[コメント] ラストエンペラー(1987/英=中国=伊)
映画を見終った人むけのレビューです。
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この溥儀という人物は、2歳(数え年で3歳)で清朝最後の皇帝として即位して以来、皇帝としても、退位した後も、日本の傀儡国家の皇帝として担ぎ出された時も、戦後共産党によるイデオロギー偏重の「更生教育」を施された時も、一度たりとも真の自由を謳歌できたことがない。彼に許されていたのは常に与えられた範囲内での見せかけの「自由」。その自由の限界はあの紫禁城の「門」によって見事なまでに象徴されている。
しかし、この映画、もしくはそこで描かれる彼の人生に心を強く打たれたのは、単に彼が自由を許されなかったからじゃない。自由を謳歌できていなかった人なんて、当時は世界中に腐るほどいたはずだし、どっかのドラマで「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ〜」と歌ってるように、程度の差こそあれ、それは現在の世界においても現実であることには変わりない。そういった意味じゃ彼を特別視する理由はぼくには見当たらない。
ぼくがどうしようもないほどに心を揺さぶられたのは、むしろ、彼の悲しいまでの「孤独」。即位以来、彼にとって周りは、いつも、みんな敵か手下だった。対等に話のできるような友人などいない。彼は満州国建国時に日本からの働きかけに乗るわけだが、ぼくは、彼は傀儡国家満州国の皇帝としての地位には見せかけの権力しかないことをうすうすは感づいていたんじゃないかと思う。しかし、たとえ見せかけであっても、その孤独がゆえに、つまり敵か手下しか知らぬがゆえに、権力でしか自分を理解させる手段を知らなかった。だからこそ、あそこまでして権力に執着していたのではないだろうか。そして、初めて権力以外で自分を理解してくれた相手だった妻も、自分が見せかけの権力にしがみついていたばかりに、いつしかアヘン中毒になって自分のもとを離れていく悲しさ。
ピーター・オトゥール演じるスコットランド人専属家庭教師は言う。I think the Emperor is the loneliest boy on earth.
最後の皇帝となった溥儀は激動の時代を生きた。その人生を描いたこの映画は美しく、壮大である。しかし、ぼくは、その美やスケールよりも、どんな立場になっても、ただ自分を理解してほしいだけなのにその術を知らない「孤独な少年」であり続けた彼の心の叫びに、一番胸が張り裂けそうになった。
蛇足だが、この映画に粗は多い。西洋から見たオリエンタリズムの押し付け、中国人が英語を喋ることによるうさんくささ、体がむずがゆくなっちゃうような坂本龍一の演技、細かい史実との違い、など探していけばきりがない。すべて全くそのとおり。最初はそれらが気にならなかったといったら嘘になる。
でも、この映画を観終えたとき、それらが頭に浮かぶことは、ぼくにはなかった。
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