[コメント] プライベート・ライアン(1998/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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この映画はトム・ハンクス演じるジョン・ミラー大尉の物語であり,マット・デイモン演じるジェームス・ライアン二等兵の物語でもある。要するに,それぞれの演じる役が,それぞれの物語をもっている。観客はそうした複数の物語,というか役の一人(および複数)に感情移入していくわけであるが,自分は,ジェレミー・デイビス演じるアパム伍長に,深く感情移入していた。
彼は今回のノルマンディー作戦がはじめての実戦である。しかも,彼の得意分野は直接的な戦闘ではなく,キャンプでの「事務」仕事である。そんな彼が,その語学力をミラー大佐に買われ,ライアン二等兵を助けるチームに参加することになる。
当然のことながら,アパムはチームの他のメンバーに比べ,ひ弱で,のろまである。そんな彼ははじめのうちメンバーから冷たくあたられる。しかし,そのうちに,メンバーとも打ちとけていく。
こんなふうに書くと,「ああ,こいつ(ymtk)はアパムの活躍とか,成長の物語に感動したんだな」と思われるかもしれない。そうではない。
むしろ,自分は,アパムが成長しなかったことに,意味を見いだしている。実際のところ,語学力を買われてチームに参加したアパムが,その語学力をいかんなく発揮したというようなシーンはほとんどと言っていいほど出てこない。逆に,語学ができる,具体的に言えば敵国語であるドイツ語ができる故の悲しみや憤りを,アパムは経験することになる。アパムは,チームにおける自分の存在価値をまったく見出せないのである。成長するもなにもあったもんではない。
また,「戦争で成長する」ということからは,「人を殺すことによる成長」という図式が容易に浮かび上がってくる。たとえば『フルメタル・ジャケット』の最終シーンに,この図式がよく現われている。主人公がベトコンのスナイパーを射殺する。その次のシーンで,溌剌とした「一人前の軍人」になっている。戦場においては,殺人が一種のイニシエーションとなっているわけである。
アパムもまた,人を殺す。それも,自分が別の場所で命を「救った」ドイツ兵を。そんなシーンを見ると,アパムもまた,人を殺すことで成長しているかのように見える。しかし,自分にはとてもそうは思えない。
アパムがドイツ兵を殺す前のシーンで,アパムは味方の手助けをすることができず,結果的に味方を見殺しにしてしまうことになる(正確に言えば,殺されるところを見てもいない)。そして,味方を殺したドイツ兵とすれ違う。ドイツ兵はアパムを見ても,殺しもしない。ただ通りすぎる。アパムは倒すべき敵としても認識してもらえないほど,ひ弱な存在であったのだ。事実,ドイツ兵を見て,アパムはすくみ上がり,ただ震えているだけだった。
そして,その後,アパム以外の兵士達の(文字どおり)捨て身の戦闘によって,なんとかこちら側(アメリカ側)の勝利が確定する。戦闘が終了し,ドイツ兵は捕虜となる。その中に,アパムは以前に助けたドイツ兵を見る。そのドイツ兵は,「連合軍に降伏すること」を条件に助けられたのであった。アパム以外のメンバーは,彼が降伏するなどとはこれっぽっちも思っていなかった。しかし,アパムは,降伏すると,心のどこかで信じていたのだと思う。これは戦場においては致命的な甘さだろう。
「そうか,そんな自分の甘さを断ち切るために,アパムはドイツ兵を殺したのか」。こんなふうに見ることもできるかもしれない。しかし,自分はそう思うこともできない。彼が最初に自分が助けたドイツ兵を見たときに,我を忘れてそのドイツ兵を殺したならば,成長のしるしと見ることもできると思う。しかし,彼は,そうした生死を分けた戦闘のなかでドイツ兵を殺したのでなく,自分の安全が保証され,相手の反撃がない状態で,ドイツ兵を殺したのである。これでは,成長したとは言えないと思う。むしろ,この殺人は,自分自身の成長のためのものではなく,先ほどの戦闘でなにもできず,味方を見殺しにしてしまったことへの言い訳なのではないかと思う。絶対的に自分が安全な状況で,自分に対する言い訳として,人を殺す。卑怯なやり方だ。
しかし,自分はそうしたアパムにこそ,共感する。成長できないアパムに共感する。実戦経験のない者が,激戦地にほうり込まれる。未経験の戦闘,慣れない行軍,常識からは程遠い戦場での思考様式。そんなものにもみくちゃにされ,疲労困憊しているアパムが,そんなに簡単に成長できるわけがない。むしろあのシーンで,アパムが八面六臂の活躍をしてしまったならば,お話としては盛り上がって,一種のカタルシスを感じたかもしれない。だが,そうやってしまっていたら,そこに至るまで監督および俳優たちが築いてきた「リアリティ」は,こっぱ微塵にくだけ散ってしまっただろう。自分はそう思う。
アパムの「成長できない物語」。これは決してこの映画のメインストリートを行くテーマではないが,映画のリアリティを保つ上で重要な役割を果たすものであったと,自分は思う。人間は容易には成長しない。この当たり前の事実に,改めて気づいた。これが,自分にとっての収穫であった。
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