★4 | 名古屋での復帰でお徳が女難化している。お徳への未練が菊之助の復帰を拒むトレードオフが出来上がる。名古屋が事実上の結末であって、以降は消化試合になりかねないところを、お徳が邪魔をせぬかどうか、その女難化がサスペンス感をかえって高揚させている。 [review] (disjunctive) | [投票(1)] |
★5 | 廊下から登場人物がいなくなってからもしばらく廊下を撮り続けるカットに至ってはもう意味不明。1939年のやりたい放題。 [review] (寒山拾得) | [投票(2)] |
★5 | あゝもう完璧じゃないか。これも全カットが「映画は画面だ」と静かに主張しているかのようだ。そんな中でも、次の場面は特筆に値する、というか筆舌に尽くしがたい素晴らしさだ。 [review] (ゑぎ) | [投票(3)] |
★4 | 森赫子の声が耳から離れない。美術が素晴らしいし、故にワンシーンワンショットが不思議なシュール感を醸す。しかし、溝口の女虐めは凄まじい。 (動物園のクマ) | [投票(1)] |
★4 | 現代の視点からはやや冗長で男(主人公)に都合の良過ぎる点が引っ掛かったが、見事な画面構成で迫力もあり、最後には否応なく胸迫るものがあった。詰まりそれ自体が溝口効果なのだろう。☆3.9点。 [review] (死ぬまでシネマ) | [投票] |
★4 | この頃から女性の悲しい生涯がドラマとして成立しはじめたのではないでしょうか? [review] (chokobo) | [投票] |
★3 | 信じられないようなカメラアングルと繰り返される長回しに異常性すら感じる。 [review] (づん) | [投票(4)] |
★3 | 意外なことだけど・・・アップ映像がほとんどありません。よって、主演の二人の顔貌がよく判りませんでした。要するに構図や人物の動きを重視する作風と言うことですね。 (RED DANCER) | [投票(1)] |
★5 | かつて居たところに再び戻るというモチーフに弱いことは前から自覚しているのだが、本作は群を抜く出来栄え。照明をぎりぎりに落として多目の暗部で余情を生む画面、長回しに耐えうる奥行き表現、物売りや浄瑠璃語りの声を多用して発生するリアルさ。傑作と呼ぼう。 (ジェリー) | [投票(4)] |
★3 | 放蕩とは芸の肥やしとは言いますが、身につまされてしまってはまりこめませんでした。 [review] (甘崎庵) | [投票] |
★4 | 引いた長回しで、遠目から見るようなもどかしさ、距離感の表出 [review] (モノリス砥石) | [投票(1)] |
★4 | 年代もののフィルムのため役者の顔が判別できず顔も思い出せないほどなのだが、
立ち居振る舞いはなんとなく思い出せる。これが映画的ということであろうか。
[review] (TOMIMORI) | [投票] |
★5 | カメラの移動と構図のみで、ここまで心的描写が可能なのです。 [review] (TM大好き) | [投票(3)] |
★3 | 嫌味のひとつも言ってやりたくなるぐらい花柳章太郎のダメ男ぶりが素晴らしく、その頼りなさを、姉のような厳しさと母のような優しさで、そして一人の歌舞伎ファンとしてのシビアな目で慈しむ森赫子の強さを含んだ可憐さが良い。ただ全体は単調で退屈。 (ぽんしゅう) | [投票] |
★4 | メロドラマは、決して凡作と同義ではない。 (ちわわ) | [投票(1)] |
★3 | ダメボンに惚れてしまった良く出来た女の自己犠牲に共感が出来ない。典型的なメロドラマであり、こういう骨子の諸作を経て幾多のメロドラマが産み落とされたにしても、マスターピースとしての原初的なパワーまでは持ち得てるとは感じられなかった。 (けにろん) | [投票(1)] |
★5 | 傑作のその上を表現する語彙の無い自分が惨めだ。 [review] (ころ阿弥) | [投票(4)] |
★5 | この丁寧で緻密でシーンごとにほんとに迷いながら進んでゆく物語と演出に触れて、そっか今の映画の脚本はパターンで書かれているんだ、と思った。ちょっとした逡巡や、想い余っての勇み足などのディティールが「痛い」のは、脚本家も監督も役者も、高を括らずに物語を真摯に生きているからだと思いました。グローバルな品質の逸品。 (エピキュリアン) | [投票(4)] |
★4 | 溝口の長回しに花柳章太郎も森赫子もよく付いていっている。舞台を思わせる、流れるが如きその演出はただ見事。[新文芸坐] (Yasu) | [投票] |
★3 | 僕には分からない、と言うほかない。 (LUNA) | [投票] |
★5 | 『祇園の姉妹』と並んで初期溝口の代表的傑作だと思う。 (_) | [投票] |