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小高雄二の映画ファンのコメント

地獄の祭典(1963/日) 青い乳房(1958/日) 硫黄島(1959/日) 街から街へつむじ風(1961/日) 花を喰う蟲(1967/日) 男が爆発する(1959/日) マカオの竜(1965/日) 銀座の沙漠(1958/日) 波涛を越える渡り鳥(1961/日) 大巨獣ガッパ(1967/日) あじさいの歌(1960/日) アリバイ(1963/日) 男の世界(1971/日) 遥かなる国の歌(1962/日) 若い川の流れ(1959/日) 夜明けのうた(1965/日) 殺人者を消せ(1964/日) 抜き射ちの竜 拳銃の歌(1964/日) 黒い賭博師 ダイスで殺せ(1965/日) 真白き富士の嶺(1963/日) われらの時代(1959/日) 遊侠三国志 鉄火の花道(1968/日) 散弾銃の男(1961/日) スパルタ教育 くたばれ親父(1970/日) 青春の鐘(1969/日) 錆びた鎖(1960/日) 俺の背中に陽が当たる(1963/日) 七人の野獣 血の宣言(1967/日) 口笛が流れる港町(1960/日) 祈るひと(1959/日) 黒い海峡(1964/日) 殺人者(コロシ)を追え(1962/日) 女の警察(1969/日) 夕笛(1967/日) 刺青一代(1965/日) 結婚の条件(1963/日) 赤い荒野(1961/日) 風のある道(1959/日) 密航0ライン(1960/日) 俺は死なないぜ(1961/日) 網走番外地(1959/日) 青年の樹(1960/日) あゝひめゆりの塔(1968/日) 甦える大地(1971/日) その壁を砕け(1959/日)が好きな人ファンを表示する

水那岐のコメント************

★3地獄の祭典(1963/日)両目に強い酒をぶっかけて、一時的に視力を奪う拷問…知らなかった技だったが、かなり痛そうだ。それにしても、あんな格好で最果てから現われた宍戸錠が、きっちりカッコ良い活躍を見せる快感!これは余人にはマネできまい。[投票]
★3街から街へつむじ風(1961/日)こぢんまりと纏まった本編では、作品世界を潤わせるべきヒロインたち(芦川いづみ / 中原早苗)もまたおとなしく腰かけた状態でおさまり、話をぶん回す余力すら見せない。このおとなしさが作品世界に波及してか、弾まない中編はひたすらエンドマークに向かう以外に気力を見せない出来栄えとなった。裕次郎もまだ新人で暴れるわけにもいかないだろうが、淡泊な一編。[投票]
★2男が爆発する(1959/日)田舎者の本質をこんないい加減な連中のように描いて、舛田利雄は批判されなかったのか。生死の問題はあまりに軽く、いい大人が拳で語り合うのも安易な西部劇もどきの発露に過ぎない。 [review][投票]
★3マカオの竜(1965/日)音楽やカメラが折角ソフィスティケートされているのに、相も変らぬ無粋な心情表現の女優大写し、そして小林旭の唸り唄で台無しにされてしまうのには落胆。ところで、「死人が死体を見せないときは生きてるものと相場が決まってる」という永井豪漫画の法則は適用されないのかな。ラストのあいつを観る限り。[投票]
★2波涛を越える渡り鳥(1961/日)折角東南アジアで撮っているというのに、旭・ルリ子はもとより宍戸錠白木マリの今までのシリーズとまるで変わらない役割はどうしたことか。もとより観光フィルムに毛の生えた程度の異国描写は、今の海外慣れした観客の目をごまかせるものではない。それ以前にだらけ切った演出は隠せないのだから、求められるものは全きパターン破りのはずだ。[投票]
★4大巨獣ガッパ(1967/日)「我々は、忘れていた素朴なものを思い出すべきだったんだ」そう。実に単純でプリミティブだが度肝を抜く撮影は、他社怪獣映画が忘れていたものではあるだろう。 [review][投票]
★4あじさいの歌(1960/日)石坂洋次郎によるお節介の相互作用が織りなす、恋愛劇のようなもの。なんだかんだで客寄せパンダである芦川いづみのヒロイン主張を轟夕起子が見事に掻っ攫ってゆく。他人事には首をつっこみたがる石原裕次郎もすっかりお株を奪われた形だ。[投票(1)]
★3男の世界(1971/日)泥臭さからやっと解放された主題歌はスキャットによる小洒落たヴォーカル。そして裕次郎の口ずさむのもマイナー調歌謡ではない「胸の振子」。このあたりが逆に足を引っ張るのがこの作品であり、およそ滂沱と泣かせる余韻もなく、ただTVドラマめいたサッパリさが残る。良くも悪くも70年代を匂わせる裕次郎の日活卒業作。[投票]
★4夜明けのうた(1965/日)モノクロ画面に映える絶好のカメラワーク。スタッカートのような画面の転換。アップ多用が臨場感を持つ演出。蔵原監督とのコラボレーション作品の白眉であり、女優浅丘ルリ子の記念すべき開眼作。[投票(1)]
★3殺人者を消せ(1964/日)安い設定の物語だが、そこにスパイスを効かせる舛田利雄演出の冴えによって映画は気の抜けたものになる結果を免れている。そして石原プロ作品であるがゆえの裕次郎の采配でか、ヨット上の死闘にはヨット乗りでなくては思いつかないアイディアが満載である。なるほど、本気ならこの水準は保てるな、と確認。[投票]
★3抜き射ちの竜 拳銃の歌(1964/日)赤木圭一郎より数倍増しで剛毅木訥な高橋英樹には、やはり「抜き射ちの竜」なんて異名のヒットマン役は似合わない。それよりもこの話の楽しみはニューフェイスの谷隼人。この作品の翌年、事情により日活を辞めた彼だが、その「事情」がなければ『キイハンター』への出演もなかった。これも天の采配か。 [review][投票]
★2真白き富士の嶺(1963/日)手持ち式ではないカメラが素っ頓狂な方向に飛んでいったり、ズームアップが連続で多発するカメラワークの悪戯に驚かされるが、程なくそれは、極めて保守的な芸術祭参加作品のモノクロ画面に退屈を噛み潰すスタッフの遊び心の産物と気づく。幾度白血病に冒されたかわからない小百合のこの手の作品では異色だが、どうあってもマンネリから逃れられるわけではないのだ。[投票]
★3遊侠三国志 鉄火の花道(1968/日)小林旭がかつての宍戸錠のような役割。結構ハマっている。しかめっ面裕次郎よりは高橋英樹の組抜けやくざの方が可愛くて好感が持てる。[投票]
★3散弾銃の男(1961/日)むしろ二谷より小林旭主演が似合いそうな股旅ガンマン西部劇だが、鈴木清順演出のアクはこの時点でべっとり画面に張り付いている。二谷と南田が、会話で情を交わし合う中央をすり抜けて画面奥のアコーディオン親父の演奏に行き着くなど、カメラ芸の楽しさは十分味わえる。ガンファイトを終始アップを廃して撮るのもそれらしい。[投票]
★1スパルタ教育 くたばれ親父(1970/日)舛田利雄はやはり活劇監督だ。道徳や教育を語らせても見当違いのアナログぶりで、子供の心の機微など上滑りにしか描けない。箇条書きの慎太郎原作に合わせてか前後関係を無視した脊髄反射的なストーリーテリングは、まごうかたなき支離滅裂さを露呈させる。[投票(1)]
★3青春の鐘(1969/日)こうした恋愛混戦劇に、敢えてハッキリした悪を強調することなく(藤竜也ら悪役はいることはいるが、あからさまではない)最後まで話を進行させた事は倉本聰脚本の功績だろう。特に母親(宝生あやこ)の人間の厚みは彼ならでは。[投票(1)]
★3錆びた鎖(1960/日)兄弟の明らかな和解が描かれなかったことで、ずいぶん落ち着かない気分にさせられてしまった。そして何といっても… [review][投票]
★3俺の背中に陽が当たる(1963/日)考えてみれば陰惨かつ悲惨な話なのだが、コミカルな演出や東京五輪以前の江戸っ子カタギの人々、さらにトボケた音楽でフォローに成功している。青春スター浜田光夫には小百合の清冽な浄化パワーは必要だったけれど、どうにか行く末に希望を取り戻すことはできた。やっぱりチンピラに堕ちきった浜田を見るのはいたたまれないのだ。[投票]
★4祈るひと(1959/日)さまざまな人間模様を傍観する芦川いづみの回想によって動かされる、かなりトリッキーな恋愛論。終幕に至るまで彼女は主役のように話をリードしないが、これはこれでグイグイ見せる底力はある。ラストでいきなり無理やりな行動を見せないのも、放置された印象はあるが正解ではあるのだろう。この時代らしいワンマン男・小高雄二のみが鬱陶しい。[投票]
★3黒い海峡(1964/日)江崎実生の出世作とのことだが、終幕のロングショットのボリューム感などを除けば師である舛田利雄ほどのアクの強さもない、無難な撮り方の連続。脚本については裕次郎作品としては練られた仕掛けの展開に華があり、つくづくムードアクションに納まったことが惜しまれる。[投票]
★2夕笛(1967/日)筒井家を襲う凄まじいばかりの不幸の嵐。近頃の悲恋モノがまま事に見えてしまう泣かせのオンパレードに、思わず脱帽。 [review][投票]
★4結婚の条件(1963/日)浅丘にとって、アイドルから演技派に脱皮してゆく途上の作品。恋に思い悩みながらも、義兄と彼の大事に思う女を暖かく見守り、お節介すら焼く姿は若い彼女ならではの愛らしさ。まだ少女の香りすら感じとれるほどだ。[投票]
★2赤い荒野(1961/日)赤くもなければ荒野でもない、きわめてウェットな緑成す大草原に繰り広げられる西部風の物語。でも、実際ドライさが似合うのは宍戸錠のみであり、まわりの日本的すぎる俳優たちの演技もウェットきわまりなく、それはそれで西部劇とは別モノである何かの世界を形成している。しかし単なる別モノアクションというのは、こと日活においては凡庸な設定でしかないし、そこからはみ出す大胆さも見せてはくれなかった。[投票]
★2風のある道(1959/日)日本ダークサイド図鑑。老いも若きもみな行動力に欠け、強引に自分のプライドに賭けて強行することを知らない。芸術祭参加作品にしてはTVの凡俗メロドラマの域を出ず、思わず焦燥感に駆られる。清水まゆみのみが若い無謀さを武器にして周囲の安普請な舞台を引っぺがす。彼女が運ぶ清涼感を省けばおよそ見せ場・見どころなき拙作。[投票]
★2俺は死なないぜ(1961/日)読めたことだが、吉永小百合は客寄せパンダに過ぎなかった。謎の死を遂げた男の真相を探る息子・和田浩治は喧嘩っ早いギター弾きだが、この設定は原作にはない脚本家のアイディアだろう。格闘を要所要所に配するためなら日活らしいやり方だ。どうであれエピソードのつなぎ方が雑で、放り投げたような終幕も映画の「愛され方」を物語る。[投票]
★4あゝひめゆりの塔(1968/日)悲惨なシーンの合間に吉永小百合のくるくると変わる表情が現われ、ほっと息をつかせてくれるが、戦争とはその表情をこの世から抹殺してゆくものだと強く感じる。[投票(2)]