★4 | かぞくのくに(2012/日) | 劇映画としての演出はいささか未熟で粗削りだが、逆に作者のむき出しの私念がヒリヒリとストレートに伝わってくる。国家と制度のまえに、戸惑い苦悩する者たちの「寡黙」と「絶句」と「沈黙」。その奥に秘められた絶望的悲しみ。まさに私小説ならぬ私(噴)映画。 [review] | [投票(5)] |
★2 | 学校(1993/日) | [ネタバレ?(Y1:N4)] 「教育で大切なのは技術でなく人間だ」・・・ごもっとも。「卒業生がふらりと訪ねて来たときのために、ずっとこの学校にいたい」・・・あれあれ。「幸福とは学びたいという気持ちだ」・・・へぇ〜。よくもここまで価値を単純化できるものだ。怖いぐらいだ。 | [投票] |
★5 | 地の群れ(1970/日) | 歴史として背負わされた根深い過去。被害者として背負わざるを得ない痛ましい過去。若き日の過ちとして背負った悩ましい過去。その枷と傷と後悔が渦巻くさまを、熊井啓は冷徹なまでに淡々と描く。そこに炙り出されるのは生きている人間の罪そのものだ。 | [投票(1)] |
★4 | やくざの墓場 くちなしの花(1976/日) | 女と男。男と男。人を信じるということは純粋な心の問題であるはずなのに、結局行為でしか示すことができないという事実。そこには常に悲劇がつきまとう。渡哲也・梶芽衣子・梅宮辰夫。三人とも素敵、そして悲しい。 | [投票] |
★5 | ガキ帝国(1981/日) | 都市で育った少年たちにとって、街とはすなわち遊び場であり、万博を目前に変貌する大阪で遊び場を取り上げられたガキたちは、知らず知らずのうちに一線を越え、踏み込んではならぬ大人の領域に迷い込む。無邪気な暴走が生んだ乱暴で唐突な青春との決別儀式。 [review] | [投票(2)] |
★4 | KT(2002/日=韓国) | “息づまる”映画を久しぶりに観た。情念や情熱といったウエットな感覚ではなく、ドライな確固たる思いがぶつかり合い“あの時代”を再現する。隙のないカメラアイ、的確な音響表現が秀逸。今まで、このジャンルの邦画には無かった感覚。 [review] | [投票(8)] |
★3 | 夜を賭けて(2002/日=韓国) | せっかくの疾走パワーが何処にも向かわず自己完結してしまった。それはこの映画が40年前にすでに存在した今村昌平や大島渚作品の延長線上で「居直り」と「反逆」を焼き直しただけで、何故、今このテーマなのかというビジョンを持っていないからだ。 | [投票(1)] |
★2 | 伽耶子のために(1984/日) | 前作『泥の河』では見事な状況描写で文学をなぞってみせた小栗康平が、彼の作家性が生む極度の映像への信頼とさらなる欲求により徹底的に状況描写を廃するという次ぎの形式を生んだことは理解できるが、その映像がリズムや旋律を持つには至っていない。 | [投票] |
★4 | 新・仁義なき戦い。(2000/日) | 第一期深作シリーズが軍事大国の夢破れ経済大国へひたはしる時代の上昇志向の混沌と哀切を描いたのに比べ、経済大国の夢すら破れたバブル後の登場人物たちが閉塞し続けるのは、ある意味で時代を体現しているのであり脚本や阪本順冶監督のせいではない。 | [投票(2)] |
★3 | 日本春歌考(1967/日) | 『新宿泥棒日記』でも言えるのだが、この当時の大島渚の性に対するアプローチや表現はあまりにも観念的であり、抑圧に対する果敢な挑発は充分に理解できるものの映画として成功しているとは言いがたい。 [review] | [投票(5)] |
★2 | 力道山(2004/韓国=日) | 何をもって力道山の映画だと言うつもりなのだろう。俳優の肉体改造や日本語習得は、真摯だが目先の問題でしかない。そんな上っ面で事を誤魔化そうなどとは不見識極まりなく、これでは日本人はもとより彼を知らぬ朝鮮、韓国人などただただ首を傾げるだけだろう。 [review] | [投票(3)] |
★3 | ニワトリはハダシだ(2003/日) | 思わず「またかよ」と呟きたくなる爺さんの繰り言のように、庶民の生活の中にアンチの笑いを散りばめて、これまた何時ものように取り散らかしたように展開される物語は、今や森崎映画という一つのジャンル。だから、もうしかたがないのです。 [review] | [投票(1)] |
★4 | RUSH!(2001/日) | 凝りに凝っているようで肝心の部分になると「まっ、こんな感じかな」と超テキト−な井土紀州脚本に「じゃ、こんなんでどう」と応える力を抜いた瀬々敬久演出が絶妙な映画的出鱈目さとなって理屈抜きで楽しめる。大杉漣と阿部寛が軽やかでイイ。 | [投票(1)] |
★4 | Dear Pyongyang ディア・ピョンヤン(2005/日) | 金日成に忠誠を誓う老革命家たる父への違和感を、娘ヤン・ヨンヒは父(と母)の人生史を真正面から見つめ直すことで自分自身に問いかける。娘の視線の底には父への尊敬と感謝の念があり、父の態度と言葉の端々にも愛情が滲む。愛の対立、これも家族のカタチ。 | [投票] |
★4 | パッチギ! LOVE&PEACE(2007/日) | 何のてらいもない「愛と平和」についての映画である。しかも、渾身の力づくである。だからこそ、興行的なサービス精神の具現である泣かせシーンなど不要であった。井筒和幸の本気度を素直に感受すれば良いのだ。この物語に作為的な感動など必要ない。 [review] | [投票(6)] |
★5 | GO(2001/日) | 爆発・黙考・喜び・不安・悲壮・混乱・反抗。心と行動の振幅が疾走感とともに見事にスクリーン上に展開される。非凡な映像センスとは、こういう事をいうのだろう。キレのいい脚本構成も見逃せない。 [review] | [投票(33)] |
★4 | パッチギ!(2004/日) | 溢れる破壊衝動と激しくも淡い異性への思いを抱えつつ、自らの動かしがたい境遇と社会の巨大な矛盾に気づき、思春期の少年たちは虚勢だけをたよりに日々を生きる。その全てが一気に昇華されていく河原の決闘シーンでは、共感と郷愁の涙が止まらなかった。 [review] | [投票(13)] |
★4 | 絞死刑(1968/日) | 舞台もの的観念劇に陥りそうな脚本ながら、限界まで濃密に設定された空間を、縦横無尽に行き来する計算され尽くしたカメラワークが秀逸で、見事な飛翔をみせる密室映画の傑作。死刑制度を超越し、北朝鮮をも含む全ての国家を懐疑するアナキスト大島の面目躍如。 | [投票(2)] |
★4 | 月はどっちに出ている(1993/日) | 岸谷五朗は生まれつきの嘘つき顔に感謝すべきだろう。 | [投票(4)] |
★4 | 血と骨(2004/日) | 「知力」が尊ばれ「愛」が魅力と見なされる現代社会の風潮の中で、人は「腕力」を一段低くみなし「金」の力を蔑む。しかし、度を越せば四つの力はいずれも「暴力」に成り得る。生きることへの過剰な思いが俊平(ビートたけし)という怪物を生んだ。 [review] | [投票(9)] |
★4 | にあんちゃん(1959/日) | イタリアのネオリアリズムからさらに湿気を取り去ったようなタッチが明るさと力強さを生み並みのプロレタリア映画と一線を隔している。人間の持つ生命力を肯定的にとらえる今村昌平の描く貧困はどこまでも活力に溢れ逞しく、そして優しい。 | [投票(1)] |
★5 | キューポラのある街(1962/日) | 貧富の差が明らかであればあるほど、次に何をなすべきかがはっきりとする。貧困を描きつつ、悲しみや苦しみはあっても悲惨さは漂わない。子供たちが未来に希望をもてた時代。今の子供たちよりも幸せな青春時代だったかもしれない。 | [投票(6)] |