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[コメント] アンダーグラウンド(1995/独=仏=ハンガリー)

旧ユーゴの困難と人間の生きる意味。長い→
むらってぃ大使

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







旧ユーゴスラヴィアを表す有名な言葉として上げられるのが、

一つの国家(旧ユーゴ)、

二つの文字(ラテン文字とキリル文字)、

三つの宗教(カトリック、正教、イスラム教)、

四つの言語(スロベニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語)、

五つの民族(スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケド ニア人)、

六つの共和国(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モ ンテネグロ、マケドニア)

そして七つの隣国である(時間があったら地図で確認してみて下さい)。

仕事の関係上、今年の初めにサラエボに行く機会があったが、市内の中心部にある旧共産党本部のビル(20階建てくらい?)は、窓ガラスが全て割られ、銃弾の跡でまさに蜂の巣状態。ところどころには大きい砲弾が直撃した跡だろう、巨大な穴が空いているものの、崩壊するほどではないらしく、1階部分が板で囲まれていて人が入れないようになっているだけで放置されていた。

また、ちょっと離れたところに行くとオリンピック記念競技場(代々木の陸上競技場をちょっと立派にしたみたいな雰囲気)があるのだが、トラックを囲んでいる、芝生で覆われている客席部分の3割くらいにびっしりと真新しい真っ白な墓碑が立ち並んでいる光景には背筋が寒くなった。郊外に出ても、同じように真っ白な墓碑で埋め尽くされている空き地がたくさんあった。市内のビルなり家並みはだいぶ砲弾の跡が塗りこめられているようだが、それでも弾の跡がある家はいくらでもある。

現代の日本にいては想像することすら難しい市街戦の恐怖、民族紛争の悲惨さを思い知らされた。純粋に、こんなことがあってはならない、と思う気持ちがある一方で、我々島国に住む日本人が直視しない、或いは認識していない民族の差異がもたらす戦争の脅威のなんたるかは、決して知りえないものでもあると思った。

我々から見れば民族や宗教の違いがもたらす価値観の違い、生活習慣の違いなどというものはほとんど意識されないものだ。ところが彼らは、余所者である僕から見れば一体何が違うのか分からないほどの違いしかないのに、お互い未だに軽蔑しあい、憎みあっている。彼らの心の傷は、癒えるかも知れないが、恐らく、彼らの子孫に、彼らの祖先が殺しあったということは脈々と伝えられていき、同じことが繰り返されていくのではないか。

前置きが大変に長くなったが、そこにこの映画である。 この映画では、『プラトーン』、『フルメタル・ジャケット』あたりから『プライベート・ライアン』、『シンドラーのリスト』などに至る戦争の悲惨な描写というのはあまり登場しない。

むしろ、戦争という極限の状況の中での奇妙なまでの人々の生活の連続性を描くことで、これは僕の推測だが、「あれらの戦争を体験した人々」の感覚を共有しようという試みなのではないかと思われるのだった。

ユーモアというのは、極限状況においてこそ必要とされるものである。

アウシュビッツに収容されたユダヤ人達が、いつ殺されるとも分からない中で、寝る前に一人ひとボケを順番に言っていった、という話を聞いたことがある。

生きている、ということは、物理的に生きているだけではなく、感情があってこそ初めて生きていると言えるのだ、ということではないか。

もっとも、この平和な世の中に生きる我々はそれを知るすべも無いし、それを知ることが出来ないことを心の底から祝福すべきであろう。この映画は、そのことを教えてくれているように思う。

(続く、かも知れない。2002.3.26)

(評価:★5)

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