[POV: a Point of View]
映画における「語り手」の介入 -narrators-narrators -narration is films- "where are they, anyway?"
語り手(narrator)が存在する映画。叙述・狂言回しは、小説では勿論、物語性成立の基本的且つ主要な構成要素であるため、トーキー以降後も多く採用される手法である。特に個人的に印象的な語りと感じた作品を取り上げる■A:全知の語り手(omniscient narrator)=物語に対して客観的な立場を取り得る「外」の人物による語り●B:自意識過剰な語り手(self-conscious narrator)=物語の中心人物による主観的な立場を取る、「内」の人物による語り●C:介入する限定的な全知の語り手(instrusive "limited-omniscient" narrator)=AとBの中間的で「内」にいるが、やや客観的な立場を取り得る人物による語り■
B | 夜になるまえに(2000/米) | 詩とは命がけの言葉に他ならない。 | 投票 | |
B | シティ・オブ・ゴッド(2002/ブラジル=仏=米) | |||
B | エル・スール −南−(1983/スペイン=仏) | |||
B | アメリカン・ビューティー(1999/米) | ビニール袋にアカデミー助演賞。 | 投票(5) | |
B | ザ・ビーチ(2000/米) | |||
B | リトアニアへの旅の追憶(1972/米) | 詩人の「日記」を読む。さて、彼の「詩」は・・・、読んでみたいとは思わない。 [review] | 投票 | |
B | 鍵(1959/日) | |||
B | 約束 ラ・プロミッセ(2000/仏) | 誰も泣かないで。 [review] | 投票(4) | |
B | 青春群像(1953/伊) | |||
B | ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!(1999/米) | |||
B | GO(2001/日) | 真に見たかったのは「ジョンイルに関する物語」。杉原も行定勲監督も、逃げんなよ!戦うなら、正々堂々と戦え!ジョンイルのように―「Mr.Children」→ [review] | 投票(22) | |
B | 蜘蛛女(1994/米) | |||
B | カジノ(1995/米) | |||
C | ロード・オブ・ザ・リング(2001/米=ニュージーランド) | 自分のために旅する人は腐るほどいるが、誰かのために旅する人はほとんどいない。 [review] | 投票(34) | |
C | プライベート・ライアン(1998/米) | お茶の間では、この<スピルバーグ>は機能しない。私は怒っている。 [review] | 投票(26) | |
C | 秋のソナタ(1978/スウェーデン) | 親子や夫婦、或いは恋人たちは、ある期間を過ぎると二手に分かれる。過去を「蒸し返したがる人」と「忘れたがる人」に。 [review] | 投票(11) | |
C | ピアノ・レッスン(1993/豪=ニュージーランド=仏) | この作品で語られるのは「感情」ではなく「感覚」のみ。この監督が追求するのは「物語」ではなく「表現」のみ。監督の悦に入った表情が目に浮かぶ。 [review] | 投票(15) | |
C | シルビーの帰郷(1987/カナダ) | 古傷がちょっと痛む。でも、その痛みも生き続けていく勇気のスパイス。たとえ、それが今いる場所ではできなくとも。 [review] | 投票(2) | |
C | ラスト サムライ(2003/米=ニュージーランド=日) | "BUSHIDO hooray !" (ブシドーだぁ、わーい!)、みたいな。「スポーツクラブで週1ブシドーやってまあす。素晴らしいね、ブシドー!」みたいな。 [review] | 投票(28) | |
C | リリイ・シュシュのすべて(2001/日) | <岩井俊二>監督への九つの質問と<『リリィ・シュシュのすべて』>への一つの感想→ [review] | 投票(14) |
随時追加予定。他にも語り手が印象的な映画にお気付きあらば、是非ご一報下さい■Thank you for your cooperation:tomwaits様、グラント・リー・バッファロー様
この映画が好きな人達このPOVを気に入った人達 (4 人) | グラント・リー・バッファロー sunny Kavalier dappene |