[コメント] スパイダーマン2(2004/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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一作目の大ヒットで心置きなく作らせてもらえたのか、サム・ライミ節全開(笑)。
ピザ屋のエピソードでお得意の“視点カメラ”でガーッと時計のアップ!もう大爆笑。 洗濯してんのかよ。色落ちしてんのかよ。エレベーターのエピソードなんて映画館で足バタバタさせて笑っちゃった。
サム・ライミ節はコメディー部分だけではない。テーマ的にもサム・ライミ節だ。 孤高のヒーローというのは『ダークマン』で、特殊な能力を持ってしまった故の孤独というのは『ギフト』で(実際台詞でも「与えられし能力」を「ギフト」と言っている)、いや、そもそもこの両方を『死霊のはらわた』シリーズのブルース・キャンベルで既にやっていたのだ。あのブルース・キャンベルは特殊能力と呼ぶしかない。
私が「<R指定>であるべき」という理由は、もちろん「何でチェーンソーがあるんだよ(笑)」という(ガーッって視点カメラも含めて)本領発揮の病院のシーン等がもっと“スプラッタ”であっても良かったという意味もある。 だが本当の意味は、この映画のテーマの根幹に関わる部分なのだ。
これはピーターの精神的イ●ポが治るまでの物語である。
蜘蛛の巣の上でのラブシーン(なんて素敵なシーン)、一本の糸が二人をつなぎ、彼女のハートをゲット!そう思えば、スパイダーマンの能力を性的メタファーとして捉えることだって可能だ。 だが、そう考えると「何だ?奴はザー●ンを街中にまき散らして飛んでるのか?」ということにもなりかねないので、ここは敢えて“本能”と呼ぶことにする。 愛する者を守るために戦う。この動物的“本能”こそ男を奮い勃たせる、もとい、奮い立たせるのだ。この映画にはもっともっと“エロさ”が感じられてもいい。
1作目は、彼女の気を引きたい→人知れず彼女を守るヒーローへ、という物語だった。 本作では、彼女を見つめる存在→彼女に見つめられる存在へ、という物語だ。 ここでもサム・ライミの視点カメラは生きている。 看板の彼女、フィアンセと腕を組んで階段を降りてくる彼女、いつも彼女を“見上げて”いた男は、素顔を晒して彼女を救ってから彼女に“見上げられる”視点にカメラが変わっている。
この男女関係の進展の結果、3作目では、「失うものは無い」という従来のヒーロー像を覆す「失うものを持ってしまった」ヒーローが登場する。「彼女に正体が知れてしまうのか!?」というハリウッド的な引っ張りや、「正体がバレたら最終回」というウルトラマンやデビルマンで馴らされた我々の感覚を凌駕する「得体の知れた」ヒーローが登場する。 アクションシーンに必然性が見出せない私とアクションシーンが退屈でしょうがないヨメ(テレビでアクション映画を観るとたいがい二人でグースカ寝ている)が、全く飽きずに観られる本シリーズ(それはひとえにサム・ライミの映画的視点とアイディアによる)。この手腕を信じて「今までにないヒーロー」が登場する3作目にも期待大!
いや、コインランドリーで衣装を洗濯している段階で今までにないヒーローなんだけどさ。
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