★3 | 噛む女(1988/日) | 常に内部(精神)が揺れている男がつくりだした、自らの敗残物としての脆弱な外部(生活)は、一方では妻(桃井かおり)の強固な安定を生んでいたという悲劇。さらに、その外部までもが揺さぶられた始めた男(永島敏行)の狼狽ぶりが滑稽な喜劇でもある。
| [投票] |
★5 | 四畳半襖の裏張り(1973/日) | 愛が前提の性行為だけが正当だとか、貧困が性の奴隷を作る、などと言う幻想は純粋な肉体の欲求の前では何の意味も持たない。制度の下に隠蔽されている「本来のSEXと人間」を、神代辰巳が宮下順子の肉体を使ってスクリーン上に再現してみせた。 | [投票] |
★3 | かぶりつき人生(1968/日) | 独特の長回しにはまだ明確な意図は感じられないが、ルーズな構成や展開は神代節の萌芽であり、「裸と性を武器に成り上がる上昇志向の女」と「だらしない母と娘の愛憎」という、後の作品の志向がはっきりと見えるのも面白い。まぎれもなく神代映画の誕生である。 | [投票] |
★4 | 濡れた欲情 特出し21人(1974/日) | 男が稼ぎ、女、子供を養うという形態が幸福の標準値になったのはいつ頃からだろう。どの時代にも、定住を前提とした定型からはみ出す生き方を自然に選んでしまう男と女がいる。そんな漂泊者達の存在を自然に受け入れる神代辰巳のまなざしが実にやさしい。 | [投票(1)] |
★3 | 四畳半襖の裏張り しのび肌(1974/日) | ほぼ全ての性交が、布団の中でモゾモゾ行なわれるという確信的サービス精神の欠落は、「何も見えなくてもスケベなものはスケベだ!ざまあみろ!」という映倫への挑発ともとれる。劇中映画と「生」を競うかのような精気なき性の闖入者中沢洋の「生」の不気味さ。 | [投票] |
★5 | 赫い髪の女(1979/日) | 一歩部屋を出ると不安におののき、密室では一変して激しい性への渇望をあらわにする女。宮下順子の演技には、生への本能と活力が溢れている。『愛のコリーダ』とならぶ性愛映画の傑作。神代監督の充実ぶりは凄い。 | [投票(6)] |
★3 | 鍵(1974/日) | 「これから裸になるために、私、この映画出てます」感ありありの荒砂ゆきは、どう見ても古い道徳意識のもとに育ち性を抑圧された良家の婦人などには見えず、悲しいかなロマンポルノの限界と宿命を感じずにはいられない。それ以外は、良くも悪くも神代節。 | [投票(1)] |
★4 | 嗚呼!おんなたち 猥歌(1981/日) | 無頼を気取ったところで甘えることしかできな半端野郎が、犯しているつもりが気づいてみれば女に犯されているという滑稽な悲しみ。奉仕する側とされる側が逆転し、いつしか消費されていく男に父性の終焉と産む性である女のたくましさを感じる。 | [投票(1)] |
★3 | 濡れた欲情 ひらけ!チューリップ(1975/日) | 男(石井まさみ・安達清康)たちの成長譚に力点が置かれるのは理解できるのだが、カミソリと廻し蹴りで奮闘する芹明香はもとより、いま少し、女たちの心情への踏み込みが欲しいのだが、そんなバランスなど神代は確信的に無視しているふしがある。 | [投票(1)] |
★2 | ベッドタイムアイズ(1987/日) | 乾いた魂を潤すために盲進するキム(樋口可南子)を突き放すようにして、対象と距離をとろうとする神代辰巳はいったい何を意図したのだろうか。スプーン(マイケル・ライト)という男の何が磁力となったのだろうか。さっぱり分からない。 | [投票(1)] |
★4 | 赤線玉の井 ぬけられます(1974/日) | 盲目的一途さをみせる宮下順子のシマ子が切なく、不遇と幸福の境目をなくした芹明香の公子もまた悲しい。閉塞的な新記録に挑む直子(丘奈保美)の無意味な意地と、もはや意地すらない繁子(中島葵)の諦観。森進一が唄う「花嫁人形」がすごい。 | [投票] |
★5 | 一条さゆり 濡れた欲情(1972/日) | 業界の権威として君臨するが故に警察権力の矢面に立たされ、かつ羨望の裏がしとして成り上がる若手から標的にもされる一条さゆりの矛盾に権利と権威の地続き的階級制のアヤが透ける。伊佐山ひろ子の憑かれたような目が怖い。それにつけても、ヒモ達の可愛いこと。
| [投票(3)] |
★3 | 離婚しない女(1986/日) | 男が考える“愛”と女が感じているそれとの差は、1000倍くらい有るのではないかと頭を抱えてしまう。お互いに、そこは見て見ぬ振りをしながら生きていくほうが良い・・たぶん。間違っても確かめようとなど、思わぬほうが良い・・きっと。 [review] | [投票(1)] |
★2 | 櫛の火(1975/日) | あやうい生と性の存在感を確認するように、互いの磁場に引き寄せられ、そして反発し合う男と女たち。神代監督のいたわるような、やさしい視線が全編に溢れている。 | [投票] |
★3 | 壇の浦夜枕合戦記(1977/日) | ロマンポルノとしては異例の長尺ながら前半はほとんど意味がなく、最後の30分で『四畳半襖の裏張り』もどき高貴バージョンへと昇華する。渡辺とく子熱演の、やんごとなき建礼門院の性的開眼は、当時進行中の日活ロマンポルノ裁判への皮肉ともとれる。 | [投票(1)] |
★5 | 青春の蹉跌(1974/日) | 男の野心、女の打算。その行方を見据える冷徹な姫田真佐久のカメラ。井上堯之の音楽も良い。神代辰巳、非ロマンポルノの前期の傑作。 [review] | [投票(8)] |
★2 | 地獄(1979/日) | 映画の中で怨念や恐怖をカタチにして見せても陳腐に映るのは明白なのに、その具現物である地獄そのもをビジュアル化してしまうとい発想自体が愚か。それに気付きながら知らぬふりする製作者全員の思考停止状態が痛ましい。誰も何も考えていない。 | [投票(3)] |
★3 | 快楽学園 禁じられた遊び(1980/日) | 偽善溢れるガラス張り家庭に育ったどうしようもなく善い人太田あや子は、始めから終わりまで泣いている。善人が楽に生きるためには、苦しまなくてよい程度の悪人になること。あの夜這い教師のように。偽催眠術師に同情する善人とは実は悪人であるという皮肉。 [review] | [投票(1)] |
★4 | インモラル 淫らな関係(1995/日) | 死期をさっしてかどうかは分からぬが、神代辰巳が描き続けた男女の不可思議さのエッセンスが気負いなく伝わってくる。神代には、モラルの枠に納まりきらず居心地の悪さを感じ続ける者こそ、最も人間らしい人間だったのだろう。いい作品が遺作になった。 | [投票] |
★4 | 女地獄 森は濡れた(1973/日) | 山中の館の闇に、そして男の背徳に依存しながら生きる女・中川梨絵。シーンごとに変わる口調と声のトーンに精神の不安定さがにじみ出る。不気味な好演。 | [投票(1)] |
★3 | 濡れた唇(1972/日) | 仕事干されへの反動か、前半は妙にかしこまった正当演出が続くのだが、唐突な刑事の発砲から始まる四人の逃避行は軽やかに現実社会を超越する。概念としてのしかかる女(絵沢萌子)を引き受けるには、現実か女のどちらかを捨てるしかないという男の苦悩物語。 | [投票] |
★5 | 恋人たちは濡れた(1973/日) | 逃げるという行為は行き場があってこそ成立する。しかし大方の逃避は、過去を否定することで未来までも失うという矛盾に気づかずになされる。「今」しか持たない男(大江徹)が迷い込んだ空回り回路に、女(絵沢萌子・中川梨絵)たちも誘い込まれる。 | [投票(2)] |
★3 | 遠い明日(1979/日) | あの姫田ではなく原一民撮影のせいか、驚くほど神代臭のない素直な作りで、神代偏愛主義者には拍子抜けするほど見やすく分かりやすいのだが、それは長所でもあり短所でもあるという皮肉。当時の三浦友和は、ことのほか素晴しかったという30年ぶりの発見。 | [投票] |
★4 | 悶絶!!どんでん返し(1977/日) | エリート男が女となり、風俗女は男に男を奪われる。スケ番たちはチンピラの金づるに成り下がり、レズ娘は男を女と信じることで女に開眼し、勝気娘はスパルタ男との純情に走る。バカバカしいまでのどんでん返し合戦。でも男と女なんてそんなものかもしれない。
| [投票] |
★3 | 恋文(1985/日) | 役者の芝居に重点を置きすぎた演出に違和感があり、神代特有のいつものムードが出てこない。無意味で不用意な子供の顔へのズームがその象徴。井上堯之の音楽も全然ダメ。 | [投票] |
★3 | ミスター・ミセス ミス・ロンリー(1980/日) | オンナそのものの原田三枝子と、体制に弾かれた半端な男達(宇崎竜童・原田良雄)とういう神代辰巳の定番設定なのだが、物語の枠組みを意識した行儀の良い演出が息苦しい。桃井かおりや秋吉久美子が持っていたズレ感が原田に無いからだ。 | [投票] |
★3 | 美加マドカ 指を濡らす女(1984/日) | 終始、泣きわめいているだけのまゆみ(美加マドカ)をまえに、マゾヒスティックに内藤剛志は孤軍奮闘するも、どこからも援護なく共鳴も共感も生まれない。おそらく美加の演技者としての未熟さゆえだろうが、ストリッパーとしての彼女はさすがに魅せる。 | [投票] |
★4 | アフリカの光(1975/日) | 逃げ出さないということ。立ちはだかる障害に果敢に立ち向かうこと・・ではなく、自らが置かれた状況から落ちこぼれないようぶざまでもしがみつく。そんなネガティブなエネルギーの存在を忘れてはいけない。 | [投票(2)] |
★3 | 白い指の戯れ(1972/日) | 伊佐山ひろ子のデビュー作だが、このウブで感受性の強い娘といった役どころでは、伊佐山の個性がまだまったく引き出せていなかったとうことが、次作『一条さゆり 濡れた欲情』以降の怪演で判明する分けである。若いスリ集団の奔放さや刹那感もいまひとつ。 | [投票] |
★3 | もどり川(1983/日) | 近代の黎明期・明治と隆盛期・昭和の間にぽっかりと口を開いた大正の闇。華やかさと混沌の時代を生きる歌人・苑田嶽葉の迷いとエゴは、先の見えない近代化への不安に重なる。惜しむらくはクライマックスの心中シーンが冗長。
| [投票(1)] |
★4 | 黒薔薇昇天(1975/日) | これは純愛映画である。純愛は悲恋やプラトニックの中だけに存在するのではない。心ではなく身体の関係と割り切った行為のなかに、むくむくと頭をもたげる「やさしい嫉妬」という衝動。これこそ恋愛の本質ではないのか。これだから人間は面白い。 | [投票(3)] |
★4 | 無能の人(1991/日) | 頭がくたくたになったり、いたく精神的にダメージを受けた夜には水割り片手にコレを観ます。すると“別にどうでもいいじゃん!”みたいな気分になります。重宝してます。 | [投票(3)] |
★2 | 宵待草(1974/日) | 光りに対する不信感でもあったのだろうか。神代辰巳は、意識的に明部を避ける。活動小屋という暗闇に潜むテロリスト達の心の影と暗部を描こうとしたのかもしれないが、どう贔屓目に見てもこの映画は壊れている。 | [投票] |
★3 | やくざ観音 情女仁義(1973/日) | 神代作品で最も暴力描写の激しい一本ではないだろうか。清玄(岡崎二郎)の暴挙の数々に、その暴力の裏づけとなるべき怨念の深みがみえず田中陽造脚本との相性の悪さを感じる。やはり神代は憎悪ではなく人生肯定のユーモアを湛えた哀歓の人なのだ。
| [投票] |
★5 | 棒の哀しみ(1994/日) | 田中(奥田瑛二)ってオレかも知れない、って思ったのは俺だけか・・・・ [review] | [投票(2)] |
★2 | 少女娼婦 けものみち(1980/日) | 岸田理生が描こうとした、子を身ごもるという事実が、誰が父親であるかという真実よりも優先するという雌としての女の生理が、神代辰巳の映画の解体という作業で本来先鋭化すべきところ逆に母親と娘の関係性の中に埋没している。
| [投票] |