★5 | 新藤兼人さんの解説がないと、当時の実感が伝わりません。 [review] (chokobo) | [投票] |
★5 | 主人公が“立つ”演出、テンポのいい台詞廻し、何より笑いとペーソスがうまく同居している。[ラピュタ阿佐ヶ谷] [review] (Yasu) | [投票(3)] |
★5 | この作品が完成して実際に観覧した、京都の芸道に生きる人たちはみな激怒したそうである。よくこの作品を称して「リアリズムの極致」という評価を冠せられるが、私はそうではないと思う。あまりその言葉に執着せずに、「男と女の有り様」そのものを考えながら見るのが一番肩がこらず、なんといっても見やすい。1936年の大昔と現在、何も変わらないではないか。そのことに、溝口のみが気付いていたという事だ。 (takud-osaka) | [投票(4)] |
★4 | 祇園の花街で繰り返されていたであろう物語を短時間に凝縮して魅せてくれた。今では庶民の中では聞けない純粋に近い(?)京言葉も心地よい。 (RED DANCER) | [投票(2)] |
★3 | 新旧の時代の相克は、いつ何時でもドラマトゥルギーを発露する。ピチピチの山田五十鈴が先輩格の梅村を凌駕しゆく様は典型的オーソドキシー。映画的安住の地平に有る。しかし、同時代に見た人が感じたろう衝撃は最早微塵もない。 (けにろん) | [投票(1)] |
★3 | 居候(志賀廼家弁慶)、骨董屋(大倉文男)、呉服屋(進藤英太郎)と番頭(深見泰三)らダメ男たちの喜劇性と、おもちゃ(山田五十鈴)が唐突に爆発させる悲劇性。いずれも溝口の人間観と社会観の発露だろうが一本の作品の中での納まりの悪さがある。
(ぽんしゅう) | [投票(1)] |
★4 | 今まで観た往年のスタイリッシュな様式美の漂う溝口とは違う、生々しさ人間らしさを感じるほどリアリティが溢れる作品。驚くのはたった1時間ほどの短い作品だが 全く短さを感じさせないほど芸子姉妹と旦那衆の物語から人間の本質が凝縮して描かれている。 (ina) | [投票(1)] |
★4 | 私の知っている山田五十鈴は、朝起きて一本でも皺があると美容整形に駆け込む脅迫神経症的お婆さんでした。 [review] (りかちゅ) | [投票(1)] |