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DSCHさんのコメント: 点数順

★3トマホーク ガンマンvs食人族(2015/米)ブルータル・ジャスティス』から逆走して観た。穴居人はネイティヴ・アメリカンとは峻別して提示されるが、「白塗りの黒人が白人を駆逐する」という『ブルータル〜』のモチーフを踏まえると、やはりここでも登場する黒い肌を白く塗った未開のモンスターのイメージには監督の強迫観念的なものがあるのかなと思う。 [review][投票(1)]
★3アド・アストラ(2019/米)無限の夢も底なしの狂気もない御都合ミニマム収斂で膝カックンなのだが、狙ってこっちに行ったのが明らかなのがむしろ天晴れ(マーロン・ブランドが出てくると映画が壊れてしまう)。ホイットマさんにしろブラピにしろ、ガワだけでこれだけ見せるのは凄い。それでも『火の鳥』くらいあっちに逝ってこいが観たかった。[投票(1)]
★3ヴィジット(2015/米)「俺たち、お互い(家族)のこと、何にも知らないね・・・」(『おそ松さん』第一期13話「トド松のライン」より) [review][投票(1)]
★3ゴーストランドの惨劇(2018/仏=カナダ)人は人形ではない。傷つければ血が出るし、何より魂が傷つく。人は人だからこそ、その傷ついた小さな体と魂で、この醜い世界で逆襲するのだ。スリラーのためのスリラーでなく、このジャンルが忘れていた当たり前を見直そうとする批評性をシナリオに感じる。真摯だが二度観たい映画ではない。[投票(1)]
★3アイアムアヒーロー(2015/日)「一生に一度でも、誰かにとってのヒーローになりたい」というのも日本的病(やまい)である。日本ならではの『ゾンビ』をやる、という本家への批評、脱構築精神が意識的でないことが歯痒い(「嗤い」が足りない)。しかし、つべこべ言わずに病を所与のものとして、旧世界の死屍累々を踏みつけて押し切る清々しさも。大泉におんぶに抱っこだし、落し物も多すぎるのだが。[投票(1)]
★3夜明け告げるルーのうた(2017/日)カイバ』ファンとしては湯浅政明はこんなもんじゃないだろうという思いで終始した。「歌うたいのバラッド」も弱さの補強として安易。ウェルメイドな良さは否定しないが、既視感塗れの無難なものでなく、『カイバ』並みにハードで尖ったものが見たい。[投票(1)]
★3デッドプール2(2018/米)散らかった筋もキャラも「風が吹いたら桶屋が儲かって、なんとなく、ジャスティス」的風情。「奇妙な正義」に寄与して、割と好きなのだが、純情パートがやはり愛嬌といっても邪魔だし、カオスのフリして尚予定調和だ。また前座かよ、の思いもあるし、茶番パートが多すぎる。運ちゃんが行って欲しくない方向に逝っちゃってしょんぼり。 [review][投票(1)]
★3水の中のナイフ(1962/ポーランド)ポランスキーらしく、観察と五感がそれこそナイフのように鋭く冴える作品。刃を取り出す際の「ジャキッ」と鋭い音の異物感や編集。この頃から既にして不味そうな食事。皮肉めいたジャズ。絡み、あるいは躱される視線の緊張。虚栄と不穏と滑稽のドラマに説得力と深い陰影を与えている。正直愛せる類の話ではないが、とことん巧い。 [review][投票(1)]
★3裸のランチ(1991/英=カナダ=日)クローネンバーグの「やってやるぜ」感が作為的で乗れない。最終的には天然で撮ってると思しきリンチとの格の違いはここだと思う。ハナシはいいから画だけ見とけとか言われても無理なのだが、ラストシーンの寒々した、かつ虚ろな絶望の風景には垂涎。クローネンバーグの曇天にはショアがよく似合う。近作の画の旨味の萌芽。[投票(1)]
★3シンデレラ(1950/米)一部価値観が前時代的。王子が空気、というか只の面食い野郎ではないか、という致命的違和感が拭えない。継母の外道振りもやり口が姑息でみみっちく、魔王の名を冠する猫で補完するなど、造形に弱さが。その辺は原作の所為にして、即日舞踏会をゴリ押す国王(これって暴君よね)のデタラメ剣術(剛剣)や、太閤とトランポリンで戯れるナンセンス、ネズミなどマイノリティへの情愛が屹立するのがディズニーらしさ。[投票(1)]
★3カイロの紫のバラ(1985/米)あいまいになった虚実の往還、特にその「還」の部分を苦く切なく、しかし力強く描いた『ビューティフルドリーマー』(押井守)が横綱の高みと深みだとしたら、これは前頭三枚目くらいではなかろうか(適当)。現実がこっそり牙を剥き続ける一本調子がけっこうしんどい。ファローの造形も、サマンサ・モートン(『ギター弾きの恋』)の超絶的造形の背後に霞んで見える。 [review][投票(1)]
★3ピストルオペラ(2001/日)人間的な戦いのエンタメが「絵あそび」にすりかえられている。「百目」「ギルド」等の用語からは、監視の偏在とか顔の見えない不条理な組織システムの暴力、催眠作用との戦いが予感され、その辺は脚本の伊藤和典押井守組)のセンスが残されるものの、奇矯な絵づくり以外に無関心な清順の子ども騙しなオチでお茶を濁される。これでは伊藤さんが可哀想である。清順の「遊び」は、愛嬌、ではなくて、不真面目。 [review][投票(1)]
★3太陽を盗んだ男(1979/日)破裂することを恐れずに繰り返し膨らます風船ガム。反復の予感が喪失された今、有り得ん、いやあ元気だわすげえわファンタジーだわと思う。真にバカげたテロリズムは「闇」から来るのではない。沢田の風貌の明るさも正解だろう。所謂「深淵」って、光で満ちてるのかもしれない。改めて「元気」って邪悪だ、と思った・・・とネタはいいが演出は賞味期限切れのダサさ。 [review][投票(1)]
★3マイ・バック・ページ(2011/日)格好付けと暴力衝動に大義の言い訳の上塗りを重ねること。偏執的自己正当化を背後から襲う冷水のような後ろめたさ。安田陥落は冬だが、貫かれる季節感は夏の終わり(正しい)。ユメの跡の草いきれと蒸し暑さから、極寒の浅間へ。殆どこの「リアル」を「ファンタジー」としてしか受け止められない世代だが、普遍的な情感を提示したと思う。山下監督にしては悪意と慈しみの配合が後者に偏向してつらいが。[投票(1)]
★3ショーン・オブ・ザ・デッド(2004/英)ロメロ版を観ないと確信を持って言えないのだけど、「zから始まるアレ」と頑なに"zombie"の呼称を避けるのは、ロメロへの敬意と共に"living dead"という呼称が醸すイメージを重視するからだろう。「蘇った死体」、ではなく「死んだように生きる生者」。だからアポカリプス以前も以後も、世界はさほど変わらない。このコンセプトを踏まえた諧謔的な開幕と終幕は傑作。 [review][投票(1)]
★3ゴーストバスターズ(1984/米)アルミ箔を貼り付けたみたいなガジェットや下らなすぎる下ネタ(門と鍵)、「度を超した災厄は冗談の形をとって現れる」という正鵠を射た展開など、イカした要素はあるし、無二の郷愁を感じさせることは間違いない。ただ、これが『サタデーナイトライブ』常連かと目を疑う程ライトマン演出に毒抜きされたマーレイエイクロイドが哀しい。テンポも悪い。やはりベルーシの破壊力が必要な作品だったのではないか。[投票(1)]
★3MEMORIES(1995/日)「表層的」「こぢんまり」などの否定的評もうなずけるが、かといって長くすると大友は必ず破綻する。破壊描写になると俄然冴えるのも逆にみっともない感があり、突き抜けないもどかしさは否定出来ないが、美点は結構ある。 [review][投票(1)]
★3キャタピラー(2010/日)若松孝二初見。ヘタレの私は、まず「若松プロ」のシンボルで腰が抜けた。第一義的に真面目だ。虚構への依存と瓦解、逆転現象の経緯を夫婦関係に投影する描写はそつなく、虚構を探し続ける戦後日本メンタリティの根源を曝す皮肉とも受け取ったが、その真面目さ故にねじこまれた「反戦」への傾斜が作品の均衡を崩す。仮にも乱歩を下敷きにするなら、ガチな反戦はよそでやって、嘲笑と冷笑に満ちた矮小な光景を見せて欲しい。[投票(1)]
★3僕らのミライへ逆回転(2008/米)ジョン・ベルーシもどきなブラックの破壊力が半端で、モス・デフグローバーらの素朴な好演とのバランスが悪い。性善説に立ちすぎて、無理設定が遂にはファンタジーに変質していて悲しい。これをファンタジーにされたら悲しいじゃないか。しかし、下手っぴだろうが安かろうが、映画に限らずとも、「創ること」に飢える人々の心の琴線に触れるものは必ずあると思う。変な涙が出る。 [review][投票(1)]
★3スプライス(2009/カナダ=仏)「パパとママのゲスな物語」に注目して観れば、良く出来ている。ナタリの『奇子』、みたいな喩えも出来ないではないし、『エイリアン4』の仇をさりげなく討つ。タブロイド紙的痴話喧嘩が生命倫理に絡むSFのフィルタを通して生々しく滑稽に映え、ヒトはヒトの在り様を問われる。やはりヒトとは奇怪な動物なのだ。しかしポーリーの「眉間に皺演技」が安く、ジャンル映画に堕した終盤が噴飯。 [review][投票(1)]