[コメント] チャップリンの 独裁者(1940/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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「どうしても声を大にして言いたいこと」が、チャップリンにはあった。
自分の映画の中でそれを叫べば、映画が壊れる。映画『独裁者』はラストの演説で完全に壊れてしまった。物語もクソもない、床屋でもなんでもないチャールズ・チャップリン本人の演説で、『独裁者』は映画であることをやめた。
だから、本当は『独裁者』はダメな映画なのだと思う。1点や0点をつける映画だと、理屈ではそう思っている。しかし…
本当はオレだって、この映画で彼がやったような演説は嫌いなんです。言いたいことを全部言葉にして喋っちゃうのなら、映画でなくても本でもラジオでもいいじゃねえかと、頭では思っている。しかし…
このチャップリンはどう見ても本気なのだ。それはもう、呆れるほどに本気なのだ。「どうしても言いたいことがあって、そのために映画の出来が危うくなる」映画監督といえば黒澤明なんかそのクチだけど、『独裁者』のチャップリンは自分で監督して自分で主演して、自分で演説している。彼は「映画を壊したくない」ことを理由に、頑なにトーキーを拒絶していた男だ。『街の灯』では音楽だけ、『モダン・タイムス』でもデタラメソングを歌うにとどまった。そんな男が延々と、クローズアップで怒涛のように演説をした。汗かきながら、ここぞとばかりに喋りまくった。演説の内容そのものよりも、オレはこの本気、この覚悟にうたれた。
そりゃあ、言いたいことを巧みに脚本の中に織りこんで「よくできた映画」を作るのが一番いいに決まってる。演説なんて無粋極まりない。そもそもカッコ悪い。だけど、伝えたいこと、その思いが1本の映画に収まらないほどデカすぎたらどうすればいいんだ。チャップリンは作品としての『独裁者』を放り投げて、カメラに向かって喋りに喋った。サイレント映画を知り尽くした巨匠が、まるでド素人のように。まるで子供のように。
『独裁者』は破綻している。チャップリンが作った全ての映画の中で、最も不細工な映画だと思う。しかしオレはチャップリン個人の、映画を超えた本気を『独裁者』に見た。だからやはりオレにとって『独裁者』は忘れがたい映画なのです。
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