とでも云いたげなウィリアム・ホールデンの無言リアクションは俳優イーストウッドのようだ(逆か?)。 [review] | [投票(1)] | |
インフォーマント!(2009/米) | 九〇年代の実話というが映画は七〇年代風の意匠が施されて、ゆえに嘘臭い。「嘘臭さ」の物語。「面白くなる寸前」状態を全篇に持続させる意図的な寸止め演出、またマット・デイモンのキャラクタの本性を隠し/小出しにしながら語る仕掛けも了解するが、やはり素直に(哀しい)コメディに振ってくれたほうが私は嬉しい。 | [投票] | |
アバンチュールはパリで(2008/韓国=仏) | 男女関係の機微の描出だとか、もっと漠然と「雰囲気」だとかもそうだが、何より会話の抜群の面白さがロメールだ。いかにも怪しい現地人の警告から始まる「ビー・ケアフル」なパリの数週間。すっとぼけた時間跳躍(日付の挿入)もじわじわ効いてくる。昨今よく映画で聴くベートーベン第七番の使い方もこれが最優秀。 | [投票] | |
人情紙風船(1937/日) | 現存する山中の前二作に描かれた小市民やアウトローであることの幸せが、ここでは裏返しになって私たちを襲ってくる。仕官の道を断たれて豪雨に立ち尽くす河原崎長十郎の顔が闇に白く浮かび、私は画面に殺される。史上最も厳しい円環構造の映画。これは一篇の悲劇ではない。それは、永劫に続く。 | [投票(1)] | |
河内山宗俊(1936/日) | 誰もが息を呑み、胸を鷲掴みにされるだろう原節子の「打擲」と「雪」。いつでもアクションと風景こそが「映画」の両輪だ。クライマックスの死闘の壮絶さには歯を食いしばって耐えるしかない。しかし水路を行く河原崎長十郎と市川扇升を捉えた横ドリーカットの悲壮にはもう耐えられない。嗚咽にまみれる。 | [投票(2)] | |
続・激突! カージャック(1974/米) | 『ゲッタウェイ』と並んで大好きな七〇年代夫婦映画。むろんペキンパーのそれとは比較にならないほど幼稚な夫婦像だが、そこが楽しい。しかし、これはやはりまぐれの作ではないか。というのも、スピルバーグがこれほど豊かな笑いの感覚を持っているはずがないからだ。スピルバーグの作品暦で最も笑える映画。 [review] | [投票(3)] | |
丹下左膳餘話 百萬両の壷(1935/日) | 万人に愛される親しみやすさと巨視的にも微視的にも緻密な構成美を誇る最幸の親馬鹿映画。一般に「逆手の話術」と呼ばれる技法は台詞設計の妙である以上に、山中が「カッティング」の秘める可能性を知悉していた証左として理解したい。省略的に場面を割るカッティングによって現出する、美しき「溺愛」の情景。 [review] | [投票(4)] |