★4 | ザ・ウォーカー(2010/米) | 観察物として好ましい単身生活オッサン特有の几帳面さがデンゼルのいい年こいたナルシシズムにまで膨張するとしても、ミラ・クニス当人が作中で言及するように女難がオッサンらの自己愛の梏桎となる。 [review] | [投票] |
★3 | アポカリプト(2006/米) | お上り映画の体裁が未開への蔑視をある程度は満足させてくれるも、お上りという割には、その地理的前提となるべき村・森・海辺・街の距離感が不明瞭で集落の孤立感も言語が通じてしまうために皆無であり、その辺はマヤ語使用が裏目に出ている。 [review] | [投票] |
★3 | 眠れる美女(2012/伊=仏) | 社会時評を踏み台にして方々でナンパが始まり、憤青派の娘の発情のもたらす反感でトニ・セルヴィッロへの同情が促される。枯れたオッサンらが浴場で恍惚となると、絵の質感が超ドメスティクな内容にまるで見合わない現代イタリア映画の宿痾に見舞われる。 [review] | [投票] |
★4 | ラブレス(2017/露=仏=独=ベルギー) | 景物映画の画面構成と齟齬を来す感傷的なカメラが社会時評の力みを隠さないために、少子化警鐘の公共広告になりかねない。それは本線の副産物として働くおじさんドキュメンタリーのような風体をももたらす。こちらの方は邪念がない分、素直に見られた。 | [投票] |
★4 | スターリンの葬送狂騒曲(2017/仏=英=ベルギー=カナダ) | 本気印の美術と撮影では人の所作が喜劇になるはずもなく、ただ人間の手際の美しさが充溢している。イベント自体もブシェーミの勇気が試される教養小説のような居住まいの正しさで倒錯きわまりない。 [review] | [投票] |
★3 | つめたく冷えた月(1991/仏) | パトリック・ブシテーの荒廃した生活をどうするか。そういう話として始まり、相方のオッサン(ジャン・フランソワ・ステヴニン)を経由してブシテーを観察する趣向なのだが [review] | [投票] |
★3 | セインツ 約束の果て(2013/米) | ケイシー・アフレックの行状を美談調で捕捉する趣向が、美談調のままケイシーを疫病神にするアクロバティックを敢行。厄病は伝染してオッサンらの自滅を招き、堂々たる女難映画になるが、ここまで来てもずっと美談調のままなのである。
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★4 | ちはやふる -結び-(2017/日) | 雌の気を惹こうとして精進を重ねた結果、甲斐性がつきすぎて逆の意味で雌と釣り合いが取れなくなってしまった。野村周平が頑張るだけ広瀬すずから魅力が奪われる。
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★3 | ビューティフル・デイ(2017/英) | ホアキンの脱ぎっぷりのよさは露出狂というより、単身オッサンの生活感のなさがグラビア系イメージビデオのそれに接近してしまい、つまり脱いでいるのではなく脱がされているのであって、ホアキン自身戸惑っているのが実情ではないか。 | [投票] |
★3 | 毛皮のエロス ダイアン・アーバス 幻想のポートレイト(2006/米) | 助平が人類愛をもたらしたとき、意図のなくなった女の活動は時に少年のような徳性の輝きを放ちながらも、やがて熟女の淫乱と区別がつかなくなる。ニコールに下水管の詰まりをDIYさせた方が余程背徳感を覚えた。 | [投票] |
★3 | ショートバス(2006/米) | 開明でありたいと願う強迫観念が自己憐憫に至りがちで、事をミュージック・ビデオのような他人事の喧騒にしかねない。ただクローゼットの件では、かかる憐憫が異質の二人から共通の属性を見出し、男から負い目を引き出す手管を見せている。 | [投票] |
★3 | 天命の城(2017/韓国) | 人類の厚生から遊離した中小企業の内紛と道徳的コミットメントを統合する努力は放棄され、共和主義への転向が短絡的に行われる。あの内紛は何だったのかという徒労のみが残り、宿命に耐えられない君主という寓意を満たすための内的一貫性が得られない。 | [投票] |
★3 | ソルジャー・ブルー(1970/米) | 貸し借りの営みの中で男女それぞれの甲斐性が自然に醸成され、騎馬隊の挙動にはリアリズムで事象を裏付けたい欲求が窺える。 [review] | [投票] |
★3 | 真夜中の虹(1988/フィンランド) | 悲観しない人間の有り様の探求が彼らに課すのは、合理性に則った、ただ一つの解答であり、ベルトコンベアに運ばれるようなイベントの逐次的発現が叙述するのは、宿命に準拠することの、不安なまでな晴れ晴れしさである。 | [投票] |
★3 | サイドウェイ(2004/米=ハンガリー) | 男の甲斐性が問題とされると、それほど未練を抱けるような異性とそもそもどうして一緒になれたのか不可解を禁じえない。ジアマッティに熱視線を浴びせるマドセンがわからない。 [review] | [投票] |
★4 | 野獣死すべし(1959/日) | 仲代はこの時期の彼らしく何処を見てもおかしい。それを周囲が好青年だと扱うので、ますます同輩の無感覚の限度を試すような挑発的な作り込となってしまう。 [review] | [投票] |
★4 | 犬ヶ島(2018/米) | 動物の人権問題を突き詰めると愛玩化の否定になりかねないところを、そこはあえて逆行して、自らの本分を発見して受容するという価値剥奪の精神状態にむしろ高揚を求めようとする。 [review] | [投票] |
★4 | ナイトクローラー(2014/米) | ウィル・スミスのやりたがるような自己啓発映画への揶揄が、強盗殺人現場撮影の件で時間切れスリラーの型によってサイコパスへの反感が克服されてしまうあたりから本気印になってくる。 [review] | [投票] |
★4 | 甘い人生(2005/韓国) | 女の愛想笑いを誤解した童貞の暴走が組織の潰滅を試みるまでになった段階で、この話の客観性は事態をコントとして叙述せずにはいられなくなる。かかる含羞はだからこそ、女の魔性に取り込まれた男の痴態の補足に成功して笑いと催涙をもたらす。 | [投票] |
★4 | 乾いた花(1964/日) | 小娘に屈してしまうオッサンという性愛の弱者に池部良の生来の生硬さを援用するのは常套としても、加賀まりこの大いなる天然はそこにとどまらず、池部から女性的なセクシャリティを引き出してしまう。 | [投票] |