[コメント] ロスト・イン・トランスレーション(2003/米=日)
それは「どんなに完璧な翻訳をしても、生じてしまう齟齬」のことを言うのであって、つまり異文化との「しんどい対話」を試みた人だけが言っても許されるようなことで、しかしよ、おまえらそもそもコミュニケーションとる気ないやんけ。LとRのしゃべりわけができひん日本人とよ、なに考えてるかわからん日本人とよ、おまえらコミュニケーションとる気ないんやろ?あるんやったら現地語のひとつも覚えてこいよ。200万ドルももろて仕事しにきたんやったらその努力をせえよ。世界中どこでも英語が通じると思てんなよダボが。
ほいで、そんなわけわからん日本人の中で、英語のしゃべれる、アートだのファッションだのマスコミ業界の人間だけがお前らの友達やねんな。そいつらだけは、キテレツな日本人どもの中で、おまえらと話の通じる高等な人種と言うわけね。ああムカムカする。
こいつらには肉体がない。奇妙奇天烈な異国に、カラダごと飛び込んで、そのシッチャカメッチャカを丸ごと咀嚼する体力がない。そやから頭デッカチになるねん。頭デッカチやから神経症になって夜寝られへんようになるねん。頭デッカチならせめて、想像力ってもんを働かせてみいよ。おまえらのやってることが、人をバカにしてるかしてないか、よう考えてみいよ。よう考えてから「TOKYOダイスキデース」たら、言えるもんなら言うてみ。
ガイコクを訪ねれば誰しも文化風習のちがうそれがキミョウキテレツに見えるのは当たり前で、そんなことにわたしは怒っているのではない。しかしそうしてキミョウキテレツに見えることにも、その場所で生きている人間にとってはなにがしかの必然がある、ということに思いを馳せられるかどうか、つまり、翻訳不能な齟齬があっても、そこに「人間」が「生きている」ということの尊厳を認めているか?ということを問いたいのである。可笑しければ笑ってもかまわない。人間が生きている姿なんてそもそも滑稽なものだ。でもこの映画に出てくる日本人、誰も「生きて」いないよ?書き割りのように現れるだけだ。そしてふたりの米国人は、その書き割りを眺め、苦笑いして顔を見合わせる。そんな、都合の良い書き割り用意して、それを日本人だって言って笑って、それ、日本人バカにしてるんでなかったらいったい何だと言うの?
学校出たてでやることもなくて、夫の仕事についてきて夫が相手してくれへんからってメソメソしてるだけの小娘に、
落ち目で、妻ともうまくいってなくて、200万ドルで恥ずかしい仕事しにきてウジウジしてるおっさんに、
バカにされるために日本人生きてんちゃうぞクソボケ。よう覚えとけ。
追伸:ソフィア・コッポラよー、自分の目の前で夫に馴れ馴れしく擦り寄って来るキャメロン・ディアスにムカついたんやったら、本人に直接言えば?夫と別れた後になってまで映画の中で人小馬鹿にして憂さ晴らしてんなや。根性ナシが。
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