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ぽんしゅうさんのコメント: 更新順

★4サイドカーに犬(2007/日)飼われるのではなく、飼う側になりたいという願望を過剰に持つことでしか不安と自信のバランスがとれない女が、かつての自分に似た少女に見せる共感と優しさ、そして愛する男を飼い続けることの困難さを知った時のたじろぎ。そんな切ない機微を竹内結子が好演。 [review][投票(5)]
★4眠狂四郎多情剣(1966/日)冒頭の暗殺宣言から、カメラは物語を綴るのではなく徹底して「映画」を描く。人物たちは、極端に強調された画面の奥行きや、左右の広さという距離を頻繁に出入りし、また潜むように固定されたカメラ視点が、ある時には手持ちとなって重層的に人物を追い続ける。 [review][投票]
★3ひばり民謡の旅 べらんめえ芸者佐渡へ行く(1961/日)昭和を代表する美空ひばり高倉健の共演とはいえ、健さんは未だ駆け出しで、渡辺邦男演出もひばりの歌と踊りの魅力を充分引き出しているとは言いがたい。むしろ、中原ひとみのお嬢さんぶりと木村功桜京美コンビが脇でイイ味をみせる。[投票]
★2おしどり囃子(1956/日)破門され流浪の旅に出た菊次(大川橋蔵)と、それを追うおたね(美空ひばり)にまったく悲壮感がないので退屈。「日本一の獅子舞」には一瞬目を見張るも、確信的予定調和を前提として、量産され消費されたプログラムピクチャーの中の一本でしかない。[投票]
★3眠狂四郎魔性剣(1965/日)能面女にも驚かされるが、珍しくも反省し、形見の面を腰に下げ、飄々と我が道を行く狂四郎。蛇女、抱いてちょうだい尼、提灯テロ娘の連打に、おりん(嵯峨三智子)の交友の広さと執念を見るも、お前が自分でなんとかしろよと言いたくもなる。でも、面白いよ。[投票]
★3眠狂四郎炎情剣(1965/日)過不足なく状況を切り取る森田富士郎の的確な画づくり。そのショットをテンポ良く重ねる三隅研次のリズム感。この躍動感の心地よさだけで、もう充分で、お決りの話しの展開ながら画面から目が離せない。定型プラスアルファー、それが娯楽映画の醍醐味。[投票(1)]
★3不機嫌な男たち(2004/韓国)10代の男の性衝動は肉体的情熱の発露であり、確かに30歳を過ぎてなお精神的裏づけなしにひたすら女の肉体を求め続けるという行為は、虚しさの体現以外何ものでもないかもしれない。その歳月の中で欠落してしまった「可能性」が付加逆的であるのは当然のことだ。[投票]
★3許されざるもの(2005/韓国)除隊後の兵長(ハ・ジョンウ)を現役兵が訪ねるくだりから、ただならぬミステリアスな展開を期待するも顛末はやや拍子抜け。本来、国家や制度の告発へと至ってしかるべきテーマが、個的な心情へと小さくまとまってしまうのが「今」的といえば言えなくも無い。 [review][投票]
★3ゾディアック(2007/米)一瞬にして全てを奪われる恐怖と、いつしか自らも気づかぬうちにじわじわと人生を捻じ曲げられてしまう不幸。ゾディアック事件の恐ろしさとは、ある殺人者の存在もさることながら、その殺人者に居座り続けられた者にとっての時間の長さだったということですね。 [review][投票(3)]
★4華麗なる一族(1974/日)佐分利信がかもし出す本能的で強引な覇権欲と、極めて私的な怨念が入り混じったグロテスクさは圧巻で、政官財界を支配するのは、実は「恨み」なのではないかとすら思えてくる。いささかテレビ的な作りが、かえって話しの牽引力になっているのも計算のうちか。[投票(1)]
★3壬生義士伝(2002/日)確信的行動堕落者・吉村(中井貴一)の哀愁もさることながら、その言動に苛立つ精神的厭世者・斎藤(佐藤浩市)の嫉妬の方に、私としてはより人生を感じる。しかし、鳥羽伏見の戦い以降の過剰な吉村への思い入れが、その微妙なバランスをぶち壊している。[投票(2)]
★3ジャンケン娘(1955/日)当時、三人の共演が大衆に与えたインパクトは最早伝説としてしか知る由もないが、確かに今観ても三者三様の個性と才能は際だち、それだけで娯楽映画としての成立要件を充分満たしている。戦後芸能界の新しい息吹と躍動を感じる実に楽しい歌謡映画だ。[投票(1)]
★3ロマンス娘(1956/日)10代のトップスター、ひばり、チエミ、いずみを、大衆と等身大の少女として描くために準備されたテニス、サイクリング、デパート、遊園地、そして、歌謡ショー。もうそれだけで充分で、モリシゲ健闘の、みなし子話しは取って付けたようでいささか退屈。[投票]
★4キムチを売る女(2005/中国=韓国)絵画的フレームで切り取られた透明感溢れる空間に、現れては消えてゆく事物。頻繁に繰り返される、そのフレームインとフレームアウトが、二つの国を背負って彷徨うスンヒ(リュ・ヒョンヒ)の、アイデンティティの揺らぎのように見える。定位置を持たぬ魂。 [review][投票(1)]
★3黄色い涙(2007/日)「夢を追う」ということと、「理想を捨てない」ということは似ているようで違う。たとえ、青春のある時期に大多数の若者がそうであるように、己の限界を知り夢を捨てたとしても、理想を抱き続けることから逃げさえしなければ「人生は人を欺かない」ものなのだ。 [review][投票(2)]
★3鞍馬天狗 角兵衛獅子(1951/日)アラカン全盛期の戦前版は、まだ観たことがないのだが、さすがの天狗も48歳、寄る年波には勝てず。色っぽくはあるが34歳、山田五十鈴もしかり。残念ながら青年志士が跋扈した幕末の躍動感はゼロ。ひばり・川田の歌を楽しみ三島雅夫有島一郎にニヤリ。 [投票]
★4殺人狂時代(1967/日)ダメ教授の凡庸さは薄汚い風体で語られ、知的であるべき記者の女性性は肉体で体現され、悪役のマッドさは滑稽とも取れる唐突さで示される。本来、ハードボイルドアクションとして颯爽と描かれるべき物語が、ことごとく逆思考でディフォルメされ解体されている。 [review][投票(1)]
★3赤毛(1969/日)乙羽信子の痛切な「ええじゃないか」に、信用に足るものなど絶対に、上から勝手に降りてきたりしないのだという岡本喜八の体験的信念が滲む。「葵」が「菊」に代わったように、今だって「菊」が「星条旗」になっただけじゃないかと言いたかったのだろう。[投票(1)]
★2ブルークリスマス(1978/日)着想のユニークさと展開の巧さは、さすが当時の視聴率王倉本聰岡本喜八の演出も別段破綻なく、むしろ手堅いぐらいだが、全然面白くない。理由は、私の血の色は赤であり、その限りに置いて、私はいつまでたっても傍観者でいられるからだ。 [review][投票(4)]
★5ああ爆弾(1964/日)折衷は弛緩と堕落を生むが、競合は表現の次元を拡大する。ここに取り込まれた和洋新旧、種々雑多な要素は、互いに融合などせず競合しながら既存の喜劇とは異なった別のステージの「可笑しさ」を生んでいる。要は、喜劇を突き抜けてしまった可笑しな映画なのだ。 [review][投票(2)]