★5 | ラヂオの時間(1997/日) | テキトーの屋上にいいかげんの屋を架す連鎖がこれ程までに米スクリューボールコメディのスパイラルテイストに迫り得た事に驚愕。情に棹さすかに見えて驚くほど乾いてもいる。豊富な小ネタの冴えもあるが匂いを纏う井上順や布施明の仕込みが効いてる。 | [投票] |
★3 | ミンボーの女(1992/日) | やくざを描くに既存映画とは全く違うアプローチ。ヒロイックな虚構を廃し徹底的に貶め罰す伊丹は硬骨漢だった。ただ又も「女」シリーズの一環として製作された為にハウツー的メソッドが提示されルーティーンの陥穽に落ちる。現実はそこまで簡単じゃない。 | [投票(1)] |
★2 | キッドナップ・ブルース(1982/日) | 限りなくアドリブに近いタモリと客演者たちとの掛け合いが黴びたシネマ・ヴェリテのような制作時に見ても10以上年前の作品の如きの古臭さ。意図された無意味や仕掛けられた観念は周到な計算に裏打ちされて成立する。これは表層であり形骸。撮影も凡庸。 | [投票(1)] |
★3 | マルサの女(1987/日) | 国税査察官を主役にノワールを撮ったのは意外ではなく、せっかくな設定なのにノワールしか撮れなかっただけだ。加えて、ビジコンは現場の効率を上げこそすれ試行錯誤の意外性から映画を封殺する。アップとミディアムだけの本作は如実にそれを具現化する。 | [投票(1)] |
★2 | あ・うん(1989/日) | 秘めた想いを胸にストイックに生きる男なら健さんでいいのだろうが、門倉というキャラは決してストイックなだけではないので無理してるって感じが拭いがたい。社長と一介の給与取りの間に阿吽を見出すには坂東では重さが釣り合わない。 | [投票(3)] |
★3 | マルタイの女(1997/日) | 芸能界と警察と新興宗教の3題話が巧くリンクし切れず散漫な印象で、後者2つに絞るべきだったが、そうなると『マルサ』や『ミンボー』と同じになる。そこに伊丹のジレンマがあったのだろう。凝りまくりの江守と伊集院のシークェンスが突出。 | [投票(1)] |
★3 | ときめきに死す(1984/日) | 決行までの無為の時間を無為だと開き直ることで見えてくる地平がある筈だが、森田の施す多様なギミックが上滑りして底浅のハッタリを露呈させる。沢田の80年代の無機性に対する杉浦の70年代的泥臭さ。その相剋に期待したが噛み合わないまま。 | [投票(3)] |
★3 | かぐや姫の物語(2013/日) | ずっと『ハイジ』がチラつく。都はフランクフルトで相模はロッテンマイヤーだ。不毛な月世界対比の現世のエコ賛歌は『狸合戦』。成程高畑の集大成かもだが、ならば少女のリリシズムをこそ全面開花させて欲しかった。キャラが背景に埋没する手法も買えぬ。 | [投票] |
★4 | スウィートホーム(1989/日) | 山城や古舘などのお茶の間タレントを持って来たキャスティングが逆説的にいい。それを伊丹が出てきてぶち壊したのもご愛嬌。海外の「お化け屋敷」ものを日本の風土に移植して曲がりなりにも成功してる。フレーミングのセンスが情緒を排するのだ。 | [投票(1)] |
★5 | お葬式(1984/日) | 「映画を撮りたい」…そういった鬱積した思いの丈を惜しげもなく全篇にぶちこみまくった挙げ句に技巧のオンパレード的祝祭気分が葬式という題材とセーブし合った絶妙のバランス感覚。80年代自主映画ムーブメントの土壌の上に屹立した商業的成功作。 | [投票(1)] |
★4 | スーパーの女(1996/日) | 引きの絵を放棄したかの如きテレビっぽさや揃いも揃ったB級キャスティングを含めて透徹されたコンセプトが貫かれている。『マルサ』以降テレビ語りに堕した伊丹演出の極北であり、その意味で完成形として認めざるを得ない。 | [投票(1)] |
★3 | 聯合艦隊司令長官 山本五十六(2011/日) | 真珠湾までは五十六語録もロジカルだし、現在進行形の日本の合わせ鏡として意識され尽くした拘りにも同意する。しかし、ミッドウェイ以降に「どうすべきか」の返答は結局無く諦めの挽歌として閉じるしかない。残尿感が残る。CGは精緻だが好悪半ばの感想。 | [投票(2)] |
★4 | キネマの神様(2021/日) | 呑んだくれのダメ男の女房として清掃パートで日を送る宮本に青春時代の煌めく芽郁ちゃんが重なって噛み締める狂おしいまでの惜春。日々を生きるのにやっとこさの俺たちが思い返すこともない煌めきを慎ましやかに遠巻きに山田は提示してくれる。
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★3 | 日本春歌考(1967/日) | 春歌は切欠に過ぎず展開されるのは世代間のイデオロギーの相克。討つ側の先鋭であった大島が伊丹に代弁させた討たれる側に立つというジレンマは未解決のままアナーキズムにすり替えられる。建国記念デモという時事的なモチーフを得ただけに勿体ない。 | [投票(1)] |
★3 | 男はつらいよ 純情篇(1971/日) | どうにも山田がマドンナを持て余しおっかなびっくりな生半可さで、寅の想いは発露さえ儘成らぬ体たらく。代わりの博の独立騒動とかも又楽しいが、添え物扱いの若尾がやはり気の毒。序盤の宮本と森繁のサイドストーリーの方が断然光ってる。 | [投票(2)] |
★5 | ファンシイダンス(1989/日) | 置き去られた世界を斜めに見るのではなく、真摯に取り組もうとする者たちの侮れない世界と規定し、現在世代の受容と寛容をも肯定的に捉えようとする。で、流石にまともすぎるので破壊的ギャグを配置する。キザに周到だが完璧。羊羹1本一気喰いには参った。 | [投票(2)] |
★2 | 大病人(1993/日) | 得意の取材力により病院という機構のメカニズムの矛盾点を突く訳でもなく、願望めいた平安死への伊丹の深層心理を普遍化せずに極私的且つ理解不能な般若心経一大ページェントに乗せて描いてしまった。或る意味、終着点さえ思わせる侘しさ。 | [投票(1)] |
★4 | タンポポ(1985/日) | 主線のラーメン屋立て直し物語を伊丹は信じてるフリして全く信じられず誇張と諧謔でデコレートしても尚未だ不安で逸脱へと逃避したらブニュエルみたいになった。この後、信じ切れない物語を紡ぎ続けて終わってしまったのが不憫だ。 | [投票(2)] |