煽尼采さんのコメント: 点数順
CUT(2011/日) | シネフィルというのは本当に頭のおかしいナルシスティックかつファナティックな阿呆なのだと実感せざるを得ない、全くもって気色悪い映画。冒頭の、日本語混じりのタイトルのダサさからして全然信用できないのだが、実際そういう映画。 [review] | [投票(2)] | |
ザ・ロード(2009/米) | その胸に抱く「火」を守り、運ぶこと。冷えた灰色の、絶望の光景に現れる橙色に輝く火は生活の温かみを感じさせるが、世界を破滅させた火と同じ色でもある。これは、息子の目に映る父が「悪しき者」に立ち向かう姿勢が却ってその善性を曖昧にするのと似る。 [review] | [投票(2)] | |
ラルジャン(1983/スイス=仏) | 結局、容赦ない非人間性に徹するこの演出の極限の簡潔さに「峻酷」「冷厳」「苛烈」等々の畏れを覚えるには、観客自身の人間的な眼差しが前提になる。僕のように非人間的な観客には、機械人形の所作でも眺めているような無関心の眼差ししか保持できない。 [review] | [投票(2)] | |
NINE(2009/米) | バカらしいのは、創作意欲の渇きや空虚さをそのままフィルムに定着させた『8 1/2』を更にそのままなぞり、何の批評性も無いままショーとしての洗練度だけ増した皮相さ。フェリーニが個人的記憶として描いたシーンを模倣する空疎さに気づかぬ鈍感さ。 [review] | [投票(2)] | |
カムイ外伝(2009/日) | 台詞や画で納得・理解させるべき所までご丁寧に語ってくれるナレーションの鬱陶しさや、画から重量感も質感も奪い去るCGの酷さ、入浴剤を入れた風呂の湯かと思わせるほど青い海、等々、画面を信じる気持ちが失せる演出の連続。 [review] | [投票(2)] | |
ファイナル・デッドサーキット 3D(2009/米) | 自宅で鑑賞したが、飛び出す3D効果を狙っていると分かる箇所が幾つもある。映画館に観に来た客へのサービス満載で、3Dで観てあげなくて悪かったねと思わなくもない。反面、映画として色々と疎かな点が散見する上、やはりシリーズ物としてのネタ切れ感が。 [review] | [投票(2)] | |
重力ピエロ(2009/日) | 三題噺的なアイデア先行と、言葉遊び的な観念性が、深刻な暴力を些か「ネタ」として利用している印象が強い。「春が、二階から落ちてきた」。この台詞に本作の姿勢とそのダメさが象徴的に表れている。 [review] | [投票(2)] | |
ムーラン・ルージュ(2001/豪=米) | クイック&スローモーションの多用。異様に細かいカット割り。「ピュイ!」「ボンヨヨヨ〜ン」等の安直な効果音。人体アニメ的演出の幼稚。既存の名曲を、原曲への敬意も無く数珠繋ぎ。ロートレックやエリック・サティを愚弄するキャラクタリゼーション。 [review] | [投票(2)] | |
夕陽のガンマン(1965/伊=スペイン) | 個々の要素は面白味があるにも関わらず、全体的には妙に退屈。似たような邦題で間違われそうな『夕陽のギャングたち』の方が遥かに好きだ。知略や情感を演出しようとした箇所が水準に達せず、乾いた即物性にとどまっているせいか。 [review] | [投票(2)] | |
目撃(1997/米) | イーストウッド演じる泥棒の職人的な手つきやその表情が魅力的だが、その軽妙さとサスペンスとがマッチしない。まず覗きシーンに変態さが足りない上、不必要に長く、出だしから漫然とした印象。 [review] | [投票(2)] | |
アマルフィ 女神の報酬(2009/日) | 前作『容疑者Xの献身』で見せた演出の切れ味が今回は鈍い。イタリアという大舞台が手に余ったか。近所の弁当屋に歩いて通う卑近な舞台こそ西谷弘の本領か。単なる観光映画では仕方ないのだが、観光映画になり得ていないのが、実はプロット上も問題あり。 [review] | [投票(2)] | |
インスタント沼(2009/日) | 気のせいか、冒頭シークェンスに象徴的なように、いつになく情報量が多い仕上がりに思える。詰め込みすぎで、さり気なさを装いつつ充分狙われた感のあるギャグの殆どが笑えない。麻生久美子のキュートさに救われる反面、アイドル映画的レベルの停滞感。 [review] | [投票(2)] | |
落下の王国(2006/インド=米=英) | 脚本の空疎さをシュール&ビューティの極致で埋めた力業『ザ・セル』とは逆に、映画としての結構を保つシーンの数々を、幻想シーンの陳腐さが砂漠の蟻地獄のように呑み込む悲惨。この作品がイメージとして示した映画観は素晴らしいだけに、何とも惜しい。 [review] | [投票(2)] | |
幸せの1ページ(2008/米) | 完全にキャラクター化された動物たちと、大人たちのテンション高めの演技など、外出恐怖症の作家が恐れる扉の向こうもまたファンタジーという入れ子構造。 [review] | [投票(2)] | |
インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国(2008/米) | さすがにハリソン・フォードもお疲れ気味?荒唐無稽な映画なのに、年相応に落ちついてしまっている。考古学モノの割には遺跡や発掘品が粗末にされているのはまだ許すとしても、今回は「考古学モノ」としての体裁そのものが蔑ろ。 [review] | [投票(2)] | |
老人と海(1958/米) | いちばん嫌いなタイプの映画かも知れない。美しい画は幾つもあるが、過剰なナレーションが、映像に浸る事を許してくれない。老人の独り言や、ショットの構図、役者の演技などで表現すべき所まで、いちいちナレーターが語りに語る。 [review] | [投票(2)] | |
ドラゴン怒りの鉄拳(1972/香港) | プログラム・ピクチャーの枠を完全に踏み破った、凶暴さと繊細さのブルース・リー。歪んだ珍妙な日本人が全篇登場し続ける作りに萎える以上に、ガチの演技で挑んだリーの敵として余りに戯画的である事が納得し難い。 [review] | [投票(2)] | |
交渉人 真下正義(2005/日) | 「封鎖できません!」再び。だが、演出も演技も脚本も、何もかもが作り物めいている。冒頭の、玩具の電車模型が走る場面は、この映画自体の子供っぽさと吊り合ってしまっている。 [review] | [投票(2)] | |
ユメ十夜(2006/日) | 感心したのは六夜と八夜のみ。大勢が寄って集って作った映像より、漱石が独りただペン先から滴らせた文字の方が幾百倍も詩興に富んでいるのを思い知り、言語芸術万歳を心中叫ばずにいられない。シネスケでそんな事を言わざるを得ないのが哀しい。 [review] | [投票(2)] | |
コラテラル(2004/米) | 対照的な二人の在り方から見える、人生の二つの面。なぜ彼らが、殺し屋とタクシー運転手なのか、について→ [review] | [投票(2)] |